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Chiquititaさん、こんにちは。
ずっと以前に(旧掲示板で)お話させていただいたことが、あります。
自分に「足りないものがある」と感じ続けるのは、辛いものですよね。
それが、先天的なものからくるのだとすれば、なおのこと。
その辛さが、「不公平感」につながっていくのも、とても分かる気がします。
だけど、自分のことを「これができる」「あれができない」という視点で、評価すること。
それは、Chiquititaさん自身をとても苦しめているのではないかしら…と、気がかりです。
私の感覚では、「何かができる」ことは、人に対する気持ちに、ほとんど影響を与えません。
私の旦那は、お相撲さんのような体型をしていますし、今ではほとんどスポーツもしません。休日は家でごろごろ…もしくは、ゲームにのめりこんでいます。ゲーム以外の趣味もないし、仕事も、あまり好きではないみたい…。
だけど、私は彼を愛しています。
彼は、自分自身を愛しているし、そこからくる穏やかな雰囲気が、周りの空気をやわらげます。
私たちは、ほとんど会話をすることもなく、同じ部屋で別々のことをして過ごすことが多いのですが、ただ一緒にいるだけで、心地いい…と感じます。
自分を愛する…というのは、よく言われる自己中心性とか利己主義とは、対極のものなのだな…と、彼を見ていると思います。
自分に対する肯定感で、とても精神が安定しているので、人の評価を求めないし、自分を認めるのと同じ自然な感覚で、人のことも認めている…そんな感じがします。
(いいことばかり書きましたが、彼はいろんな欠点も短所も持っている、普通の人間です(^^ゞ)
スポーツができないことについて、Chiquititaさんは、自分で自分を否定しているような気がして…。
そういう感情は、自分の中にあって、つきまとうし、それが何もかもをダメにしているような気さえしてきますよね。
だけど、ほんとうは、そうでなく。
スポーツができない自分を、Chiquititaさんが自分で受け入れることができれば、いろいろなことが楽になっていくのではないかなあ…と感じます。
余計なことだったら、ごめんなさいね。
ただ、思うんです。
体を、思うように動かせないというハンディを、Chiquititaさんは、プラスにも変えていくことができるのじゃないかなあって。
目が見えず、絵を楽しむことのできない人たち。
耳が聞こえず、音楽が楽しむことのできない人たち。
そんな人たちの寂しさに、自然に共感できる力。
自分が持たないものについて、苦しむ人たちに、同情ではなく、思いやりと愛で寄り添う力…そんなものを育てていくことができれば、それはChiquititaさんの大きな魅力になっていくと思うんです。
(だから、そうすればいいっていうアドバイスでは、ないです。
ただ、ハンディの中に、それゆえの可能性を感じることができるのなら、それは希望にもなっていく…と感じるので)
ここの掲示板が新しくなって、しばらく私は、ここには来ていませんでした。
それで、久しぶりにChiquititaさんの投稿を見たときに、私、luluさんだとは思わなかったんです。
HNが変わっていたこともあるのですが、それ以上に、投稿の中身が、違っていて。
こんなに短時間の間に、この人は変化し、成長していったんだなあ…と、不思議な感動を覚えました。
その変化が、Chiquititaさんが、そう望んだものであるなら、それはとても嬉しいことだなあ…って思います。
Chiquititaさんが、ご自分の中に、たくさんの魅力を見出していくことができますように…
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