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▼アリステイデスさん:
こんにちは、秋桜です。お返事をありがとうございます。
> 秋桜さんは一時期、聴覚障害者に近い場所にいらっしゃたんですね。
>発声発語訓練には、小さい頃に7年間くらい行っていました。
アリステイデスさんは聴覚活用や口話の訓練をされていたのですね。お話の様子を伺っていてもかなり補聴器の適応や日本語の学習はうまく行っている方なのではないかと感じています。でもそうだからと言って聴覚障害であることの大変さはあるでしょうし、むしろ健聴者との違いに気付いてしまうだけに傷つかれてきたこともきっと多いのだろうと思います。
> 健聴者が中心の飲み会に参加しているときの、聴覚障害を持っている
>人の感覚は秋桜さんが想像された状態に近いと思います。
> 僕の場合、少しは他の参加者と会話をしますが、いかんせん、周囲が
>騒がしいから、言葉の聞き取りは難しい上に疲れます。ほとんどの時間
>は飲み食いと、頭の中であれこれ空想することで過ごしています。
コミュニケーションを取るのにある程度の工夫や努力が必要ですよね。相手がそれを厭わない人ならいいのですが、コミュニケーション障害のある人と接したことがない人には難しいのかもしれません。
> これも僕の場合ですが、文章に出てくる言葉の意味は知っていても、
>正確な発音を知らないことがときどきあります。自分の第一言語は書き
>言葉の日本語であると思ったりします。おそらく、ほとんどの健聴者とは
>逆の状態でしょう。
日本語は口語と文語では微妙に異なります。アスペルガーの方は一般的に文字情報の方が理解しやすいのでその辺も似ている面があるのかもしれません。また会話というのは非言語のルールや常識が多く、刻一刻とそれが変化します。ある情報が得づらいとその流れが途絶えますから、不自然さや違和感が出てしまうのだろうと私は考えています。
> 聴覚障害の重さが同一であっても、日本語の読み書き力は人によって
>大きな差があったりするようです。このように、障害の直接的影響以外
>の要素に大きく左右されるのも、障害者の現実の一部ではないかと思い
>ます。
そうですね。私が関わっていた人は手話が第一言語の人が多かったのですが、手話と日本語の体系は少し異なるのでそういう面で日本語の学習が難しいこともあるようです。でも聴覚障害の人でも手話を知らない人は多いですから、一概には言えないですよね。
> 聴覚障害は、その程度や、障害が始まった時期によって、人によって
>その状態が大きく異なります。そして、自己のアイデンティティー認識、
>障害者としての帰属意識に影響を及ぼしたりします。
> そういう個人差の幅の広さや、アイデンティティーの問題は発達障害
>でも共通しているなあと思います。
本当に聴覚障害も個人差が大きいですよね。アリステイデスさんがおっしゃるように聴覚レベルと日本語の能力が一致していないケースは多いです。また、障害の程度や音声言語の能力が必ずしも自己のアイデンティティーとも一致していないこともありました。
やはり小さい頃に訓練を受けたか、どのような教育を受けたか、また非言語面の理解力はどの位あるのか、家族の理解はどうだったのかといった環境要因でもかなり障害像は変わると思います。そしてこれは発達障害や肢体不自由の障害でも同じことが言えると私は感じています。
> 物理的な不自由さの問題や、経済的な不利益の問題も大きいのですが、
>精神世界に対する影響も実に大きいなあと思います。
リハビリの世界に関わっていると様々な場面で実感します。なかなか理解してもらうことが難しいと思いますが、リハビリ業務に携わる人も分かっていない人が多いと思うので、機会があったら伝えていきたいなぁと考えています。
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