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秋桜さん、こんにちは。
館にはお世話になっております。
言語の話と脳の話に興味があるので、秋桜さんの投稿は興味深く読ませて頂いています。
>私は他の所にも書いたのですが、実は日本語を文字から覚えました。
母語を文字から覚えて後に音と結びつけたというのは、言葉と音声がなかなか切り離せない私にはすごい事に思えます。
私は幼稚園に入る前に誰も教えていないのにいつの間にか勝手にひらがなや数字を覚えていて親がびっくりしたそうなんですが(こちらにはそういう方が多そうですが)、誰も教えていなくてただ目で見て覚えただけならそのままでは音声とは結びつかないでしょうし、人から見て「文字を覚えている」とわかったという事は多分同時にその文字がどの音を表すのかも覚えてそれを読みあげるなどしたのだと思われるので、どうやって何で覚えたのか、自分でも興味があるのですが、まだ確認していません。
>小学校に上がってから不思議だったのは、「どうしてみんな、黙読できないんだろう」ということと、「どうして音読しないと意味を取れないんだろう」ということでした。
私は、本を読む時には目で見ながら頭の中で音声に変換しているのに、
実際に声に出して音読すると、秋桜さん同様、書かれている内容がまったく把握できなくなるんです。
音読すると意味がとれなくなるのは小学低学年の頃に気付いて不思議でした。
私の場合は、耳からフィードバックされる自分の声が脳内で認識される頃には、すでに目はその先を読んでいるので、その声が目から入る文字を読み上げている頭の中の声をかき消したり、二つの声が混乱して理解できなくなるのかと思うのですが、わかりません。
>また活字中毒の傾向があり、電車に乗っているといつも中吊りを半ば強迫的に読んでいます。
私も強迫的な文字中毒でした。
いつからかはわかりませんが、20代始めぐらいまでは、道の看板でも部屋に落ちてるチラシでも、目に入る文字は何でも読まずにいられなかったんです。それを頭の中で音にして読み上げていたかどうかは定かではないですが。
>むしろマナミさんと逆で疲れてくるとテレビのお笑い番組のように頭の中に音声に対応する文字が出てきます。
そういえば10代の頃は、人が話すのを聞くと脳裏にその会話が文字になって流れ、自分が話す時には頭の中で作文を書くように文を書いてその文章の映像を読み上げていました。
いつもそうだったのかどうかはわからないのですが、中学の時にそれに気付いて周りの人に聞いたらそんな事はしないと言われました。
でも、文字を読み上げていたにしては、当時の私はすごい早口で、テープレコーダーの早回しのようだと言われ、早すぎて聞きとれないとしょっちゅう言われていました。
その頃は本を読むのも音に直しているにしては人より早く、声に出して読む音読も早かったです。
一度、授業で教科書を音読するように言われた時、他の人は一段落ぐらいずつ読んで交代しているのに、私だけ一章まるまる読み終えてもストップがかからず、先生に「まだ読むんですか?」と聞いたら「早すぎてどこを読んでいるのか目がついていけなかった。どこまで読んだ?」「この章を読み終わりました」「ええっ!もうそんなところまで!」とすごく驚かれたのを覚えています。
>さらに疲れてくると音声が全て「ドレミ」のような音階になってしまいます。
>ちなみに私の姉は一時プロのピアニストを目指していた人なので、曲を聞くと楽譜が頭の中にイメージされるのだそうです。さすがに私はここまではできませんが、音符を読むと一応頭の中にメロディーは流れます。
脳の視覚情報や音声情報の変換は、十数年前に養老孟司先生の本を読んで以来興味を持っています。
視覚←→音声の話とはまた少し違うんですが、幼少時からそろばんをしていた知人がいて、数字を見聞きすると瞬時にそろばんの珠の映像に変換されるそうで、カレンダーを見てもそろばんの珠が並んでいるように感じ、電話番号を聞いてもそろばんの珠が浮かび、電話番号を思い出す時には頭に浮かんだ珠を読み上げるんだそうです。
そろばんをされている方にはそういう方が多いのでしょうか。
脳の中の情報処理の過程は人それぞれで興味深いです。
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