アスペルガーの館の掲示板

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[#5908] 修復困難な親子関係 Chiquitita 05/4/24(日) 13:15 [未読]

[#5973] 修復困難な親子関係(補足) Chiquitita 05/4/26(火) 11:18 [未読]
[#6035] Re:修復困難な親子関係(補足) phai 05/4/28(木) 23:08 [未読]
[#6038] Re:修復困難な親子関係(補足) Chiquitita 05/4/29(金) 3:17 [未読]

[#5973] 修復困難な親子関係(補足)
 Chiquitita  - 05/4/26(火) 11:18 -

引用なし
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   まあ、こんなことで不平不満を打ち明けるときは、往々にして自分自身の落ち度を棚上げすることが多いですが、オフクロが私の存在に完璧な依存状態にある原因が、私が甘え過ぎたこと以外、思い当たる節がありません。オフクロにとっては、親父のDVの後遺症も深刻です。

現に生きていることについては、神様に感謝することが出来ても、育ての親にはまったく感謝することができません。今まで例え形だけでも仲睦まじかっただけに、断腸の思いです。

このサイトにお越しの方々の中には、お子様の立場で親子関係に於いてつらい思いをされた方もいらっしゃると思いますが、差し支えなければ、その当時のエピソードや、どのようにその難局を乗り切ったかを聞かせていただきたく存じます。

私には、過保護と虐待が紙一重に思えてなりません。例え思い過ごしであっても、過保護の裏に発達障害や知的障害に対する偏見があったのかと思うと、腹立たしさのあまり、やり切れない気分に駆られます。

連休は予定通り帰省しますが、帰省中の最大の楽しみは、家族との再会よりも、5月2日の「円山公園で会いましょう」です。

最近になって、方々のオフ会に出て感じるのは、如何にオフクロのアドバイスの方向性が狂っているのかということです。本当に自分の息子が可愛いのであれば、「可愛い子には旅をさせよ」「子孫のために美田を遺さず」というのも親心。
もっとも、Chiquititaファミリーの「当たり前」が、余所では「当たり前」でないと解っていても、障害者の子供を産んでしまったという事実に苦しむあまり、自身の鬱状態も拡大したとあっては、自分の心配のネタがひとつでも解消して欲しいのでしょう。

私がオフクロのイエスマンであれば、オフクロの心配事は確かに無くなります。しかし、そんな消極的な方法で改善するほど、鬱状態の治療は生易しいものではないので、オフクロにはきっぱり言います。「早く病院へ行って、鬱を治せ」

私の愚痴に長々とお付き合いいただきありがとうございました。

[#6035] Re:修復困難な親子関係(補足)
 phai  - 05/4/28(木) 23:08 -

引用なし
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   Chiquititaさん、こんばんは。

>現に生きていることについては、神様に感謝することが出来ても、育ての親にはまったく感謝することができません。今まで例え形だけでも仲睦まじかっただけに、断腸の思いです。

わたしもずっと親に感謝などしてこなかったのですが、全く予期しないときに
突然「生んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう」という気持ちが
天から振ってきました。
それは、知人のお母さんの話を聞いていたときのことでした。
実はキッチンドリンカーだったということが発覚し、家族の誰も(知人、兄弟、
父)気づかず、わかったときにはかなり体が危なかったという状態だったのが、
知人が抵抗していたお母さんをアルコール依存の自助グループになんとか
行かせ、回復してきているという話でした。

何がどう、という理屈じゃなかったんです。知人のお母さんとわたしの母の
苦悩が重なり(母は鬱々とした専業主婦。お酒は飲みませんでしたが)、
それをなんとかして回復まで持っていった、わたしと同じ娘という立場の知人
が努力し、行動した姿に、なぜかわたしが癒されてしまった・・・そんな感じ
です。

後付けのこじつけで解釈してみると。
娘であるわたしも、母に対してそうしてあげられるものならそうしてあげた
かった。でもできなかった。助けてあげるどころか、恨み言ばかり思っていた。
そしてそのときすでに母は死んでしまっていたのですが、もうわたしが母の
ためにしてあげられることはなく、見方によっては、母もわたしのために
ポジティブなことをしてくれなかった、わたしも母のためにポジティブな
ことをしてあげられなかった(つまり、知人が示してくれたような可能性が
あったのに行使しなかった)、それでイーブンでチャラになった、という
感じですかねぇ。貸し借りなし、みたいな。

そこが相殺されたことで、浮き上がってきたのが、母(そして父)が、わたし
が幼子から学校を卒業するまでに(実は時々今も経済的には頼っています)、
命を保つためにしてくれたことの数々・・・。
精神的には辛かったけれど、食べ物、家、衣服を用意してくれたこと、それ
だけでもよくやってくれたことなんだ、心を配ってやり続けてくれたこと
なんだとしみじみ感じられたんですね。

わたし自身、そんな展開が訪れようとは夢にも思っていなかった・・・それが
去年の夏のことでした。
帰宅して、心から遺影に手を合わせたのは言うまでもありません。
「まだ22才でわたしを産んで、初めての子育てで、落ち着きのない子で、
すぐ目を離すとどこかに行ってしまって心配して、お母さん(わたしにとって
のおばあちゃん)もそばにはいなくて心細くて、ちょっと目を離したスキに
家で大やけどを負わせてしまったりして、夜は全く寝ないで親の睡眠も妨害する
ような子で・・・こんなに子育てがたいへんならもう1人しか育てられないと
思ったんだよね。どんなにわたしを育てるのが大変だったか。あなたの神経が
細かったというのはあるけれど、でも辛かったよね。そして頑張ったね。
・・・ありがとう。今わたしがこうしてここにいられるのは、あなたが育てて
くれたおかげです」

・・・とまぁ、「美談」になっているのも、母がもう亡くなっているという
ことがあると思いますが。
今年でもう9年になりますが(享年55歳)、当時は早めに亡くなってくれて
正直ホッとしました。あの母が年老いてからもずっと付き合うのかと思うと
嫌になってましたから。精神か体かどっちかが病むのは間違いないと思って
いたら、体の方が先に限界に来たようでした。

先日、あるお母さんが小学校を卒業する我が子のために作った歌というのを
聞き、そこに「生まれてくれてありがとう」というフレーズがありました。
それを聞かされて育てられたらどんなに幸せな子ども時代を送れたかなぁ
・・・なんてうらやましく思ったけれど、わたしの母はそんなふうに思う
余裕がなかったんだろうし、もう母や父の「未熟さ」を責める気持ちには
なれません。
ただ、わたしの心に植えつけられた緊張感とか人間不信などがそれによって
氷解するわけではなくて、別な話ですね。
これから自分で徐々に解放させてあげたいと思います。

以上参考になるかどうかわかりませんが、こんな話もあるよということで
ご笑覧くださいませ。

[#6038] Re:修復困難な親子関係(補足)
 Chiquitita メールホームページ  - 05/4/29(金) 3:17 -

引用なし
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   コメントありがとうございます。

▼phaiさん:
>わたしもずっと親に感謝などしてこなかったのですが、全く予期しないときに
>突然「生んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう」という気持ちが
>天から振ってきました。
>(中略)
>何がどう、という理屈じゃなかったんです。知人のお母さんとわたしの母の
>苦悩が重なり(母は鬱々とした専業主婦。お酒は飲みませんでしたが)、
>それをなんとかして回復まで持っていった、わたしと同じ娘という立場の知人
>が努力し、行動した姿に、なぜかわたしが癒されてしまった・・・そんな感じ
>です。

案外、我が家もそんな感じになるのかな…

>娘であるわたしも、母に対してそうしてあげられるものならそうしてあげた
>かった。でもできなかった。助けてあげるどころか、恨み言ばかり思っていた。
>そしてそのときすでに母は死んでしまっていたのですが、もうわたしが母の
>ためにしてあげられることはなく、見方によっては、母もわたしのために
>ポジティブなことをしてくれなかった、わたしも母のためにポジティブな
>ことをしてあげられなかった(つまり、知人が示してくれたような可能性が
>あったのに行使しなかった)、それでイーブンでチャラになった、という
>感じですかねぇ。貸し借りなし、みたいな。

私の場合も親父はほぼ同様にして12年前に死んでいます。
phaiさんの場合と違うのは、暴力や暴言がすさまじかったこと。オフクロは親父のDVに対するPTSDも抱えていますが、それについても「病は気から」で押さえつけようとしています。

もしかすると、私との親子ゲンカで、オフクロはフラッシュバックを感じているのかもしれません。

>そこが相殺されたことで、浮き上がってきたのが、母(そして父)が、わたし
>が幼子から学校を卒業するまでに(実は時々今も経済的には頼っています)、
>命を保つためにしてくれたことの数々・・・。
>精神的には辛かったけれど、食べ物、家、衣服を用意してくれたこと、それ
>だけでもよくやってくれたことなんだ、心を配ってやり続けてくれたこと
>なんだとしみじみ感じられたんですね。

そうなんですよ。私もそれが解っていながら、感謝の気持ちよりも身障や発達障害を侮辱された気持ちのほうが勝っています。
だからすべてが世間体を気にするあまり、親が保身のためにとった行動に思えてならないのです。

>・・・とまぁ、「美談」になっているのも、母がもう亡くなっているという
>ことがあると思いますが。
>今年でもう9年になりますが(享年55歳)、当時は早めに亡くなってくれて
>正直ホッとしました。あの母が年老いてからもずっと付き合うのかと思うと
>嫌になってましたから。精神か体かどっちかが病むのは間違いないと思って
>いたら、体の方が先に限界に来たようでした。

私の場合はむしろ逆でして、親父が死んだ当座は悲しかったけど、社会人になっても恋愛どころか車の運転免許の取得にすら反対したこと、私が必要に迫られて自動車学校へ通いだした直後に家の中の電気製品が片っ端から原因不明の故障を起こしただけでなく、勤め先の業務用のパソコンまで故障したということで「親父の怨念」と騒がれたことで、すべてが親の都合による過保護に感じられるようになり、時間が経過するに従って「殺す手間が省けた。勝手に死んでくれて清々した」という気持ちに変わっていきました。そういう考え自体空恐ろしく感じています。

>先日、あるお母さんが小学校を卒業する我が子のために作った歌というのを
>聞き、そこに「生まれてくれてありがとう」というフレーズがありました。
>それを聞かされて育てられたらどんなに幸せな子ども時代を送れたかなぁ
>・・・なんてうらやましく思ったけれど、わたしの母はそんなふうに思う
>余裕がなかったんだろうし、もう母や父の「未熟さ」を責める気持ちには
>なれません。
>ただ、わたしの心に植えつけられた緊張感とか人間不信などがそれによって
>氷解するわけではなくて、別な話ですね。
>これから自分で徐々に解放させてあげたいと思います。

私は、室蘭にいる限りこういったことは不可能だと感じているため、こうして茨城にいるわけですが、でも私にとっては茨城は非常に居心地はいいですね♪ なぜもっと早くここに来ることができなかったのかな、と思うくらいです。

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