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▼藍風さん:
>こことは関係はないかも知れませんが、悩んでいることがあります。
>それは『人間関係』です。
>
>家族とも友達ともうまくいってません。
>あまり、自分自身うまくやっていいこうという気持がないのかもしれません。
>自分自身、本当に一緒にいたい人といたい、本当の人間関係がほしい、
>と思う気持がどうしても強く出てしまいます。
>家族関係のほうは、むこうも私と一緒にいたいと思う気持がないような感じです。
>だから、私も「もういいか」という気持になって家族という輪から外れました。
>友達関係も、うわべだけの関係で何度も裏切られたり、陰口たたかれたりで、
>「ムリかな」と自己判断で友達つくらなくなって生きました。
>
>「友達ナシでいいのか?」とか色々いわれてきたけど、
>自分自身、一人でいたほうが落ち着くし、楽しいし、
>本当にあの人といたいとおもったら作るし、「別になくてもいいです」と言ってきました。
>
>でも、困るコトはたたあります。
>あれがほしいと思っても、
>親がすべてお金管理していて、しかも家族と仲がわるいので買えなかったり、最近困ったのは、「親から人生につい話を聞く」という宿題が出されて、
>親と仲悪いし聞けないまま。
>たいていの、親をつうじなければいけないコトはうまくいきません。
>友達でいええば、わからないことがでてきても、誰にも聞けなかったり、
>困ったとき話が出来る人がいないこと。
>
>自分自身、社会に出たりしたときこのままじゃいけないよなぁ、
>と思って焦る気持もあります。
>ただ、焦ってまで、友達つくりたいと思わないしというような否定的な自分もいます。
>
>やっぱり「積極的」になったほうがいいのでしょうか?
藍風さんへのレスというよりも、wentによる一方的な語りという感じになってしまいました。ごめんなさい。
「『人間関係をつくる力』といった類の言葉が、最近は意識されすぎではないか」と、私は思うのです。
それらの力というものは、「個人の境遇や生得的な要素に左右されやすく、格差を生み出しやすい性質を持っている」と私は思います。
不利な条件を多く抱え(例 いじめ、虐待等)窮地に立たされた人達を、「不当に軽蔑・人格否定」する際の道具として、その類の言葉が悪用されていると思うのです。
条件に恵まれ且つその道具を使いたがる人が、次のような助言(?)をやりたがるケースも、あると思います。本人は「常識的な意見や指摘をしている」つもりで。
「場数を踏みさえすれば、誰でもごく自然に普通にマスターできることだよ。」
「ここをこうすれば、できるはずだ。できないのは、これまで努力しなかったからだ。」
それが簡単に実行できることならば、そうそう苦労はしないでしょう。実行したところで、また、成功するかどうかも怪しいです。
私は、社会に出た場合での「人間関係を作る力」について、次のように考えています。
・ 人間関係を作る力といっても、内容はさまざまである。「仕事に必要な内容とそうでない内容を明確にし、そうでないことに必要以上に干渉しない」のであれば、いいではないか。
・「人間関係を作る力」の一部として、「計算して人と付き合っていく能力・処世術」もある。それらを使わずに暮らしていくことは困難である。「あんたには人間関係を作る力がない」という言葉を使って、相手にそれらを使わせることを禁じさせようとする人もいる。
最後に、本の紹介を。この掲示板で何度か紹介された本があります。
『あなたがあなたであるために』
監修 ローナ・ウィング 著 吉田友子 中央法規
という本です。アスペルガーであるかどうかを問わず、「人間関係」について考える上で参考になるかもしれません。
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