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Chiquitita様、暖かいお返事、励ましのお言葉本当にありがとうございます。お名前を見る度に、昔好きだったアバのことを思い出します。
この掲示板に投稿する前に、以前の皆さまの発言等を見ていたので、Chiquititaさんのこれまでの発言を思い出し、胸が一杯になりました。今までずいぶん辛い思いをされてきたんですよね。
私は投稿が初めてということもあって、少し文面を美しく飾りすぎたような気がします。前回書いた息子との会話のやり取りも、本当はあれほどスムーズではなく、全体的にああいう感じだったというだけで、息子が悟っているとか、結構しっかりしてるとか言う印象をもたれたなら、それは多分間違いです。
私は、発達障害のことなど何一つ知らずに息子を18年間育ててきたのですが、いつも何かことあるたびに思っていたのは、「幸福な家庭は皆一様に同じく幸福だが、不幸な家庭は皆それそれ違う形で不幸だ。」と言う言葉です。
その「幸福な家庭」を「普通の子」、不幸な家庭を「普通とは違う子」、「幸福」という言葉を「普通」と置き換えて考えていました。(すみません。不勉強だったもので、皆さんの使われる定型発達とか、その他色々な専門用語?を使うのにまだ抵抗があり、私なりの表現をさせていただきます。不適切と思ったらご指摘ください。普通という言葉は変でしょうか?)
わが息子が、皆とかなり違ったのに、なぜか見過ごされて小学生時代を過ごしたのは、幸運(考えようによっては不幸なのですが)な事に、我が子より目立つ問題児が何人かいたという事実があります。彼らはまれに見る個性派軍団(俗に言う悪ガキ)で、暴力的な子もいれば、ふと気づくと家に帰ってしまっているような子、今の時代なら確実に何かの診断名がつくような子が他に何人かいたのです。
わが息子は言葉は足りず、行動は奇異で、運動能力は幼稚園児以下、明らかに変わっている、と思われていましたが、少なくても暴力的ではなく、見た目が可愛らしかったので(今では違います。親ばかと思われそうですが、子供時代は女の子のように可愛かったのです。)許容範囲として許されていたのだと思います。
もちろん、いじめまがいの事はたびたびありました。それなのに、息子は頭をたたかれながら、その個性派軍団について歩くのです!他に構ってくれる者がいなかったから。なんで?と言う感じでしたが。
笑えないことですが、担任の先生は翌年教職を辞められました。(汗)
今、考えるとなかなか波乱万丈な半生でした。何をいっても理解しないように見える息子を何度怒鳴ったことか。
以前、Chiquititaさんは高校で友だちを一人作るより、国立大学へ入学することの方が簡単だった、と言うようなことを言っておられましたね。思わず笑っていしまいました。まさに息子と同じ。
シンクロする部分が随分あるので、この掲示板で見るChiquititaさんの発言はとてもありがたかったです。Chiquititaさんの色んなお言葉から、私も随分彼を傷つけることを言ってきたなあ、と今さらながら冷や汗ものでした。私の考え方、もしくは価値観は彼の考え方、価値観とは大分違っていたんだろう、と反省させらたのです。
私が良かれと思うことは、必ずしも彼にとって良いこととは限らない。分かってはいたのですが、今後ともこれを肝に銘じて見守っていこうと思います。
また、ご指摘、助言等ありましたら喜んでうかがわせていただきます。感謝がまた一つ増えました。
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