アスペルガーの館の掲示板

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[#5653] はじめまして YUKI 05/4/14(木) 21:22 [未読]

[#7287] Re:はじめまして nobody knows 05/7/4(月) 21:06 [未読]
[#7288] Re:はじめまして aikidonotatujn 05/7/4(月) 22:13 [未読]
[#7290] Re:はじめまして まいまい7 05/7/5(火) 1:29 [未読]

[#7287] Re:はじめまして
 nobody knows  - 05/7/4(月) 21:06 -

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   ▼aikidonotatujinさん:
こんにちわ(*^_^*)

さて、統計は知らないのです。m(_ _)m
統計は正直、ないと思います。
ASの出現率自体が様々な報告がある状態ですから。

ただ、
ASが「死」に対して異常なほど興味を抱くことについては、文献に書かれています。
特に、思春期以降。
ちなみに、私も、太宰をはじめとした無頼派、芥川、ニーチェなど、「死」に関係した文学を当時読み耽りました。

このことに対する自分なりの仮説が…。

仮説1
思春期が、自分と外界との比較による「自意識」の高まりと考えると、
周囲との疎外感にただでさえ悩むAスペクトラムの人達は、自らその世界から「ドロップアウト」することにしか、自己を再確認できない。そのドロップアウトの究極が「死」である。

仮説2
外界から圧倒的なストレスを感じるAスペクトラムの人達は、「死」というものでそのストレスから逃れる。

仮説3
「all or nothing」のAスペクトラムの人達は、極端に考えるので「生きること」を考えざるを得ないとき、「死ぬこと」を思索する。

などを考えています。

希死念慮は、AS特有ではありませんが、ASの特性からはありがちかもしれません。
「自死」は大抵「うつ」状態です。この「うつ」自体が、器質や心因などあらゆるところから起きるので。そこからも「死」と「AS」の関係は統計を出すことはできないと思います。
とりあえず、勝手な意見でした。m(_ _)m 

[#7288] Re:はじめまして
 aikidonotatujn  - 05/7/4(月) 22:13 -

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   ▼nobody knowsさん:
>さて、統計は知らないのです。m(_ _)m
>統計は正直、ないと思います。
>ASの出現率自体が様々な報告がある状態ですから。
>
>ただ、
>ASが「死」に対して異常なほど興味を抱くことについては、文献に書かれています。
>特に、思春期以降。
>ちなみに、私も、太宰をはじめとした無頼派、芥川、ニーチェなど、「死」に関係した文学を当時読み耽りました。


 そうですね。統計的データはないですね。クリストファー・ギルバーグの著書にも自殺の問題が取り上げられていました。
 横浜発達クリニックのセミナーでも大きな課題として取り上げられていました。
 私自身、希死念慮が強く、年老いてから、どういう死を迎えるのかが大きな課題となってしまっています。
 nobody knowsさんの仮説は、私も全面的に同意見です。
 また、発達障害とは関係のない鬱病による自殺願望と発達障害が起因となって二次的な神経症や鬱からおこる自殺願望はちょっと違うように思います。
 私は、後者の方が「気軽に」死を選ぶ傾向が強いと思っています。自分よりも子どものことが心配で。
 子どもが小3の頃、「脳がよくない命令をする。」といってパニックになることがありました。今は、「脳がよくない命令をする。」は言わなくなりましたが、あまりにも周囲と興味・関心・生活様式が違う子を見ると、悲惨な最期を選んでしまうのではないかと将来のことが心配でたまりません。
 このようなことを考えていると、子はつくるべきではなかった・・・自分はこの世に出るべきではなかった等・・・堂々巡りになってしまいます。

[#7290] Re:はじめまして
 まいまい7  - 05/7/5(火) 1:29 -

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   専門的な知識もありませんし、これは私の勝手な「思い」ですが・・・。みんなそれぞれ違うので。読んでいただけたらただうれしいです。わたしは小さいとき沢山死について考えていました。幼稚園の頃にニーチェのようなことを思っていたのです。大人になってからは、自殺未遂をしてみてしまったこともあります。確かにその頃は鬱傾向にありましたが、小さい頃はもっと純粋に死に興味があったようにおもうのです。冷静でした。あまり苦しいとか、辛いとかは感じることなく。診断を受けて治療を受けて、だんだん「生」にも純粋な興味があることに気が付いていきました。大学の卒論では、ニーチェの応用版みたいなものを書いたのですが、結局今でもわたしは、生と死について興味深々です。「死」だけではなく、「生」のことも考えているととても楽しいです。これは一対のもの・・バランスよく考えられたら、いい方向へだって迎えるように思うのですが、確かに私もバランスのいい時ばかりではありません。でも、こんなことをついつい頭が考えてしまう自分、嫌いじゃないです。首をいつも絞めていた小さな自分も、堂々と大好きです・・実験したかったのです。やりかたは乱暴でしたが、脳からの命令が一途だったんだなぁ・・と。そんな自分が愛おしいです。実は今日誕生日なのです。私は生まれてきて本当によかったです。生きていてとてもうれしいです。生んでくれてありがとう。
本当にわたしの勝手な思いですが、ただ伝えておきたいと思いまして・・・。

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