アスペルガーの館の掲示板

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[#6811] フリースクールって問題あるかも まゆりん 05/5/31(火) 15:54 [未読]

[#6840] Re:フリースクールって問題あるかも 夕焼け 05/6/2(木) 10:11 [未読]
[#6870] 学校では有益なものも有害なものも得る went 05/6/4(土) 21:15 [未読]
[#6898] Re:学校では有益なものも有害なものも得る 夕焼け 05/6/7(火) 9:45 [未読]

[#6840] Re:フリースクールって問題あるかも
 夕焼け  - 05/6/2(木) 10:11 -

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   ▼wentさん:

こんにちは、夕焼けです。

本人の気持ちという点で、もう少しお話を伺いたくて横入りしてしまいます。
すみません。(不登校中の高校生をもつ母親です。)

>
> そういう方に「お任せして」という言葉が気になったので書き込みます。私は親になったことがありません。親の側の事情を洞察していない書き込みになると思います。不快なものになるかもしれません。ごめんなさい。
>
> ひょっとしたら、本人にとっては、「お任せ」という態度が苦しいのかもしれません。「フリースクールの先生が与えてくれるものをしっかりと得なければいけないんだよ。『自分はこれが欲しい』とか『自分はこれがやりたい』などと思うのは、無駄だよ。」と言われているように、本人には思えているのかもしれません。私の勝手な想像ですが。
>

学校に行ったら、「学校にお任せ」ではなく、「自分は何をやりたいのか」「自分は何をしたいのか」言えるようにしてあげなくてはいけない。と、いう意味にとっていいのでしょうか。
そうだとしたら、親は先回りをせずに待つことがいいのか、選択肢を幾つか出して自分で決めさせるのか…その子によって違うのでしょうね。。。

> また、「誰が、どういう関心のもとに、どのように『不登校を問題にしているのか』」「本人は、学校やフリースクールで何を得て何を失うのか。また、学校やフリースクール側は、そのことについてどう捉えているのか」を考える必要があるかもしれません。
> というのは、このことは、本人・親・学校側・フリースクール側・行政側といったそれぞれの側で、「大きく認識がズレている」と思われるからです。
>

そうなんだ。学校側というのはちょっとわかっていたつもりですが、それぞれの認識の違いについては、改めて考えてみたいと思いました。

> 「『自分の将来は学校教育で得た成果にかかわっており、学校に依存することなしには将来の成功はありえない』という意識が、すべての子供になければならない。だから、不登校なんて許されない。」
> というのが、世間一般の認識なのかもしれません(私の身近にいる人達の証言から考えるに)。

うんうん。不登校は許されないとは思っていないけど、「本人の将来は学校教育を受けることにより、少し近道になる場合が多い」とは、思っていますね。今でも。

> しかし、本人にとっては、その認識は「リアリティーのないもの」とうつっているのかもしれません。
> 例えば、「学校に依存しても、苦しい思いをするだけだ。自分にとって有益なものが得られるなんて思えない。」というふうに。

そうみたいですね。言ってることはわかるけど、実感は無いし、それゆえ行動は伴わない。感じです。

> 本人を追い詰める思い込みには、次のものもあります。
> 「学校(学級)になじめないのは、学校(学級)というシステムが本人に合わなかったからではない。本人に社会性がないことが原因だ。」

この点は、私は変りましたよ。多くの人が合うというシステムが自分には合わないのであれば、合うように変えてもらえばいい。どうしても変えられないのであれば、環境を別のところに置けばいい、と。眼鏡を合わせる感じ…。
(ただ、どのように合わせてもらうかが難しいんですよね。情けないけれど、本人のことが理解できていないダメ親です。)

>
> 学校側・行政側は、おそらくこの「世間一般の思い込み」に疑いを持たない状態で、本人や親に働きかけるものと思われます。「本人が変わりさえすれば、万事解決。」というふうに。

確かにそうかもしれません。はじめは違っていても、時間の経過と共に回りのことは後回しになって、いつのまにか「本人はどう変ったの?」と本人に任されてしまっている感じがあることに気がつきました。

> そうなった場合、「リアリティーのないものという認識」が修正されることは望み薄です。修正のなされない状態で、簡単に本人の認識が変わるものなのでしょうか? 疑問です。

気づかせてくれてありがとうございます。その通りだと思います。

[#6870] 学校では有益なものも有害なものも得る
 went メール  - 05/6/4(土) 21:15 -

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   ▼夕焼けさん:
>▼wentさん:
>学校に行ったら、「学校にお任せ」ではなく、「自分は何をやりたいのか」「自分は何をしたいのか」言えるようにしてあげなくてはいけない。と、いう意味にとっていいのでしょうか。

・子供は学校で、本人にとって有益なものも有害なものも得る(理由は後述)。どちらか一方だけを得るということは、おそらくないだろう。有害なものを得たからといって、「本人が悪いからだ」とは断定できない。」
・何が有益で何が有害か、それは生徒一人一人で違ってくる。また、得た(得る)ものも生徒一人一人で違う。
・それらの事を踏まえずに「学校は生徒にとって有意義な場所」と決め付けられるのは、生徒にとっては辛いことかも知れない。
 という思いが私にあって、「学校にお任せという態度が苦しい」と表現しました。
 
 「学校で得られる有益・有害なものはどんなものなのか、考えてみてもいいかもしれない。前者をできるだけ多く後者をできるだけ少なくするためにはどんな工夫ができるのかを、考えてみてもいいかもしれない。前者は実は、本人以外の人には『見栄えのしないもの』『邪悪なもの』に見えていることもあるかもしれない。(後者についても、似たような分析可能)」
 という意味で書きました。

 学校は「子供のためにある制度」とは、言い切れないと思います。「大人や社会のためにある」という面も、あると思います。それ故、次のような要請が、子供になされていると私には思えます。
 この要請のもとでは、「子供が有害なものも得る」ことは避けられないと思われます。
 
・子供はまだ、社会のために役立たない。大人が働いている間大人の邪魔にならないように、特定の場所に閉じ込めたほうが大人に取って好都合。
 
・学校は、ある基準で人を選び出し、分類・評価し、社会の異なる場所へと送り出していくための場所である。この場合の基準は、本人が決めるものではなく教育する側が決めるものである。
 
・学校側には、「本人が有益なものを得るかどうか」ということを考える余裕などない。それよりも、「まとまりのある学級をつくる」というお題目に従順になるように仕向ける必要がある。
 教師によってそれぞれの生徒の行動は、一度に監視される。教師は、生徒の性格や能力や教師に対する態度の違い等といった情報を比較しながら、詳細に観察する。逆に生徒側が教師に関する情報を得られる機会は、ほとんどない。
 こうして、生徒はこのお題目に従順になっていく。それだけではない。生徒間での相互監視もなされるようになる。
 
・学級という組織のリズムに従わせる際には、それに対応した役割をある特定の生徒に押し付ける必要が出る場合も、あり得る。
 その役割には、「お客様役(本人がいろいろなスキルを身につける機会を奪われても、学校側の知ったことではない)」「集団をまとめるためのスケープゴート役」「(表面的仲良しのふりをすることが苦手な、生徒に押し付ける)社会性のない生徒という役割」といったようなものがある。

>> 本人を追い詰める思い込みには、次のものもあります。
>> 「学校(学級)になじめないのは、学校(学級)というシステムが本人に合わなかったからではない。本人に社会性がないことが原因だ。」
>
>この点は、私は変りましたよ。多くの人が合うというシステムが自分には合わないのであれば、合うように変えてもらえばいい。どうしても変えられないのであれば、環境を別のところに置けばいい、と。眼鏡を合わせる感じ…。

 こういう視点で見られる夕焼けさんは、立派だと思います。
 不登校についていろいろな人がいろいろな立場から意見を述べています。その中に、「社会性」という言葉が使われているものもありますが、違和感を感じさせるものが多いです。
 

[#6898] Re:学校では有益なものも有害なものも得る
 夕焼け  - 05/6/7(火) 9:45 -

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   ▼wentさん:

お返事ありがとうございました。
じっくり考えていたら、返信が遅くなってしまいました。ごめんなさい。

>・子供は学校で、本人にとって有益なものも有害なものも得る(理由は後述)。どちらか一方だけを得るということは、おそらくないだろう。有害なものを得たからといって、「本人が悪いからだ」とは断定できない。」

確かに。本人は一生懸命やっているのに誤解を受けて有害化していることのほうが断然多いと思います。

>・何が有益で何が有害か、それは生徒一人一人で違ってくる。また、得た(得る)ものも生徒一人一人で違う。

個性によって違いますよね。運動が得意な子にとって、運動会・マラソン大会・水泳大会なんて格好のアピールタイムですが、苦手な子にとっては、苦痛でしかないこともありますね。(苦痛でも自分なりにがんばっている子もいます。そんな子が回りからがんばっているように見えないときほど、本人にとって苦痛なことはないのでしょう。)
…ちょっと ずれたかな?


>・それらの事を踏まえずに「学校は生徒にとって有意義な場所」と決め付けられるのは、生徒にとっては辛いことかも知れない。

そうなんですね。学校が個々の個性に合わせて有意義な場所となるのが理想ですが、環境や条件によって全ての学校に要求することは出来ない。個々の個性に合っている学校や環境、または、個々の個性に合わせてくれる学校や環境を探していくことが必要だと思いますね。
初めから、「学校は生徒にとって有意義な場所」と決めずに、「個性に合った場所探し」をして、それがフリースクールであったり、学校であったり、学校の保健室であったり…、(残念ながらあんまり例えが見つかりません)

> という思いが私にあって、「学校にお任せという態度が苦しい」と表現しました。
> 

ちょっとはわかってきたような感じがします。

> 「学校で得られる有益・有害なものはどんなものなのか、考えてみてもいいかもしれない。前者をできるだけ多く後者をできるだけ少なくするためにはどんな工夫ができるのかを、考えてみてもいいかもしれない。前者は実は、本人以外の人には『見栄えのしないもの』『邪悪なもの』に見えていることもあるかもしれない。(後者についても、似たような分析可能)」
> という意味で書きました。

う〜ん。「学校で得られる有益・有害なものはどんなものなのか」ゆっくり時間をとって考えてみたいと思います。学校ありきではなく、視野を広くって…本人とも話が出来るといいのですが…ちょっと不安。。

> 学校は「子供のためにある制度」とは、言い切れないと思います。「大人や社会のためにある」という面も、あると思います。

言われてみれば、一理ありますね。学校をそんな使い方している大人っていますよね。

>>> 本人を追い詰める思い込みには、次のものもあります。
>>> 「学校(学級)になじめないのは、学校(学級)というシステムが本人に合わなかったからではない。本人に社会性がないことが原因だ。」
>>
>>この点は、私は変りましたよ。多くの人が合うというシステムが自分には合わないのであれば、合うように変えてもらえばいい。どうしても変えられないのであれば、環境を別のところに置けばいい、と。眼鏡を合わせる感じ…。
>
> こういう視点で見られる夕焼けさんは、立派だと思います。

いいえ、言うのは簡単。
でも、現状は、本人に合う眼鏡って???
模索中です。近日中に本人のR-TとWISCの検査があるのですが、検査結果が出ても視力検査のようにはいかないのでしょうね。。。

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