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▼Chiquititaさん:
>私が知りたいのは、発達障害があると反抗期がなかったり、あるいはあっても定型発達の人と違う年代に反抗期を迎えたり、あるいは反抗期があっても他の人ほど顕著ではない、といった特徴があるのかどうかであります。
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>皆さんの体験談も差し支えない程度でお聞きしたいので、宜しくお願いします♪
私の場合、「大学入学してすぐに反抗期が来た」と思っています。
高校までは、反抗できなかったというよりも、「大人が狡猾すぎて、思惑が読めなかった。更に、他の人も自分と同じようなものだと思っていた。」「中学・高校以上に、小学校時代がひどすぎた」という感じだったのだと思います。
親は私を、次のような方針で育てました。
「どうせ、wentには実力がない。だから、出来の良い男と結婚させるしか幸せになる方法がない。出来の良い男が満たすべき最低の条件は、地域のトップ高校を出ていることである。そいつと結婚させるためには、できればその高校に、それが無理ならそいつに相手にされるボーダーの高校に、wentを入れなければいけない。
どうせwentには、自力ではそれらの高校に受からない。だから、親が監視しなければならない。また、高校入試は、内申書が悪ければ落とされる。wentがパニックをおこすと迷惑だし、内申書にも悪く書かれる。パニック回避のために、wentには積極的な行動をさせてはならない。お客様をやるように仕向けなければならない。塾通いや部活動なんか、論外だ。」
「地域のトップ高校を、420人中380番位の成績で卒業し、高校教師が勧める就職先に腰掛的な就職をして、公務員のような男と見合い結婚をする。これがwentの身の丈にあった幸せだ。その高校でいい成績なんかとらなくていい。否、wentにとれる筈がない。」
これらの方針を明確に述べることは、高校までずっとなされませんでした。
「無理しなくてもいいのよ。出来ないのも個性よ。人の邪魔をしなければいいだけのことだから。あなたはその場にいるだけでいいのよ。お客様をやっていれば、あなたは普通の人として認められるのだから。普通にやっていさえすれば、その場にいるだけでそれなりにいいものがもらえて、守ってもらえるよ。」と、大人は私に言い続けたのです。
これらのお客様適応が通用するのは、長く見積もっても高校卒業までです。大学入学後、他の適応方法を身につける必要が出てきました。しかし、方法について何も思いつきません。20代の間私はずっと、混乱し続けていました。
このとき、親は、変わり身素早く、次の言葉を浴びせたのです。
「これまであんたが努力しなかったからよ。あんたの責任よ。自業自得よ。」
小学校時代の私は、地域のトップ高校に入れる学力がないと親から思われていました。「もうひと頑張りすれば、例のボーダーの高校に入れるという程度」とみなされていました。
私は、「大人を喜ばせる、情緒的な作文を書く」ことと「見た目が小奇麗なノートを作る」ということが苦手でした。そのことが理由で、学力がない子とみなされました。
私は、理数系が好きな女の子でした。このことも、親から見たら好ましくないことだったようです。「理数系が好きな女の子なんか、可愛げがない、冷酷な子供だと思われる。『算数や理科よりも国語や社会が好きだ』と、言うようにしなさい。」と、親からさんざん言われていました。
中学校に上がってからは、勉強に関する事情が変わってきます。ベンチャラ作文や小奇麗なノートよりも、「英語と数学の成績をあげる」という課題のほうが楽でした。また、理数系教科の成績がよいことは、地域のトップ高校合格に近づくこととみなされます。
中学に入ってから、私の成績はあがりました。地域のトップ高校合格圏内に届くようになりました。こういうわけで、親は主要(?)教科の勉強に対しては、小学校時代ほどうるさく言わなくなりました。
小学校中学年からずっと、私は、いわゆるいじめられっこでした。大学入学までずっと、「いじめの加害者は同じ学校に通っていた人達」と思っていました。
しかし、大学入学後の反抗期に、「子供によるいじめは、単なる前座だったんだ。そのいじめに便乗して、大人が取った言動(しかもこれらは、教育的指導という大義名分のもとになされた)のほうが、いじめのメインだったんだ。」とわかりました。
義務教育時代に私は、「私が考えたり感じたりすることには、ロクなものはない。私の考えたり感じたりしたことが他の人にばれたら、バカにされたりひどい目にあうことになるに決まっている。できるだけ、他の人の思考や感情と同調できるようにするようにしなければならない。」と思うようになりました。今思うに、こんな状態だと反抗もへったくれもありません。
大学では、寮生活をやりました。「自分の思った・感じたこと」についてもある程度話さないと他の寮生との会話が続かないので、怖々それらを話すようになりました。いろいろな寮生といろいろな会話をやっていくうちに、「他の寮生は、高校までずっと、私ほど押さえつけられなかったようだ。他の人は、これまでのびのびと暮らしてきたようだ。田舎で冷や飯食ってきたのは、どうやら私だけだ。」とわかりました。
サークル活動・アルバイト・寮自治会役員・大学での学業といった、いろいろな場面で、「他の人はこれまでのびのびと暮らしていた。そして、いろいろな実力を付けていった。一方私は、押さえつけられて窮屈な思いをして、何もできないまま今まできた。私は、足手まといのお客様でしかない。」ということを見せ付けられました。
こうして、大学入学後に反抗期がきたという感じです。
この反抗期は、「私のことを認めてくれる友人が、何人かいる」「大学の学生相談室(私にとっては、とてもよい施設だった)が使えた」という幸運に恵まれていました。もしもそれらがなかったらどんなものになっていたか、想像が付きません。
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