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「騒がれることが不快」なのであって、「上達を目指すことが不快であるとは限らない」と、大人になってから思うようになりました。そう思うようになってから、いろいろな発見があります。
去年の秋、書店で次の本を見かけました。
『イラスト版 修理のこつ 子供とマスターする54の生活技術』三浦基弘・飯田朗 編 合同出版
(「修理のこつ」の他に、「台所のしごと」等もあり)
立ち読みしていて、「『おまえはダメだ。才能がない。努力しても無駄だ。』と貶すよりも、「こういった本を見てみろ。工作の時に参考になるかもしれないよ。」と言って欲しかった。」と思いました。
私が子供の頃にも、こういった本はあったのかもしれません。しかし、仮にあったとしても、当時の私にはこういった本を意識できるだけの余裕はなかったと思います。
他、松本キミ子さんという人が指導する「キミ子方式」という絵画教室にも、「このような指導をして欲しかった」と思わせるものがありました(田舎に住んでいるので、指導を受けたことはないのですが)。
「イマジネーションの欠如」ということについても書かれていますが、「既にあるものを真似してみる」という経験が少ない状態でそれらを要求するのも、難しいことかもしれません。
図工とは違うのですが、九州大学理学部数学科卒の知人から、次のようなことを聞きました。
「『幾何の問題で補助線が引けないから、自分は数学のセンスがない。』という人がいる。だけど、それは間違いであることが多い。最初から補助線をすんなり引ける人なら、九大なんか入らない。『補助線なんて全然頭に浮かばなかった。だけど、解説・解答をみて、この補助線の背景にはこれこれこういう目的があったのかと考えたり、発想のユニークさにひかれたりすることを何度も経験した。そうしているうちに、初めて見る問題でも補助線が引けるようになっていた。』という人なら、結構いるけどね。」と。
図工でも似たようなことになってるのではないだろうかと、私は密かに思っています。
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