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▼wentさん:
お返事ありがとうございました。
じっくり考えていたら、返信が遅くなってしまいました。ごめんなさい。
>・子供は学校で、本人にとって有益なものも有害なものも得る(理由は後述)。どちらか一方だけを得るということは、おそらくないだろう。有害なものを得たからといって、「本人が悪いからだ」とは断定できない。」
確かに。本人は一生懸命やっているのに誤解を受けて有害化していることのほうが断然多いと思います。
>・何が有益で何が有害か、それは生徒一人一人で違ってくる。また、得た(得る)ものも生徒一人一人で違う。
個性によって違いますよね。運動が得意な子にとって、運動会・マラソン大会・水泳大会なんて格好のアピールタイムですが、苦手な子にとっては、苦痛でしかないこともありますね。(苦痛でも自分なりにがんばっている子もいます。そんな子が回りからがんばっているように見えないときほど、本人にとって苦痛なことはないのでしょう。)
…ちょっと ずれたかな?
>・それらの事を踏まえずに「学校は生徒にとって有意義な場所」と決め付けられるのは、生徒にとっては辛いことかも知れない。
そうなんですね。学校が個々の個性に合わせて有意義な場所となるのが理想ですが、環境や条件によって全ての学校に要求することは出来ない。個々の個性に合っている学校や環境、または、個々の個性に合わせてくれる学校や環境を探していくことが必要だと思いますね。
初めから、「学校は生徒にとって有意義な場所」と決めずに、「個性に合った場所探し」をして、それがフリースクールであったり、学校であったり、学校の保健室であったり…、(残念ながらあんまり例えが見つかりません)
> という思いが私にあって、「学校にお任せという態度が苦しい」と表現しました。
>
ちょっとはわかってきたような感じがします。
> 「学校で得られる有益・有害なものはどんなものなのか、考えてみてもいいかもしれない。前者をできるだけ多く後者をできるだけ少なくするためにはどんな工夫ができるのかを、考えてみてもいいかもしれない。前者は実は、本人以外の人には『見栄えのしないもの』『邪悪なもの』に見えていることもあるかもしれない。(後者についても、似たような分析可能)」
> という意味で書きました。
う〜ん。「学校で得られる有益・有害なものはどんなものなのか」ゆっくり時間をとって考えてみたいと思います。学校ありきではなく、視野を広くって…本人とも話が出来るといいのですが…ちょっと不安。。
> 学校は「子供のためにある制度」とは、言い切れないと思います。「大人や社会のためにある」という面も、あると思います。
言われてみれば、一理ありますね。学校をそんな使い方している大人っていますよね。
>>> 本人を追い詰める思い込みには、次のものもあります。
>>> 「学校(学級)になじめないのは、学校(学級)というシステムが本人に合わなかったからではない。本人に社会性がないことが原因だ。」
>>
>>この点は、私は変りましたよ。多くの人が合うというシステムが自分には合わないのであれば、合うように変えてもらえばいい。どうしても変えられないのであれば、環境を別のところに置けばいい、と。眼鏡を合わせる感じ…。
>
> こういう視点で見られる夕焼けさんは、立派だと思います。
いいえ、言うのは簡単。
でも、現状は、本人に合う眼鏡って???
模索中です。近日中に本人のR-TとWISCの検査があるのですが、検査結果が出ても視力検査のようにはいかないのでしょうね。。。
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