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やや、横レスですが、いぬかいさんの言葉を受けてスレ主タンホイザーさまへ。
>「平等≠助ける=見下す」なんですよ。
これで、我が身のことで思い出したつらい体験があります。
私が、ASではないか?と気づいたとき、周囲の人たちが
「では、なにか支援を考えよう」と言い出しました。
それは、とてもみじめな気持ちになりました。
でも、今の友人が「友達だから好き、それでいいじゃない…。お互い欠点もあるそれでいいじゃない」
と、言ってくれたのが救いになりました。
AS=障碍 ではありますが、
AS=障碍 として私を見た人たちと、私は現在 たぶんおつきあいしてません。
共に欠点のある人間として、共に歩いてくれる、そんな友達ばかりです。
私が、トラブルばかりおこしたとき、前者の人たちは、「なぜわからないの?」「悪いところはなおすべき」「友達なんだから忠告して当然」と、言いました。
でも、後者の人たちは、
「友達だからといって、あなたの悪いところをなおせなんておこがましい」と、言いました。
「ゆっくり歩いていこう。螺旋階段のように。少しづつでもきっと昇ってるはず」
と、言いました。
共に歩いていこう。手をさしのべる…のではなく、お互い支え合って。
人間だもの、誰しも欠点があって当然。
ただ、ASは、ほんのちょっと、人より欠点が多いかもしれないけれど。
ある程度はお互い様。
ねえ。あなたが定型ならば、「共に歩いていく」って、ちょっと抽象的だけど、わかりますよね?ASは、ときおり、そんな抽象的な表現が苦手だったりするのだけれど。
欠点は誰にでもある。お互い様。お互い様。
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