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コメントありがとうございます。
▼phaiさん:
>わたしもずっと親に感謝などしてこなかったのですが、全く予期しないときに
>突然「生んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう」という気持ちが
>天から振ってきました。
>(中略)
>何がどう、という理屈じゃなかったんです。知人のお母さんとわたしの母の
>苦悩が重なり(母は鬱々とした専業主婦。お酒は飲みませんでしたが)、
>それをなんとかして回復まで持っていった、わたしと同じ娘という立場の知人
>が努力し、行動した姿に、なぜかわたしが癒されてしまった・・・そんな感じ
>です。
案外、我が家もそんな感じになるのかな…
>娘であるわたしも、母に対してそうしてあげられるものならそうしてあげた
>かった。でもできなかった。助けてあげるどころか、恨み言ばかり思っていた。
>そしてそのときすでに母は死んでしまっていたのですが、もうわたしが母の
>ためにしてあげられることはなく、見方によっては、母もわたしのために
>ポジティブなことをしてくれなかった、わたしも母のためにポジティブな
>ことをしてあげられなかった(つまり、知人が示してくれたような可能性が
>あったのに行使しなかった)、それでイーブンでチャラになった、という
>感じですかねぇ。貸し借りなし、みたいな。
私の場合も親父はほぼ同様にして12年前に死んでいます。
phaiさんの場合と違うのは、暴力や暴言がすさまじかったこと。オフクロは親父のDVに対するPTSDも抱えていますが、それについても「病は気から」で押さえつけようとしています。
もしかすると、私との親子ゲンカで、オフクロはフラッシュバックを感じているのかもしれません。
>そこが相殺されたことで、浮き上がってきたのが、母(そして父)が、わたし
>が幼子から学校を卒業するまでに(実は時々今も経済的には頼っています)、
>命を保つためにしてくれたことの数々・・・。
>精神的には辛かったけれど、食べ物、家、衣服を用意してくれたこと、それ
>だけでもよくやってくれたことなんだ、心を配ってやり続けてくれたこと
>なんだとしみじみ感じられたんですね。
そうなんですよ。私もそれが解っていながら、感謝の気持ちよりも身障や発達障害を侮辱された気持ちのほうが勝っています。
だからすべてが世間体を気にするあまり、親が保身のためにとった行動に思えてならないのです。
>・・・とまぁ、「美談」になっているのも、母がもう亡くなっているという
>ことがあると思いますが。
>今年でもう9年になりますが(享年55歳)、当時は早めに亡くなってくれて
>正直ホッとしました。あの母が年老いてからもずっと付き合うのかと思うと
>嫌になってましたから。精神か体かどっちかが病むのは間違いないと思って
>いたら、体の方が先に限界に来たようでした。
私の場合はむしろ逆でして、親父が死んだ当座は悲しかったけど、社会人になっても恋愛どころか車の運転免許の取得にすら反対したこと、私が必要に迫られて自動車学校へ通いだした直後に家の中の電気製品が片っ端から原因不明の故障を起こしただけでなく、勤め先の業務用のパソコンまで故障したということで「親父の怨念」と騒がれたことで、すべてが親の都合による過保護に感じられるようになり、時間が経過するに従って「殺す手間が省けた。勝手に死んでくれて清々した」という気持ちに変わっていきました。そういう考え自体空恐ろしく感じています。
>先日、あるお母さんが小学校を卒業する我が子のために作った歌というのを
>聞き、そこに「生まれてくれてありがとう」というフレーズがありました。
>それを聞かされて育てられたらどんなに幸せな子ども時代を送れたかなぁ
>・・・なんてうらやましく思ったけれど、わたしの母はそんなふうに思う
>余裕がなかったんだろうし、もう母や父の「未熟さ」を責める気持ちには
>なれません。
>ただ、わたしの心に植えつけられた緊張感とか人間不信などがそれによって
>氷解するわけではなくて、別な話ですね。
>これから自分で徐々に解放させてあげたいと思います。
私は、室蘭にいる限りこういったことは不可能だと感じているため、こうして茨城にいるわけですが、でも私にとっては茨城は非常に居心地はいいですね♪ なぜもっと早くここに来ることができなかったのかな、と思うくらいです。
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