アスペルガーの館の掲示板

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[#5744] ASの息子 さくら咲く 05/4/19(火) 0:07 [未読]

[#5798] Re:横道にそれますが ユニコーン 05/4/20(水) 22:42 [未読]
[#5802] Re:横道にそれますが went 05/4/21(木) 0:11 [未読]

[#5798] Re:横道にそれますが
 ユニコーン  - 05/4/20(水) 22:42 -

引用なし
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   ▼wentさん:

ご本人の具体的な経験談、ありがとうございました。とても興味深かったです。何分にも私が現実に見ている具体的な参考例が、自分の息子と少数の(多分自閉症スペクトラムのどこかに位置すると思われる)子供達だけなので、まだまだ分からない点が多いのです。
 
> 「繰り返し学習や、暗記科目が得意」ということに加えて「具体的、実感的な理解を求める」面が、ASの人には結構あるのではないかと、私は思います。

これは、物事の本質を探りたい欲求、と捕らえていいでしょうか?私は、さくら咲くさんの例を踏まえて、小学生を念頭においてコメントしていたのですが、もし、上記のような興味、関心が小学生の頃からあるとしたら、それはとても良いことのように思えます。うまく指導すれば(長い目で見て)ASのいい面としてあらわれるでしょうね。

> 「他の分野との関連・因果関係・用語の意味・具体例・別解・類例等」といったようなことが示された場合、そちらに関心が向いてしまうという面があるのではないかと思います。

これは、自分の息子についてもよく実感していました。(上に挙げた物が全部当てはまるわけではありませんが)ただ、息子の場合、教科書に集中できず、あちこちに意識が飛ぶのではないか、という疑惑もあったので、本当に関心があったかどうか、は定かではないです。wentさんはコメントから見てもとても理解が早い子で、さらに理科系の方の様なので、教科書に書いてある事では物足りず、上記のような物に関心があったのでは?

> 小学校の試験は、「具体的、実感的な理解」よりも「評価されるための表現練習(バラバラの事項を、試験に出される形で表現する練習)」という性格が強いのではないかと思います。

一昔前の日本の教育方針は本当に「知識偏重」「訓練偏重」でした。今は「ゆとり教育」の名の下に以前とはかなり違う趣旨で教育が行われていると思います。wentさんのいわゆる「具体的、実感的な理解」が得られるように、グループ学習が多かったり、調査発表形式、ディベート、レポート方式、どれも自分の息子が卒業してからより顕著になりました。

評価もテストだけではなく、ふだんからの取り組み方や自己表現力が加味されるようになりました。かといって、これが成功しているかというと、皆さんが知っているようになかなかうまくいっていないのが実情です。先生のやり方や力量でとても差が出るからです。

私は息子が卒業してからで良かった、と正直思いました。どれも息子の苦手分野だったからです。発表、グループ学習、ディベートなど!立ち往生する息子の姿が目に浮かびます!

> 「スポーツはできない。芸術もダメ。天真爛漫な子供でもない。勉強以外には取り柄がない。」という方向と、「いろいろと可能性が考えられるうちのひとつとして、勉強がある」という方向とでは、まるっきり違うと思います。

それは確かにおっしゃるとおりだと思います。ASとかに限らず、定型発達の子の場合も当てはまります。でも、やはりオンリーワンでもナッシング・アット・オールよりはいいので、と思うのはやはり親のエゴなのでしょうか。

> 前者の場合、子供にとってはプレッシャーになります(少なくとも私はそうでした)。

そうですね。そういうケースも多いでしょうね。これも定型発達の人にも当てはまりますね。個人差もあると思います。私の息子はお勉強がそれなりにできる、というのは一つのプライドになってたように思います。プライドになるかどうかは、周囲の激励や評価の仕方にもよるのではないでしょうか?「お前にはこれしかないんだぞ。」的な言われ方をすればプレッシャーどころか反発したくなるでしょう。wentさんが正当に評価してもらえなかったのだとしたらお気の毒だと思います。

> 「華々しい結果を出したから自信が付く」というものでもないと思います。
> 「自分がやりたいことを、落ち着いた状態でやっている時に、上達していく過程(それが、ほんの僅かな進歩であったにせよ)を楽しめた。そしてそれを、信用している人に認められた。」という場合に、自信につながるのではないかと私は思います。

本当にそうですね。wentさんの言うように、子供にとって一番嬉しいのは、その努力の過程を正当に評価してもらえる事でしょうね。その上で結果が出ればますます嬉しいでしょう。それを忘れて親は「自分のために」結果を求めすぎるのカも知れません。

ASの子は色んなことを努力しても、どれも結果が出るのが人より遅く見えてしまうので、つい見落としがちになるのでしょう。親や先生がきちんとそれを見つけて認めてあげなければいけませんね。今は小、中学校も相対評価から絶対評価に変わってきたので、(地域格差も大きく私立は違いますが)人と比較せずに、本人が少しでも成長したと認められれば先生も評価するようになって来ているはずですが、これもまた難しいようです。

wentさんのおかげで、また色々考えさせられました。ありがとうございます。また、さくら咲くさんのスレッドを借りて長々と語ってしまって申し訳ありません。さくら咲くさんのお子さんとご自身が少しでも良い方向へ向かうことができますようにいのってます。wentさん、ご自身の経験などまた教えてください。

[#5802] Re:横道にそれますが
 went メール  - 05/4/21(木) 0:11 -

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   ▼ユニコーンさん:
>▼wentさん:
>
>> 「スポーツはできない。芸術もダメ。天真爛漫な子供でもない。勉強以外には取り柄がない。」という方向と、「いろいろと可能性が考えられるうちのひとつとして、勉強がある」という方向とでは、まるっきり違うと思います。
>
>それは確かにおっしゃるとおりだと思います。ASとかに限らず、定型発達の子の場合も当てはまります。でも、やはりオンリーワンでもナッシング・アット・オールよりはいいので、と思うのはやはり親のエゴなのでしょうか。

 ごめんなさい。私の書き方がまずかったです。
 「スポーツも勉強もダメ。天真爛漫でもない。この子には勉強しか取り柄がない。」という目で見るよりも、「この子にはいろいろな魅力や可能性がある(本人や身近な人が気付いていないものも含めて)。勉強は、そのいろいろあるうちの一つだ。」という目で見たほうがいいと思う、という意味です。

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