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▼アリステイデスさん:
こんにちは、お久しぶりです。お元気ですか?以前確か顔の認識などでお話しましたよね。
> 僕には、アスペ的傾向があるという以外にも、聴覚障害があります。
>
> 補聴器を使えば音声言語での会話がかなりできますが、本質的には
>健聴者とは大違いですね。テレビのニュース番組は完全に理解できる
>一方で、パーティーでテーブルを囲んで談笑するような場面では、何の
>話題が進行しているのか、さっぱり分からないという現実があります。
私は言語聴覚士の専門学校に通っていた時、隣に身障者の職業リハビリをやっている更生施設があり、指導教官がそこの聴覚障害者に発声発語訓練をしていた関係でその人たちとよく話をしていました。
対面で片言の手話交じりの口話ではけっこう通じていても、本当に飲み会みたいな場面だと難しいですよね。以前聴覚障害の方16名、健聴者3名で飲み会をした時はみんなの手話が速くて何を言っているのか全然分からかったです。口話と手話のバイリンガルの人に通訳してもらってもタイムラグがあるので、分かった時にはもう話が終わっていたりして、冗談なども今ひとつ面白くないんですよね。この時に「ああ、いつも聴覚障害の人ってこういう気持ちなんだろうなぁ」と改めてコミュニケーションの大切さと難しさを実感しました。
それに聴覚障害の方って日本語の学習が大変なケースって多いですよね。普通校に通っていた人でも「難しい文章になると自信がない」と言っていたし、聾学校出身の人で「読み書きが苦手」と言っている人がけっこういたのを覚えています。
> 小学生とか中学生の頃には、健聴者とはそんなに差はないと思って
>いました。ところが年齢が増えるにつれ、健聴者との差を実感させ
>られる場面が増えました。そして、最近は「世界の見え方」からして
>健聴者とは異なるのではないか、と意識するようになりました。別の
>言い方をすれば、「文化の違い」かな。
> 障害とは、単にある能力が物理的に低いというだけのことではない
>のです。
「ろう文化」というのを主張している聴覚障害者もいますよね。手話通訳者の養成課程の先生とも以前話をしたことがあるのですが、言語聴覚士の先生が語る聴覚障害の捉え方と違った解釈で興味深かったです。
> アスペの本を読んで思うことのひとつは聴覚障害との共通性です。
>周囲の音声を全部拾ってしまうとか、外観から障害が見えないことで
>不利益を被ってしまうとか。
> 上に書いた僕の経験は、自分の状態が普通みたいに思い込んでいて、
>大人になってから健聴者の場合はそうではないんだと気づいた、という
>ことでもありますが、これも共通点のようですね。
>
> 障害がその人の精神世界に及ぼす影響について考えさせられるなあ。
>当事者として・・・。
聴覚障害に限らず、コミュニケーションに関する障害は似たような傾向があると思います。コミュニケーション障害というものは目に見えない障害で、よく関わってみないとその大変さは分かりにくい物ですし、それが高次脳の機能と結びついているため、思考にも影響を及ぼしている物です。
肢体不自由の障害からコミュニケーションの障害が引き起こされているケースもあります。やはり身体のある部分の機能不全というのは人間の思考や発達に影響を及ぼしていますし、あまり障害に区別をつけないで大きな目で見ることも必要だなぁ、と仕事の経験から感じています。
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