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▼マキナさん:
はじめまして。れいれいともうします。マキナさんの貴重な体験談、
大変ありがたく読ませていただきました。
>私の場合は「生き難さ」すら、気がつきませんでした。
>(友達も少なく、話し方・考え方・動作などが不器用である事について)
>医師から教えてもらったり、周囲の友人に指摘されて、
>やっと気がついた事だらけです。
実は主人もつい1年くらい前までは、気付いていない事が多かったようです。
以前の彼にとっては、つらさや不安・苦痛・緊張が「平常心」だったようで、
私と会話したりするうちに、自分の中の様々な感情や、私と主人自身の違いに
気付いてきたそうです。
とどめは実兄のAS診断。これをうけて、主人もASの方が書かれた書籍などを
読むようになり「これは俺のことじゃないか!」と驚いたそうです。
このあたりはマキナさんの御経験と通じているかもしれません。
>ASだという前提を自覚して、病院に行こうと思う人は、確かに少ない
>と、思います。そこにいきつくまでの経緯を、文章にしたり、子供の頃の
>記録(母子手帳や通知表、養育者からの話等)を持って行かれた方が
>良かったかも知れません。
そうですよね・・・主人も事前に「経緯をメモしていこうかな」と言っていた
のですが、結局用意しなかったようです。私も「本人の意思に任せる」という
気分をきどって、ちょっと配慮が足りなかったかもしれません。
反省です。マキナさんのアドバイスについて、彼とこれからよく話し合って、
診療に必要な資料をそろえてみたいと思います。
>大人になると、精神的負荷からの二次障害の方が大きな問題になって
>いくと思います。ASだと知る事で、御主人と、れいれいさんの
>「今後の生活の指針」になる糸口が見つかった方が良いと判断される
>のならば、知能検査、脳波検査、CTやMRIを受けてみて、そこから
>再び検査結果を資料として、医師にかかるという方向もあります。
>ただ、成人になってしまうと、どの検査にもひっかからない場合が
>あります。
ジョンさんからも「診断はあくまで出発点。これからいかにして、
自分の生き方を決めるかが一番重要」とのお言葉をいただきました。
ほんとうにその通りだと思いました。はっきりと診断してもらう事にこだわり
すぎてたな、と反省しているところです。
なので、マキナさんが書いて下さったように「ASだと知る事で、今後の生活の
指針になる糸口が見つかれば」それもひとつ良いかもなぁ・・・と、
これくらいの気持ちで、次回からの通院に臨んでみようと思います。
たとえ検査結果が出なくても、彼と一緒にこれからよりよく生きる為の方法を
模索していければ、それが当初の目的であり一番大事な事ですものね。
マキナさんの実用的かつ温かなお言葉に、ホッと心がほぐれた思いです。
彼のために一体なにができるのか分からないけれど、とにかく
私が思い詰めてたら元も子もないですよね・・・一生のことですもの、
気長に大事に考えていこうと初心を取り戻しました。
気づきを与えて下さって、ほんとうにありがとうございました。
見知らぬ私の問いに、今回マキナさんが親身になって答えて下さったように、
同じ温かな気持ちでマキナさんを見守っているひとが、
きっとどこかにいらっしゃると私は信じています。
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