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▼penpenさん:
>高校3年の長女、中学3年の長男にはAS傾向がある。
>小学6年の次男はまあだいたい普通。
>それで長女、長男は普通ッ子の弟をすごくばかにしている。
>
>成績が悪い。
>太っている。
>体育が苦手。
>かけっこが遅い。
>内気。
>おとなしい。
>うらおもてがある。
>言いたいことも言えない、勇気がない。
>ずるい。
>取り柄がない。
>
>確かに数字的な取り柄はない。
>長男など弟の身長を聞き(自分より小さい)、体重を聞き(太っている)、
>通信簿を聞き(すごく悪い)、テストの成績を聞き(20点とか30点)
>ありとあらゆる数字を聞いてげらげら笑う。
>
>家の中ではひたすら虐げられている次男。
>しかし、学校ではけっこう楽しくやっていて、友達も多く
>今までいじめに合うこともなく過ごしている。
>成績表には成績の悪さにもかかわらず“友達からも信頼されています”と
>書かれていた。
>姉や兄から見ると“成績が悪いのに要領ばっかりよくてずるい”となるが
>弟はずるいわけではないのだよ。
>気を使っているのだ。
私自身がアスペの傾向があります。
自分自身のことからの推測で書いてみます。
意味もなく、げらげら笑うことをするとは思えません。
おそらく、あの人は信頼できる、良い人だと、感じる、推測するのは、その人の行動を見ていて、どんな人にも、分け隔てなく、同じように、接していることが解った時だと思います。
アスペ傾向の人間なら、その人の行動に法則性を見つけて、その法則の中に人を分け隔てる要素が無いことを発見した瞬間に、この人は信頼できる、良い人だ、と思うはずだと思います。
この視点でもう一度、書かれていることを見ると、気がつくことがあります。
>うらおもてがある。
>ずるい。
この二つが入っていることに気が付きます。
つまり、人を分け隔てしている要素を見抜いているのか、そう、誤判断しているのか、つまり、かなり、複雑な条件付けがある法則性の複雑な条件付けの部分を見逃しているのかのどちらかなのだと思います。
これがあるからなのだと思います。
アスペ傾向のある人には、異常とも思えるほどに、高度に論理的に、精密に、人が従っている法則性について、説明してあげる必要があると思います。
場合によると、普通の人間自身が気がついていなかった人への分け隔てをアスペの傾向のある人間が見抜いていたという場合もあるはずです。
これが、客観性の力なのだと思います。
アスペ傾向の人が普通の人より、身に付けることが可能なのは、
自分自身への客観的な目
なのだと思います。
そのもっと先では、普通の人にはできないほどの他人へのとても公平な接し方を獲得できると信じています。
本当に、本当に、信頼できる人、こういう人は基本的には、不器用に、自分の信じる理(ことわり)を守り、その理(ことわり)に身をゆだねて、命をかけるぐらいのことをする人なのでしょう。
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