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目を痛めているので、たまにしか来られないことを、まずお詫びします。
▼菜の花さん:
>と言う事は、大人になっても感じる事は同じなんですね・・・
同じです。大人になると、上辺を取り繕う術をおぼえたり、他人の感情とその対処法をデータベースのように学習するだけ。あるいは必要最小限しかコミュニケーション取らなくなったり。
特に言語コミュニケーションは、非言語コミュニケーションの苦手な私にとっては、世界に開いた唯一の窓なんです。ですから、それにはこだわりますね。そこからしか世界が、他人が、見えないから。情緒で共感したり、なんとなく察したりすることは苦手だし、自分の感覚が特殊なので自分の立場に置き換えて考えるとハズしますからね。言語だけが頼り。
# 例えば、私は音楽アレルギーで、かつコーヒー大キライなんです。
#なので、音楽をかけられてコーヒーを出されると、感覚的には嫌が
#らせを受けているかのように感じます。でも、そういう自分の感覚
#で他人に対処すると、ハズしますよね?
# 余談ですが。私の場合、"他人に気を遣う"と言うのは、「自分が
#されたらイヤなことを、相手に対してすること」である場合が多い
#んです。定型の人とは逆ですね。なので混乱しやすい。
> 社会でどのように折り合いをつけていけば上手くいくんでしょうか
名案はないです。私も社会と上手く行ってないもの(^_^;)。そりゃ若い頃よりは多少マシですが。長年かけて、いろいろ試して実験するしかない。
相手の言うことを理解するには、嫌われてもなんでも、根ほり葉ほり聞くしかなかったですね。で、聞いた結果をデータベースのように覚えておく。映画やドラマなんかでも少しだけなら参考になりますが、映画もドラマも、言語コミュニケーション的にもしっかりしているんですよね。だから、いい加減な言語が飛び交う日常への対処法は、やっぱり日常自体から学習するしかないような。
自分のイイタイコトを伝えるのは、もっと難しいですね。結論だけ喋っても、相手は理解出来ないので適当に曲解するし。長々説明しても、相手は自分の思いこみに都合の良い部分だけ拾い聞きしていい加減に曲解するし。「違うよ、そうじゃなくって...」と訂正をかけても、相手はまったく聞いてない。ショチなし。
ただ私の場合言えるのは、フレンドリーな人を演じるのは無理だったいうこと。フレンドリーな人だと見られることを目指すと、必ず破綻しました。「変人」「気むずかしい」と思われていた方が、相手から曲解されることが少なかくなったように思います。
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