|
秋桜さん、こんにちは。
本当におひさしぶりですね。
確か昨年の年末以来ですから。
秋桜さんは一時期、聴覚障害者に近い場所にいらっしゃたんですね。
発声発語訓練には、小さい頃に7年間くらい行っていました。
健聴者が中心の飲み会に参加しているときの、聴覚障害を持っている
人の感覚は秋桜さんが想像された状態に近いと思います。
僕の場合、少しは他の参加者と会話をしますが、いかんせん、周囲が
騒がしいから、言葉の聞き取りは難しい上に疲れます。ほとんどの時間
は飲み食いと、頭の中であれこれ空想することで過ごしています。
これも僕の場合ですが、文章に出てくる言葉の意味は知っていても、
正確な発音を知らないことがときどきあります。自分の第一言語は書き
言葉の日本語であると思ったりします。おそらく、ほとんどの健聴者とは
逆の状態でしょう。
聴覚障害の重さが同一であっても、日本語の読み書き力は人によって
大きな差があったりするようです。このように、障害の直接的影響以外
の要素に大きく左右されるのも、障害者の現実の一部ではないかと思い
ます。
聴覚障害は、その程度や、障害が始まった時期によって、人によって
その状態が大きく異なります。そして、自己のアイデンティティー認識、
障害者としての帰属意識に影響を及ぼしたりします。
そういう個人差の幅の広さや、アイデンティティーの問題は発達障害
でも共通しているなあと思います。
物理的な不自由さの問題や、経済的な不利益の問題も大きいのですが、
精神世界に対する影響も実に大きいなあと思います。
|
|