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横ながら、コメントありがとうございます。
▼いぬかいさん:
>私はイジメもあったし、身体には小学校の体罰の傷も残ってる。
>手首には大きな傷跡も残ってる。暴行も受けた事ある。
>
>でも、辛い体験をする度に私は精神的に成長していった。
>皆が私の存在を否定しなかったら、
>私は存在を認めてもらう工夫や努力をしなかったと思う。
>皆が私のこだわりを否定しなかったら、
>こだわりを才能に転化する工夫はしなかったと思う。
>イジメにあわなかったら、自分の性格の悪さに気が付かず、
>我侭のままであったと思う。
>過去の辛い体験から本当に沢山の事を学んだ。
>ここまで社会適応できたのはひとえに過去の辛い体験のおかげ。
>彼氏さんが親友として認めてくれる人間になれたのは苦労したからこそ。
>壁にぶつかっても「あの頃にくらべりゃたいした事無いわ」と
>少々な事ではヘコたれない精神を養ってくれたし。
>今ではあの時苦労して本当によかったと思ってる。
確かにそのとおりですね。
でも私には、自業自得でない身体障害がいじめの理由にされたのが30年以上経った今も納得できません。心の傷が桁違いにひどく、今もPTSDとしてありとあらゆる人間関係を阻んでいるために心療内科の助けを借りています。
自分ひとりでは立ち直れないほど打ちのめされてきた私は、ようやく茨城へ来てきっかけをつかみました。
今までの私は、苦労が徒労に終わることがあまりにも多すぎたので、もう北海道には戻る気はありません。
収穫はというと:
●人間関係の悪い原因が解ったこと。
●手先が異常に不器用(おそらくこのWebサイト参加者の中でも群を抜いて不器用かもしれない)なのでルーチンワークは不向きだということ。
●体育の成績が異常に悪かったのが、身体障害だけが原因でないと解ったこと。リハビリの進捗が他の変形性股関節症の患者に比べても格段に悪いのがその証拠。
でも北海道では気が付かなかったことでも茨城では気が付いたことはたくさんあります♪
>今は有無も言わせない安月給に苦労させられてますが、
>(いきなり残業規制、家賃補助カットは無いよ〜!)
>おかげで「良い品を格安で手に入れる方法を捜す」事を覚えました。
>おかげで何故か給料良かった頃より生活水準アップしてたり(笑)
確かに。
私の場合は、8年間続いた(今までの職歴ではもっとも長い)医療機関のコンピュータ部門の仕事でも、上司の派閥争いに巻き込まれたための理不尽な待遇で、8年間ずっと給料の手取りが5桁でした。ボーナスを生活費に充当しなければならないほどの貧乏暮らしでした。(;_;)愛車も、死んだ親父の生命保険で手に入れました。
それでもやりくりは何とかできて、多いときには一人で3台のPCを所有していたこともあります。(もちろんネットワーク技術の習得が狙い)もちろん全部が新品だというわけではなく、中古のDOS/Vを値切り交渉の末手に入れました。(ノートPCだけはDELLの新品)
あとは、身体障害のために慢性腰痛の予防体操ができなくて、しかも発達障害のために平衡感覚が悪いために姿勢も悪く、いったん腰痛が発生すると湿布も磁気治療器も効果がない、という状態で(室蘭にいたときですが)思い切って週に3回プールに通い始めたところ、腰痛が半減しただけでなく、それまでどんなに頑張っても50mしか泳げなかったのが150mを連続で泳げるようになったという収穫がありました。
でもこういった収穫は、人間関係でこそあって欲しかった(;_;)
>私は自分の運命をアホみたいに呪っていた事もある。
>でも、それは自分が普通じゃ無いのはとんでもない過去による、
>ACかPTSDか何かに違い無いって思いこんでたから
>「自分が不幸でなくてはならなかったダケだった」
>本当に自分は不幸だって思いつめてました・・・
>その時は友達はできない、仕事はうまくいかない、大変だったです。
>そりゃそうです、自分は不幸でなくてはなりませんでしたから。
>うまく行きそうになるとそれを避けて逃げ回っていました。
>今思うと、よくもあんなに「不幸」を維持する為に、
>過去の恨みつらみを必死に思い出したり、一晩中「自分は不幸」と泣いたり、
>全力投球を何年も続ける事ができたもんだなと感心しますね。
もしかすると、私も42年間この状態から抜け出せずにいたかもしれません。茨城に来て、親元を遠く離れて、誰のコネもない環境で、ようやくすべてが「不幸癖」にピリオドを打たせるように動き始めているように感じています。
まだまだ避けて通れない苦労は山ほどあるでしょう。それらに対しては自分の実力に見合った方法で対処していきたいです。
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