アスペルガーの館の掲示板

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[#5240] 不器用&イマジネーションの欠如 レオっぴー 05/3/30(水) 7:03 [未読]

[#5346] 実技教科と、子ども時代の私 went 05/3/31(木) 22:59 [未読]
[#5349] 実技教科と、子ども時代の私(続き) went 05/3/31(木) 23:59 [未読]
[#5366] Re:実技教科と、子ども時代の私(続き) レオっぴー 05/4/1(金) 5:41 [未読]
[#5428] Re:実技教科と、子ども時代の私(続き) penpen 05/4/3(日) 9:13 [未読]
[#5432] Re:実技教科と、子ども時代の私(続き) Chiquitita 05/4/3(日) 18:06 [未読]
[#5436] penpenさん、ありがとうございます(^ ^)。 レオっぴー 05/4/4(月) 10:34 [未読]
[#5438] Re:penpenさん、ありがとうございます(^ ^... penpen 05/4/4(月) 14:10 [未読]
[#5365] wentさん、ありがとうございます。 レオっぴー 05/4/1(金) 5:35 [未読]

[#5346] 実技教科と、子ども時代の私
 went メール  - 05/3/31(木) 22:59 -

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   ▼レオっぴーさん:
>Sさんの当事者側としての気持ち、とても参考になりました。
>実はこれも気になっている部分だったのです。
>息子はこんな風に苦手部分の克服ばかりさせられて辛くないのか。
>それよりも苦手なことは誰にでもあるから、
>それはお互いに補い合って、
>得意な分野を伸ばしていけばいいのではないか――と。
>
>でも、可能性があるのなら少しでも…と
>頭の中でいろいろな気持ちがせめぎ合っています。
>実際に息子は訓練を重ねていくうちに出来るようになることも増え、
>本人にとっても自信につながっているような気がします。
>
>出来るようになった時の笑顔とその満足げな表情が
>私を次の課題の療育へとかきたててしまいます(--;)。
>
>>少なくとも
>>他の子と比べてどうとか言われるよりは
>>本人が授業を受けていて耐えられないほどきついとか
>>日常生活に支障が出るほどのレベルでなければ
>>苦手なことについては
>>仕方ない、まあそれでいいんじゃないのという態度で
>>スルーしてもらえる方が
>>子の立場としても気楽ですし
>>私も親ですが
>>そうありたいと思っています。
>
>そうですよね。そのお考えもよく分かります。
>そして逆に成長してから
>「お母さんがこの訓練をしてくれたら、今こんなに苦労しなかったのに」と
>なることも危惧しています…。
>
>どちらが正しい答えなのかは分かりません…。

 実技教科が全部ビリだった、wentです。「苦手部分について訓練することは、苦痛である」と言い切ることは、出来ないと思います。
 特に実技教科の場合、苦痛のツボがさまざま(しかも、ひとつとは限らない)という面があると思います。
 大雑把に分けると、「下手なこと」「下手だということで、外野が騒ぐこと」となると思います。
 更に、「騒ぎ方が陰湿なこと」が原因となって「下手なこと」にまで不快感をもつようになることが多いのではないかと、私は思っています。
 コンプレックスという単語は、もともとは「複合」という意味です。「まさか、『劣等感』という意味は『下手なことと騒ぐことの複合』と捉えたことから来てるんじゃないだろうな。」などと、くだらないことを考えています。
 
 「現段階ではうまく出来ない。必要とあらば、他の人と違った方法を工夫してみるのもいいかもしれない。他の人と違った方法で上達するのなら、その違った方法で訓練するのもよい。上達するプロセスも、他の人とは違うかもしれない。その人独自の方法やプロセスは、他の人のそれらと比べると、見栄えがしないかもしれない。だけど、工夫することやプロセスを楽しめるのならば、それでいい。」という目で見てもらえたら、訓練は苦痛と言い切れないかもしれません。
 また、発達障害系の人にとっては、「本人に合ったやり方を工夫していくこと」は、必要なことだと思います。

 私は理科系出身です。物事の仕組について考える・知るということは、子供の頃から好きでした。こういう私が経験したことを書きます。

1 私は、自分ひとりだけで縄跳びをマスターすることが出来ませんでした。親が縄の動きと身体の動きを分解していちいち説明して、初めて飛べるようになったのです。初めて飛べた瞬間は、嬉しかったのです。
 「これまで、自分の身体の何処をどう動かせばいいのかわからなかった。だけど、縄跳びって、これこれこういう仕組になっていたんだとわかった。面白い。」と、その時に思ったのです。しかし、喜びはすぐに、親の怒鳴り声でかき消されました。
 「どうしておまえだけ、いちいち言って教えないとできないの。他の子は皆出来るのに。『出来ないのは、お宅のお子さんだけですよ。』と(懇談日に)言われたのよ。」

2 私は図画工作の授業も大嫌いでした。しかし、科学雑誌の組み立て付録や図鑑に出ている絵を模写してみることや製図は、好きでした。不器用なので、結局付録はうまく組み立てられなかった・模写や製図は下手くそすぎるものしか書けないといったことはザラでした。
 しかし、やっている真っ最中は、とても楽しかったのです。大人の目には、「見ていられないド下手」としか写らなかったと思いますが。
 私がこれらの事を楽しんでいるのを見て、親は怒鳴りつけました。
 「おまえには才能がないのだから、こんなことをしても無駄だ。将来何の役にも立たない。どうしておまえは、親を怒らせることをするのか。」と。
 こういうことが何度も続いて、私はこれらのことをやめました。そして、科学実験・実習にまで恐怖感を持つようになりました。

3 学校の実技教科授業で、「授業をやったからこそ、これが上達した」という経験を持ったことは、ほとんどありません。前に書き込んだ、体育面の配慮をしてくださった担任教師を除いたら。
 授業を受けてわかったのは、「私はこんなにもできない奴だ」ということだけでした。それだけではありません。実技教科独特の、さらに面倒な問題もありました。
 主要(?)教科が得意な子が苦手な子をバカにした態度を取った場合、大人からとがめられます。しかし、実技教科の場合はそうでないこともよくあります。「下手な奴は、いくらでも貶してよい」という態度をとっても、おとがめがないということはよくあります。それだけではありません。教師が率先して、そういった態度を取ることもよくあります。
 そういう態度をとられた場合、私のような子供にとっては、実技教科の授業は、次のようなものとなります。
 「上達するための情報を教えないだけではなく、出来る子と出来ない子を明らかにするためのもの。そして、出来ない子はその扱いを以って見せしめとするためのもの。」

 3について、更に突っ込みます。
 出来ない(とみなされた)子にとっては、見せしめは不必要で残酷な仕打ちです。それを恨みに思って、反抗したり拒否したりするという行動に出ても、何ら不思議はないと思います。その子が新たに学習するチャンスまで、奪ってしまう危険性もあると思います。
 これが、「授業を受けて得たもの」なのです。子供の側には、実技教科をスルーする権利なんてものはありません。
 出来る子にとっても、学習意欲が育つものになるとは限らないと、思います。この方針で学習意欲が身に付くとしたら、「平均よりも上でいたい」という意欲だと思います。「上達したい」という意欲に結びつくとは限らないと、思います。

 もっとも、教師自身も、どうすればよいのかわからないという状態だとは思いますが。指導方法を研究する環境も時間も、おそらくないと思われますし。また、教師自身がこのような教育を受けていたなら、教師本人が「上達追求の楽しさ」を知らないでいるということもあるかもしれません(と、生意気にも私は想像しています)。

 これまで書いてきた仕打ちを教師や他の子からされている子供が、次のようなことを心の中で思ったとしても、許してあげてください。心の中で思うだけなら無罪です。わざわざ口に出してトラブルを起こさなければいいだけのことです。

 「本当に上手な人って、他の人をバカにすることに関心なんか持たないもんだよ。そういう人って、「上手にやるためのコツって、これこれこういうことだったんだ」とか、「自分の苦手なことについて、これこれこういう工夫をしてみよう」といったことのほうに関心が向いてるもんだよ。他の人をバカにしたがる人って、案外そういう余裕がないのかもしれないね。」
 「生徒をバカにした態度を取る教師なんて、自分が無能教師だとわざわざ言いふらしてるようなもんだぞ。人をバカにする暇があるのなら、教え方を研究・工夫しろ。」

[#5349] 実技教科と、子ども時代の私(続き)
 went メール  - 05/3/31(木) 23:59 -

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    「騒がれることが不快」なのであって、「上達を目指すことが不快であるとは限らない」と、大人になってから思うようになりました。そう思うようになってから、いろいろな発見があります。
 
 去年の秋、書店で次の本を見かけました。
 『イラスト版 修理のこつ 子供とマスターする54の生活技術』三浦基弘・飯田朗 編 合同出版
 (「修理のこつ」の他に、「台所のしごと」等もあり)
 立ち読みしていて、「『おまえはダメだ。才能がない。努力しても無駄だ。』と貶すよりも、「こういった本を見てみろ。工作の時に参考になるかもしれないよ。」と言って欲しかった。」と思いました。
 私が子供の頃にも、こういった本はあったのかもしれません。しかし、仮にあったとしても、当時の私にはこういった本を意識できるだけの余裕はなかったと思います。
 他、松本キミ子さんという人が指導する「キミ子方式」という絵画教室にも、「このような指導をして欲しかった」と思わせるものがありました(田舎に住んでいるので、指導を受けたことはないのですが)。

 「イマジネーションの欠如」ということについても書かれていますが、「既にあるものを真似してみる」という経験が少ない状態でそれらを要求するのも、難しいことかもしれません。
 図工とは違うのですが、九州大学理学部数学科卒の知人から、次のようなことを聞きました。
 「『幾何の問題で補助線が引けないから、自分は数学のセンスがない。』という人がいる。だけど、それは間違いであることが多い。最初から補助線をすんなり引ける人なら、九大なんか入らない。『補助線なんて全然頭に浮かばなかった。だけど、解説・解答をみて、この補助線の背景にはこれこれこういう目的があったのかと考えたり、発想のユニークさにひかれたりすることを何度も経験した。そうしているうちに、初めて見る問題でも補助線が引けるようになっていた。』という人なら、結構いるけどね。」と。
 図工でも似たようなことになってるのではないだろうかと、私は密かに思っています。

[#5365] wentさん、ありがとうございます。
 レオっぴー  - 05/4/1(金) 5:35 -

引用なし
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   wentさん:

当事者としてのwentさんのご意見と経験談、とても参考になりました。

私が心配しているのも、子供が苦手分野に対してコンプレックスを持ち、
自信をなくしてしまうことなんです…ただでさえ、自信のない子なのに。
(親が自信をなくさせているのかもしれませんが(^ ^;))

実技教科はどうしても目立ちますし、
得意な子も周りから歓声を浴び、花形いう感じですよね。
逆に苦手な子は、上手な子との違いを見せつけられる…
そういう辛さが何となく分かるので(私も運動音痴)、
少しでも伸ばしてあげられたら…と思ってました。

でもwentさんのように、親や周囲の大人から
劣等感を植え付けられることも多いんでしょうね。
私も出来るだけ小さな成長も褒めるようにしていますが、
教えている段階で傷つくことを言っていることもあると思います…。反省です。

> 「現段階ではうまく出来ない。必要とあらば、他の人と違った方法を工夫してみるのもいいかもしれない。他の人と違った方法で上達するのなら、その違った方法で訓練するのもよい。上達するプロセスも、他の人とは違うかもしれない。その人独自の方法やプロセスは、他の人のそれらと比べると、見栄えがしないかもしれない。だけど、工夫することやプロセスを楽しめるのならば、それでいい。」という目で見てもらえたら、訓練は苦痛と言い切れないかもしれません。
> また、発達障害系の人にとっては、「本人に合ったやり方を工夫していくこと」は、必要なことだと思います。

そうですね。上達のプロセスにこだわらず、結果にこだわらず、
工夫することや小さな成長を喜んであげられたら、
きっと子供にとってもその訓練された課程が
「訓練した事柄の成長」以外においても財産になりますよね。
そうなるように、私自身も大きな目で子供の成長を見守っていきたいです。

> 「本当に上手な人って、他の人をバカにすることに関心なんか持たないもんだよ。そういう人って、「上手にやるためのコツって、これこれこういうことだったんだ」とか、「自分の苦手なことについて、これこれこういう工夫をしてみよう」といったことのほうに関心が向いてるもんだよ。他の人をバカにしたがる人って、案外そういう余裕がないのかもしれないね。」
> 「生徒をバカにした態度を取る教師なんて、自分が無能教師だとわざわざ言いふらしてるようなもんだぞ。人をバカにする暇があるのなら、教え方を研究・工夫しろ。」

私もそう思いますよ(^ ^)。
息子はまだ小3なので、こういう考えは無理だと思いますが。
子供たちのやる気をなくさせる先生は、
最近の小学校では少ない気がしますが
(どの先生も「褒めて伸ばす」という感じ)、
中高生になると途端に増えそうですね…。ちょっと心配です。

[#5366] Re:実技教科と、子ども時代の私(続き)
 レオっぴー  - 05/4/1(金) 5:41 -

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   wentさん、続きに対する返信です。
 
> 去年の秋、書店で次の本を見かけました。
> 『イラスト版 修理のこつ 子供とマスターする54の生活技術』三浦基弘・飯田朗 編 合同出版
> (「修理のこつ」の他に、「台所のしごと」等もあり)
> 立ち読みしていて、「『おまえはダメだ。才能がない。努力しても無駄だ。』と貶すよりも、「こういった本を見てみろ。工作の時に参考になるかもしれないよ。」と言って欲しかった。」と思いました。

これは不器用な子でも参考になりそうですか?
ぜひ読んでみたいと思います(^ ^)。

> 図工とは違うのですが、九州大学理学部数学科卒の知人から、次のようなことを聞きました。
> 「『幾何の問題で補助線が引けないから、自分は数学のセンスがない。』という人がいる。だけど、それは間違いであることが多い。最初から補助線をすんなり引ける人なら、九大なんか入らない。『補助線なんて全然頭に浮かばなかった。だけど、解説・解答をみて、この補助線の背景にはこれこれこういう目的があったのかと考えたり、発想のユニークさにひかれたりすることを何度も経験した。そうしているうちに、初めて見る問題でも補助線が引けるようになっていた。』という人なら、結構いるけどね。」と。
> 図工でも似たようなことになってるのではないだろうかと、私は密かに思っています。

うちの兄(アスペ系)がよく
「数学は美しい、物理は美学だ」などとのたまっていましたが、
こういうことからなのでしょうか。根っからの文系人間の私には分かりませんが。
つまり、「創造」に対する興味関心の深まりがまず先にあり、
それから技術がついてくる――ということですね。
楽しさを教えることが大切…とは思いますが、
私もついつい技能を伸ばすことばかりに力点が入り、
楽しさを教えることを忘れている気がします…。

[#5428] Re:実技教科と、子ども時代の私(続き)
 penpen メール  - 05/4/3(日) 9:13 -

引用なし
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   ▼レオっぴーさん:

こんにちは。
実技科目ですが、わたしは子供の頃ものすごく球技が苦手でした。
たとえば“バトミントンの羽を見て羽と認識した次の瞬間には
すでに羽が床に落ちている”というか……。
バレー、テニス、卓球みなそうでした。(体育の時間)
上手な人は“羽を見たら、その羽が落ちそうな所に走っていく”というのですが
それが全くできませんでした。
体育の時間はほぼ棒立ちというか……。

それが40を過ぎてから突然、体育が上達しました。
町の公民館の親子教室でバトミントンをやったとき、
なぜか羽を見て、どこに落ちるか予測でき、
打ち返すことができるようになりました。
で、“上手ですよね”と先生に言われ(おせじもあると思いますが)

夫とバトミントンをやってもたまには勝ちますし、
中学の卓球部だった長男と卓球をやっても2年目の頃は勝ったし、
(スマッシュなんかはだめですが)
夫と卓球をやっても勝ったし、
PTAで子供対大人でバスケットをやったら
“前はバスケット部だったの?上手だね”と言われたし、
(いや、シュートしたわけではなくそれらしく動いただけと思いますが)
親子スキー教室でちょっこっと最後の1時間だけ
生まれて初めてスキーをやったら“すごく上達が早い”と言われたし、

なんか学校を卒業して30年ほど運動とは無縁だったので自分で
運動が上達したとは思いもかけなかったです。

運動ができるようになったのは
“見たものをすばやく認識する”
“次の玉の動きを予測する”
“望んだ通りに体を動かす”ことが前より
できるようになったからだと思います。

昔のわたしならいくら練習しても球技は
できるようにはならなかったように感じています。

見た目は相変わらず運動とは無縁ですが……。

[#5432] Re:実技教科と、子ども時代の私(続き)
 Chiquitita メールホームページ  - 05/4/3(日) 18:06 -

引用なし
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   割り込み失礼します。(^o^)/

▼penpenさん:
>それが40を過ぎてから突然、体育が上達しました。
>町の公民館の親子教室でバトミントンをやったとき、
>なぜか羽を見て、どこに落ちるか予測でき、
>打ち返すことができるようになりました。
>で、“上手ですよね”と先生に言われ(おせじもあると思いますが)
>
>夫とバトミントンをやってもたまには勝ちますし、
>中学の卓球部だった長男と卓球をやっても2年目の頃は勝ったし、
>(スマッシュなんかはだめですが)
>夫と卓球をやっても勝ったし、
>PTAで子供対大人でバスケットをやったら
>“前はバスケット部だったの?上手だね”と言われたし、
>(いや、シュートしたわけではなくそれらしく動いただけと思いますが)
>親子スキー教室でちょっこっと最後の1時間だけ
>生まれて初めてスキーをやったら“すごく上達が早い”と言われたし、
>
>なんか学校を卒業して30年ほど運動とは無縁だったので自分で
>運動が上達したとは思いもかけなかったです。

案外こういったケースって多いのかな?
私も、以前職探しのさなか、職業訓練の6ヶ月コースを受けていたときに、レクリエーションタイムで他の参加者とバレーボールしていたときに、(中学校〜高校ではサーブがなかなか相手側に届かず、ネットに引っかかって自分側の陣内に毎回のように落ちていましたが)軒並み相手の陣内を通り越して反対側の壁を直撃することが多かったですね。
レシーブも軒並み天井に当たる、というほど。
そういえば、水泳にしてもなかなか50m以上連続して泳げなかったのに、最近は最長で150mを泳ぐことができるようになりました。(実は裏技を使用しているが)

発達障害を意識するようになった、という理由だけではどうにも説明が付かないような気がします。(^^;)

でもテニスのドクターストップは一生解除されない(;_;) 「ロボコップ」になりたい…

[#5436] penpenさん、ありがとうございます(^ ^)。
 レオっぴー  - 05/4/4(月) 10:34 -

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   penpenさん、返信ありがとうございました。


>実技科目ですが、わたしは子供の頃ものすごく球技が苦手でした。
>たとえば“バトミントンの羽を見て羽と認識した次の瞬間には
>すでに羽が床に落ちている”というか……。

息子もそんな感じです。
動体視力に問題があるのかしら…と思ってました。
それでも、すこーしづつバトミントンのラケットが
羽に追いつきつつありますが、
今度はラケットの向きに問題があって打てなかったり…。
バスケットもドリブルをしているうちに
どんどんボールが下に沈んでいきます…(--;)。
どんなドリブルの仕方をしているのか…私にはよく分かりません。

>それが40を過ぎてから突然、体育が上達しました。
>町の公民館の親子教室でバトミントンをやったとき、
>なぜか羽を見て、どこに落ちるか予測でき、
>打ち返すことができるようになりました。
>で、“上手ですよね”と先生に言われ(おせじもあると思いますが)

そういうこともあるんですね(@_@)。正直驚きました。
一生持って生きていく課題だと思っていましたから。
何かのきっかけや、年齢を経る段階で、
変わっていくこともあるのですね。

お話を聞き、とても希望が持てました(^ ^)。

>運動ができるようになったのは
>“見たものをすばやく認識する”
>“次の玉の動きを予測する”
>“望んだ通りに体を動かす”ことが前より
>できるようになったからだと思います。
>
>昔のわたしならいくら練習しても球技は
>できるようにはならなかったように感じています。

その変化の時はいつ訪れるのでしょうね…人によって違うとは思いますが。
penpenさんも「気が付いたら、突然…」という感じだったんですね。

息子もこの前まで全く出来なかったことが、教えなくても
突然すらすらと出来るようになっている――ということがあります。
広汎性の子は、親や専門家が気づかない
秘めたる可能性があるのかもしれませんね(^ ^)。
期待しておきます!

[#5438] Re:penpenさん、ありがとうございます(^ ^)。
 penpen  - 05/4/4(月) 14:10 -

引用なし
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   ▼レオっぴーさん:
>penpenさん、返信ありがとうございました。

いいえ、どういたしまして……。(=^・^=)

運動とか歌とか美術とかの実技系はできるとすごく
楽しいのですが、
できないととっても悲しいというか……。

長男ももとの運動能力は高いようですが
どこか動きがぎこちなくイマイチ期待していただいたほどには
上達しませんでした。
で、勝たないととっても練習するのがつまらなくなるらしくて……。

でも30年運動を全くしなかったわたしが
中学2年生の時に地区で入賞するレベルだった息子に
卓球で勝つのには正直自分で驚きました。
(卓球というよりピンポンですが)
体育の時間が死ぬほど嫌いで
それからずっと運動を避けていたわたしが
“なんで勝つの!?”とびっくりというか……。

>息子もこの前まで全く出来なかったことが、教えなくても
>突然すらすらと出来るようになっている――ということがあります。
>広汎性の子は、親や専門家が気づかない
>秘めたる可能性があるのかもしれませんね(^ ^)。
>期待しておきます!

はあ、仕事もそうでしたが、最初は全くちんぷんかんぷんですが
何かの回路がつながるとすごく早くなって
人よりできるようになる場合がありました。
わたしの場合、それは無理強いされてもだめでしたが、
秋桜さんの療育のお話しを聞くと適切に指導を受けると
きちんと上達するものかもしれませんね。

指導をしてくださるかたを探すのは大変ですし、
親がその指導をするのはものすごく困難とは思いますが……。

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