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▼悠さん:
>penpenさん、レスありがとうございます。
おはようございます。(=^・^=)
>最近、子供を持つ年齢になって思う事(友達や同僚は、子持ちがほとんど。)
>やっぱ、子供には幸せになってほしい、と思う反面、発達障害なんて、知らない人から見れば、子供が、あれができる、これが人より優れてるって、自慢したい気持ちが、親なら、誰でも、持っているのかなあと・・(会社の同僚の話しを聞いていて)。
そうですねえ。
会社での子どもの話って自慢というより
ひとつの話題ということもあると思うのですが……。
話って、川の流れのようなもので
立ち止まって深く意味を考えない方がいいように思います。
昨日のことをちょっと話す、
受ける、笑う、びっくりするという単なる共感のやりとりというか……。
だから人の話は深く受け止めず、裏読みしないで
淡々とおもしろがる、ごく単純な感想を述べるというのが
ベストという気もします。
“ほんとー!”とか“そうだよねー”とか意味のない相づちとか……。
おもしろがるポイントが違うと
おもしろがるふりをするのも苦痛かもしれませんが……。
>言い訳という気持ちはありませんが・・とにかく、penpenさんのおっしゃるとおり。直結してません。何するにも、めんどうだから、まあ、いいや。
>って、部屋は汚いし。
わたしは前にやりたいことができない事に対して
“反意志障害”と名付けたことがあります。
“部屋を片づけたい”“いや、めんどうだ”
“図書館の本を返したい”“後にしよう”
人の話に対してもついああだのこうだの揚げ足を取りたくなるのと同様、
自分についても揚げ足をとってああだのこうだのやる気を
なくすようなことを考える心があります。
ごみを見るのが“拾う”行為と直結しないのと同様、
わかってもさらにやることができない体質というか……。
しなくてはならない宿題を淡々とこなす人がいる反面、
できないと苦労する人もいます。
なんだかややこしい人種ですよね。
>何でも、思い通りにしてきた親からすれば、子育て、というか、こんな子供で、
>こんなはずに育つはずじゃなかった、って、ひしひし、伝わってきます。
悠さんは親の期待にこたえるためにがんばってこられたのでしょうね。
でも親の期待もアドバイスもきっと的はずれだったから
悠さんは達成感がなくてつらいのでしょう。
親のことはあきらめるしかないです。
あきらめて自分らしく生きるしかないです。
それがどんなにつましい人生だとしても
手に入る物で満足しないといけないのでしょう。きっと……。
それが障害を自覚するということなのだと思います。
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