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▼まゆりんさん:
>まゆりんの息子は中学2年生です。
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>中学1年生の終わりから不登校になり、4月から最寄のフリースクールに通っています。
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>息子は、フリースクールを行ったり行かなかったりと登校が安定していません。
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>昨日も息子はきまぐれに不登校したのですが昨日は授業料を支払う日だったため
>まゆりんが放課後フリースクールに伺い授業料を納めてきました。
>まゆりんは特にお話をするつもりはなく目的だけを果たすために行ったのに先生は退屈だったのか延々とまゆりんに心理学や哲学のお話などを一方的にしました。
>まゆりんは、そういった分野は得意ではなかったので相槌だけしているとお母さんは理解できていない。頭の悪い人だとか言われたりもしました。
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>まだ、まゆりんの息子のことについていろいろとお話してださるのであればいいのですが息子の話をしようとすると先生が家庭の問題なのでそのような話を言われても困りますと拒絶されました。ここは相談室ではなくただお子さんに勉強を教えるだけの学校ですからと言い放ち、子供の指導は疲れるとか愚痴みたいな話を聞かされました。
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>英才教育関係の教室に以前通わせたことがあると言うと早期教育による失敗作だと息子の事を言ったりもしました。
>まゆりんの息子は他人と目をあわしてお話が出来ないのでアスペルガーではないかとカウンセラーには言われているのですがフリースクールの先生の方が息子以上に
>人間関係が円滑にできない方のような気がしました。
>そういう方にお任せして息子は、良い方向に行くのかどうか不安になります。
そういう方に「お任せして」という言葉が気になったので書き込みます。私は親になったことがありません。親の側の事情を洞察していない書き込みになると思います。不快なものになるかもしれません。ごめんなさい。
ひょっとしたら、本人にとっては、「お任せ」という態度が苦しいのかもしれません。「フリースクールの先生が与えてくれるものをしっかりと得なければいけないんだよ。『自分はこれが欲しい』とか『自分はこれがやりたい』などと思うのは、無駄だよ。」と言われているように、本人には思えているのかもしれません。私の勝手な想像ですが。
また、「誰が、どういう関心のもとに、どのように『不登校を問題にしているのか』」「本人は、学校やフリースクールで何を得て何を失うのか。また、学校やフリースクール側は、そのことについてどう捉えているのか」を考える必要があるかもしれません。
というのは、このことは、本人・親・学校側・フリースクール側・行政側といったそれぞれの側で、「大きく認識がズレている」と思われるからです。
「『自分の将来は学校教育で得た成果にかかわっており、学校に依存することなしには将来の成功はありえない』という意識が、すべての子供になければならない。だから、不登校なんて許されない。」
というのが、世間一般の認識なのかもしれません(私の身近にいる人達の証言から考えるに)。
しかし、本人にとっては、その認識は「リアリティーのないもの」とうつっているのかもしれません。
例えば、「学校に依存しても、苦しい思いをするだけだ。自分にとって有益なものが得られるなんて思えない。」というふうに。
本人を追い詰める思い込みには、次のものもあります。
「学校(学級)になじめないのは、学校(学級)というシステムが本人に合わなかったからではない。本人に社会性がないことが原因だ。」
学校側・行政側は、おそらくこの「世間一般の思い込み」に疑いを持たない状態で、本人や親に働きかけるものと思われます。「本人が変わりさえすれば、万事解決。」というふうに。
そうなった場合、「リアリティーのないものという認識」が修正されることは望み薄です。修正のなされない状態で、簡単に本人の認識が変わるものなのでしょうか? 疑問です。
「フリースクールに通うと、本人にとって有益なものが得られる」から通っているのでしょうか? それとも、「家にいたら何も得られないに決まっている。フリースクールにでも通っていたら、家にいるよりはマシかもしれない」という思いからでしょうか?
また、「有益なものを得ている」という認識は、本人にあるのでしょうか?
もしも、本人にその認識がないのなら、前述の学校側・行政側と同じようなことになると思います。
また、フリースクール側にも、「本人にとって有益なものは何なのか」と考える姿勢が必要だと思います。まゆりんさんの書き込みを拝読する限りでは、フリースクールの先生側はそのような姿勢を持ってないように見受けられます。
「学校やフリースクールで、本人が有益なものを得られる可能性もある。」という方向性を示すことなしで、本人の思いを変えるのは、無理があるかもしれません。
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