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▼樹村さん:
こんにちは。目を傷めているのに長いお返事どうもありがとうございます。
> よく分からないのですが、何故「自分が認められた時」と、「嬉
>しく感じる時」が関係するのでしょう?この二つは全然関係ないと
>思うんですけど。
確かに。書き方が悪かったですね。すいません。
まず、ほめると言うのは人を認める方法の一つなので、
それに対して拒絶反応を示す樹村さんにとって、
認められたと思うのはどういうときか知りたかったというのが一つ。
また、人から認められる=嬉しい事、という私の先入観があったため、
この二つを並列して書いてしまった、というのが一つです。
でも、樹村さんの説明で、私の中ではつながっていたこの関係が、
樹村さんの中ではつながっていなかったと言う事が分かりました。
> # ちょっと話はズレますけど。私みたいに極端な人は珍しいか
> #もしれませんが、「他人の評価をあまり気にしない」くらいな
> #ら、ASの人には多いんじゃないかしら。
はい、それはうちの息子とか見ているとそうかな、と思います。誤解を招くかもしれませんが、私は息子のそんな点を羨ましいと思った事があります。
> で、次に、どんな時嬉しいか?についてです。
>> これも、ご質問の意図がよく分かりません。
> 私が嬉しいのは、例えば
> ・上手く出来た、上手くやれたと自分が思った時
> ・美しい自然や芸術や、他人の幼い子供の笑顔を見た時
>なんかです。定型の人だって、こゆ時嬉しいでしょう?違います?
なるほど。陳腐な質問をしてしまいましたね。
私は、ついつい人間関係からの喜びに限定して考えていたんですね。
樹村さんの言うとおり。自分をほめる喜びや、
住んでいる世界を愛でる喜びも確かにありますね。
一生懸命説明してくれてありがとうございます。
直接関係ないですが、娘の好きな作家の森博嗣さんの言葉に
「実社会における会話の80%は話が噛み合っていない。それなのに60%は通じている。」
というのがあって、なるほど確かに、と思って笑った事があります。今回菜の花さんが付けられたこのスレのタイトルを見てこの言葉を思い出しました。
樹村さん、また色々お話しましょう。菜の花さん、スレッドお借りして失礼しました。
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