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▼penpenさん:
こんばんは〜
>エッセイの中にある“エゴグラム”って以前ちょっとブームになりましたよね。
>でも日本のエゴグラムブームはちょっと占い的で
>当たっている!とか当たっていない!とかの興味で終わってしまった人も
>多いように思います。←わたしも……。
>(エゴグラムテストがネットで手軽にできるということもあったと思いますが)
>
>今回コスモスさんのエッセイを読んで、エゴグラムはこんなに具体的に自分を知ることができる
>手段だったのだと実はちょっと驚いています。
エゴグラムばかりが一人歩きしている面がありますよね。そこから広がって行かないのは残念だなぁと思っています。
>つまり、周囲を見ているときは自分が消えている、
>自分を見ているときは周囲が見えていない。
>集団の中の自分を見つめるのがものすごく苦手です。
>
>周囲の人たちの中の自分というものをうまく捉えることができないので
>内省的でありながら、
>正しく自分を見つめることができないように感じています。
自分を見るための尺度や基準が明確でないためにどんどんマニアックになりがちな面が発達障害の人にはあると常日頃考えています。定型発達の人たちは幼い頃から少しずつ周りの状況を取り入れながら自分の基準を作って行きますが、周囲の状況を取り入れづらい分、基準に偏りがあるように感じています。
その辺りをどう個性として残しておきながら、周囲の基準を取り入れて調和していけるかが課題なのでしょうね。
>わたしがコスモスさんと会って感じたのはある種の“まっとうさ”です。
>失礼な言い方かもしれませんが、偏りのない人格が感じられました。
>
>それはコスモスさんのおかあさんの分析的な傾向のある療育のせいかもしれないし、
>また、コスモスさんが大学で勉強なさった心理学、また、教育分析などで
>ご自身の心を見つめてきたためもあるのでしょうか。
>(ご本人の資質ももちろんですが……)
>コスモスさんにはご自分をよく知っているかたの揺るぎなさがあるように思います。
そんなに褒められるとちょっと面映い感じがします。けっこうまだ色々問題はありますよ。あくまでもその場をしのげる方法を身に付けただけという気もしていますし、たまたま母親が私の問題を幼い頃に分かったというのがきっかけだったと思います。
>子どもにも社会と調和しながら自分らしく生きていってくれることを切望しています。
>
>エッセイの続きを楽しみにしています。
交流分析は少しシリーズで書いてみたいと考えています。また感想を聞かせてください。
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