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▼ハーティさん:
>22歳の息子が去年ASと診断され、長年の違和感に納得がいったものの息子のつらさ
>と二次障害の心配で頭がいっぱいの母親です。
>人間関係がうまくできずに、友達がいません。
>最初はいいのですが、長く付き合っていくと相手がひいてしまうそうです。
>また、そうなると息子のほうでも嫌ってしまうような気がします。
>毎日の生活でも、疲れきってしまって、家にいる時間はほとんど、横になっているようです。
>その疲れのために、しなくてはならないことができず、よけい人間関係が悪くなったりしています。
>今年で、学校も終わりというあせりもあるし、日常困ったことも、次々起こっています。
>
>病院にもかかっているし、学校のカウンセラーの先生にも定期的に話をしてもらっています。
>カウンセラーの先生は、認知の偏りをただ教えようとしても受け入れられないので辛抱強く、かかわっていきましょう。とおっしゃっています。
>
>少しでも疲労が減るような方法がないものかと教えて欲しいのです。
>あと、診断レポートにはっきりアスペルガー症候群と書いてあったのですが、息子がそれをどの程度理解しているのかわかりません。
>認知の偏りも自分では理解していないとのこと。
>分かっていないのか、分かっていても、無関心なのか、分かりたくないのか・・
>あなたはこういう傾向があるみたいよ。ASとは、こういうものよ。
>と説明したほうがいいのでしょうか。
20代を「世間的には学生、実態はひきこもり」という状態で過ごしたwentです。この書き込みは、「私のひきこもり経験」が背景となっているものです。息子さんの場合とは、状況が違っているかもしれません。
次の点について、思うことを書いていきます。1と2のことは私にとっては、「暮らしやすくなるためのヒント」につながったと思います。3については、「私自身の失敗談」があります。
1 カウンセリングについて
2 ASに関する説明について
3 「コミュニケーション能力をつける(と謳われている)ための訓練」をやっている団体について
1 カウンセリングについて
私の場合、「大学の学生相談室で受けたカウンセリング」が、とてもよいものでした。しかし、「カウンセリングなんて、無意味だ。」という主張も時々聞きます。
カウンセリングは、「本人が望んで通い始めたか、周りの人が通わせたか」で、だいぶ感触が違ってくるようです。後者の場合、「カウンセラーと本人の相性が悪い」とか、「カウンセラーの力量が欠けている」場合、良い方には進まないかもしれません。
また、カウンセラーに「『自分の本音をぶちまけても、軽蔑されることはないだろう』といった調子で話せる」状態にあるか、「自分の弱い・汚い(と思っている)面を出せないで、(本音とは異なる)カウンセラーが好きそうなことを話してしまう」状態にあるかでも、だいぶ感触が違ってくると思います(これは私の経験から)。
「カウンセラーとの相性」も、大きいと思います。カウンセラーが複数いる場合、「今のカウンセラーは自分と合わないから替えてほしい」と息子さんから言われたら、替えたほうがいいと思います。
私の経験を書きます。カウンセリングを受けるようになったきっかけは、精神的発汗という身体症状が出てきたことにあります。
このことで大学の保健管理センターに相談に行ったとき、学生相談室でのカウンセリングを勧められました(ひきこもり状態のこともふまえて)。
カウンセリングは、動物園や少女漫画等といったようなバカ話(注 動物園や少女漫画等をバカにしているわけではありません。それらを題材にして、お互いがそれらにまつわるバカ話をやったという意味です。)でした。
最初2ヶ月ほどは、「ひきこもりを脱出するのに役立ちそうなことを話してくれ。バカ話やっても、何の意味もない。」と思っていました。また、「自分の本音を話すよりも、カウンセラーが好きそうなことを想像しそれを話さなければいけない。変なことをしゃべったら、バカにされるに決まっている。」と思っていました。
「役立ちそうなこと」なんて、何も得られませんでした。
しかし、途中で思いが変わりました。「カウンセリングが役に立つかどうかなんて、どうだっていい。カウンセラーとバカ話をするのは面白い。面白いから通おう。映画やスポーツ等の娯楽に時間を使うのと同じだ。」というふうに。
思いが変わってからは、カウンセラー相手にいろいろと本音をぶつけるようになりました。
不思議なものです。役に立つ話を求めなくなってからのほうが、いろいろな発見ができるようになりました。ぼんやりラジオを聴いていたときでも、「あ、この人のこういう考え方っていいな。」などと思うようになったのです。カウンセラーのバカ話の中からも、意外な情報を見つけるようになりました。
今思うに、カウンセリングを始めた頃は、「今のあんたじゃダメ。社会適応できるようになるために、自分を曲げて生きていく方法を考えないとダメ。」という姿勢だったのでしょう。
途中で、次のような姿勢も出てきたのだと思います。
「今の自分がダメかどうかなんて、どうだっていい。それよりも、どうやれば暮らしやすくなるのか、それを考えていこう。」
「これまでの自分が本当にダメなのかどうか、再検討してみよう。ダメとみなす根拠は何なのか。それらの根拠は、妥当なものなのか。ダメというふうに思い込まされたということだって、あり得る。思い込ませたほうが悪いということも、あり得る。」
「仮にダメなところがあったとしても、100%ダメというわけではないのかもしれない。僅かな部分を修正するだけで状況がだいぶ変わってくるという事だって、ありうる。(そして、実際、暮らしやすくなるヒントにつながった)」
「長く付き合っていくと相手がひいてしまうそうです」とありますが、私は似たようなことをカウンセリングで話したことがあります。
もっとも、息子さんの場合とは違うかもしれませんが。
「『たった1回でも相手の機嫌を損ねたら、もうおしまいだよ。相手はあんたをそれで嫌ってしまうよ。』という思い込みを、私が持っているのかもしれない」と、カウンセリングで思ったのです。
「その思い込みがもとで、『長く付き合っていくと相手がひいてしまう』というふうに認識したのかもしれない。」という見方もできました。
『何回か相手を傷つけた。もう相手は許してくれない』とあんたは思ってるかもしれないけど、案外相手は、あんたのことを許してるのかもしれないよ。」ということを、カウンセリングで知ったのだと思います。
不思議なものです。このことを知ってから、逆の立場にたつことも出てきました。
相手(当然、その人が誰であるかにもよりますが)が私の気分を害する言動を取った時でも、「意外な面のある人だな。でも、まあいいか。他にいいとこ沢山ある人だし。」と思うようにもなったのです。
続きは、次回に書きます。
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