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▼wentさん:
貴重な体験話をどうもありがとうございました。
随分 辛い目に合われたのですね。
やはり、周りの理解はなかなか得られないということなのかなと
感じました。
子ども自身は自分のことがわかっていなくても、周りはよくわかっているようです。
この問題は解決が難しく、ずっと続いていきそうです。
>▼たくママさん:
>>新一年生のアスペの男の子がいます。
>>性格はよく笑い、嫌な事もすぐに忘れてしまうような元気な子です。
>
>>友達と会話はするけれど、急に自分だけがわかることを話すので、長続きはしません。
>>
>>こっそり見に行くと下校も一人で歩いているし、口が達者な男の子たちに
>>「おーい 変なやつー」と、後ろから からかわれたりしています。
>>低学年だと、こういうからかいって遊び感覚なのはわかっているけれど、
>>本人は全く気がついていないのがツライです。
>>学校の勉強も好きだし、学校のことを聞くと
>>「叩く子がいるけれど、たまやし別にいいんちゃう?」と言うし
>>「学校面白い」と言います。
>>
>>きつく苛められてはいないけど、からかわれるのを見るのはツライです。
>>先生には我が子の特徴などを理解してもらっていますが、子供までは
>>やはり無理です。
>>息子がどうして自分は仲間に入れないのかを考えないと無理だと思います。
>>相手をたしなめる事も場合によっては必要ですが、結局は本人が
>>変わらないと、何も解決されなくて また同じ問題で悩むことになってしまいます。
>>
>>同じような経験をされている方、どういうふうにされていますか。
>
>
> 「どうして自分は仲間に入れないのかを考えるようになったとき」というのは、同時に、「『自分の住んでいる世界は、自分がこれまで常識だと思っていたことが通じない、ワケのわからない異世界だ。』と知るとき」と言えるのかも、知れません。
> 私の場合はそうでした。「『ワケのわからない異世界の常識を知らない』ではすまされないということらしい。だけど、何をどうすれば常識がわかるのか、とんと見当が付かない。」という状態は、私にとっては混乱状態でした。
> そういう状態の時には、「悩みや苦しみや葛藤も必要だ。だけど、『いじめ等の危害が加えられるのは不当だ』という権利意識を失ってはいけない。」ということも、本人が知っておいたほうがよいと思います。
>
> 小学生時代の私も、「(自分が興味を持っている)科学的なことしか話さない子供」と見られていたのだと思います。小学校中学年頃まで、私自身はこのことに無自覚だったのだと思います。「おまえは科学的なことばかり言う。そんなのはダメ。」と、親からしょっちゅう言われていました。
> それに加えて私は、「不器用」「運動下手」「状況判断力が弱く、適切な行動を取れない」子供でした。からかいやいじめのターゲットになっていました。
>
> 状況判断力があまりにもなさすぎたので、小学校低学年までは、からかいのターゲットにされていることに気が付きませんでした。
> (私が何かに触れると)、「アカが付く。汚い。」とか「○○(注 私の名前)菌」とかいった言葉を浴びせる子供が、何人かいました。
> しかし、当の私は、「いったいどこにアカがついているのだろう?」とか「○○菌って、どの本に出ているのだろう?」といった調子でした。
> からかわれても、状況判断がまずくて適切な行動ができなかったときでも、悩むところまではいきませんでした。
>
> 私の場合、小学校中学年頃から、学校での教師や同級生の様子が少し変わってきました。
> 「たった一人でも悪い人・ダメな人がいたら、学校(とかクラスとか班とかいった集団)全体が悪い・ダメだと思われるんだ。」といったお説教がしょっちゅうなされるようになりました。
> 「(上達する方法を教えないで、できることできない子の篩い分けとして機能する)実技教科の授業が、見せしめの場にされる。」ということも増えました。
> また、授業だけではなく給食や掃除等といった日常生活のもろもろのことにも、班という単位での活動がなされます。その活動では、無言で互いの状況を判断しながら適切な行動を取るということが要求されます。状況判断力の弱すぎる私は、「怠け者・お荷物」とみなされました。
> それだけではありません。この班活動は、「生徒間での自主規制・相互監視」も呼ぶものだったと思います。
> 「wentさんはしょうがないねえ。」という目で、教師が私を見ていたのだと思います(実際、この言葉をよく聞きました)。言葉が発せられるのはほんの一瞬です。しかし、クラスという単位の中でそれがなされる限り、クラス内にいるすべての時間にその影響が出ても、何ら不思議はありません。
> また、からかいやいじめをやる側は、「徒党を組んで」やるようになります。
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> たぶん、こういった周りの変化があったからでしょう。私の状態も変わりました。
> 小学校中学年頃は、「いじめやからかいのターゲットにされている」ことがわかりました。そして、そのことを不快に思いました。
> しかし、「自分が悪い・おかしい」という意識は希薄でした。
> 小学校高学年から、「自分が悪い・おかしいからいじめられるんだ。」と思うようになりました。しかし、「どこをどう変えたら、自分はまともになれるのか」全然見当が付きませんでした。この時期が一番辛かったです。
> 身近な大人には、「『いじめ等の危害が加えられるのは不当だ』という権利意識を失ってはいけない。」という態度を取る人はほとんどいませんでした。
> 当然、「悩みや苦しみや葛藤から、何かを学び取る」などといった余裕はありませんでした。
> 私のような経験を、他の人にはしてほしくないです。
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