アスペルガーの館の掲示板

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[#7637] お友達のできにくい子について. もしもし 05/7/25(月) 11:32 [未読]

[#7901] Re:お友達のできにくい子について. jyu 05/8/5(金) 18:01 [未読]
[#7993] Re:お友達のできにくい子について. もしもし 05/8/9(火) 15:56 [未読]

[#7901] Re:お友達のできにくい子について.
 jyu  - 05/8/5(金) 18:01 -

引用なし
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   はじめまして
このスレが立った当初から流れを見守ってきましたが、もしもしさんは厳しいレスにも丁寧に返事をされる礼儀正しい方ですね。

私はおそらくADHDを伴った自閉持ちです。二歳まで発語がなかったそうなので、アスペより高機能自閉なのかもしれません。ですが現在、不満なく生活していて特に悩んでいることはないので診断を受けるつもりはありません。
以下、私の幼年時代の話を書きます。趣旨にそれていて退屈かもしれませんが、こんなひどい状態の子でもなんとかなるんだという気やすめになってくれれば幸いです。

私は幼稚園から小四まで自分の力で作った友達は一人もおらず、さみしいと感じたこともありませんでした。
もしもしさんのお子さんの年齢のときは、外遊びの時間一人でひたすら砂場の周りを自分ではスキップと思い込んでいるギャロップでぐるぐる回ってたのが一番の思い出です。
年長になると先生の働きかけで側にいる園児が二人できましたが、私の気持ちは向こうから寄ってくるし、不愉快なことをしないから一緒にいるというだけの感覚でした。卒園近いときその一人が、離れ離れになるからさみしいね、小学校にいってもずっと忘れないでいようねと言ったのも意味がわからずポカーンとしながら聞いてました。
小学校に上がってからも、興味のある話題なら近くの子供と話をすることもありましたが、友情を求めてはいませんでした。(小一の頃、突然家を訪ねてきた同級生をとてもいやがってずっと押し入れに隠れていたことがありました。代りに応対させられた母は「なんて変な子だろうと思った」と今も言いますが、当時の私としてはその子が嫌いなのではなく、いやいや行かされている学校という外の世界の人間が私の大切なものがある自宅に来るなんてとんでもないことだったのです)。いつも一人でいて行動も変わっている悪い意味で目立つ生徒でしたが、当時の私はわたしだけの空想世界に生きていたので、同級生や先生からのいじめにもほとんど心を傷つけられませんでした。
そして困ったことがあっても助けを求めたり尋ねたりできず、一人でもんもんと悩んだ挙句パニック、授業中断も何度も起こしていたので、現在ならおそらく診断を受けさせられたと思います。母は家庭訪問で担任にぼろくそに言われたこともあったそうです。
担任の中にはこんな私と友達になるよう他の生徒に働きかける先生もいました。
おかげでいじめられっこだった私に嫌がらず声をかけ、あだ名で呼べる子ができましたが、彼らは二人とも後になって私とは先生に頼まれたから友達になったのだと言ってきました。他にも学級会でクラス全員に私を遊びに誘うよう先生が言ったことがあり、私はどうしていいかわからず今でいうダブルブッキングをして顰蹙を買ったこともありました(もちろん先生に言われたことだけが理由ですから、すぐに誘いはなくなりました)。
正直、先生のこれらの働きかけは友人を欲してなかった私にはよけいなお世話だったし、今でも屈辱の思い出です。でも、今思えば私の感覚がわからない定型の先生は喜ぶだろうと思ってやってるくれてたんでしょうね・・・
こんな私が外の世界に向かおうという気になったのは、小五になって前の席の男の子が好きになったからです。特に仲も良くなく、今考えるとどこに惹かれたのかよくわかりませんが、おとなしいけれどクラスの人気者でした。
このとき私はクラス内の評価を上げるために初めて友達を作ろうと思いました。本人とは恥ずかしくて口もきけず、好かれるなんて絶望的とわかってましたが、バイキン呼ばわりされてる子に好かれるなんて気持ち悪がられるだろうと思ったです。
私は明るくくだけて思いやりのある女の子のイメージに自分を近づけようとし、本やテレビで学習した対人スキルを総動員して周囲の子に話し掛けていくようになりました。もちろんスマートにはできませんでしたが、六年になると友達同士で私の取り合いになるような人気者になり、ばかにする人は誰もいなくないりました(とはいえ、好きになってもらえたのは演じていたイメージの生徒で私自身ではありません)。友達はいつも側にいてとても大切にしてくれましたが、それでも私はときどき無性に一人になりたくなり黙ってどこかへ行ってしまうことがありました。、
中学以降、男の子への気持ちも冷め、積極的に振舞うエネルギーがなくなってからも、私はwentさん曰くのCの価値観に縛られて強迫的に友達を作ってきました。それは本来の性質でない分苦しく、他人に無関心だった幸福な時代に戻りたいとよく思いました。高校時代には自分を見失ってうつのような状態になったこともあります。でもそこでダメにならずに回復できたきっかけは、心の奥まで話し合える同じ自閉傾向のある友人と出会えたことでした。また定型の人との間でも立派な心を持つ人たちと親友になれましたし、就職先を紹介してくれたのも友達でした。私がなんとかここまでこれたのも、多くの場所で大切にしてくれる人たちと出会えたからだと思ってます。
だから
>過去を振り返って人生はつくづく出会いだ
というもしもしさんの言葉はすごく理解できます。

私はつい最近まで自分を一人でいるのが一番落ち着くものの普通の人間だと思ってきたのですが、自分の子供を育ててみて私の幼児期とあまりに感覚が違うことに驚き、自分が普通の子供ではなかったことに気づきました。
wentさんのABCの分類がとてもわかりやすいので私も使わせてもらいますが、定型の人は生まれながらにAを持っているようですね。私はAに近い感覚を学習や経験で手に入れたので、定型の人のそれとは本質的に違うのかもしれません。Aが先天的に欠けてるのが自閉の特徴かなと思います。

>おふざけしながら先生の話を聞くことが良くないことではあるけど、普通本来ならお友達>とお喋りしたりふざけたりするのが子供のあるべき姿ですよね。
>椅子の色にこだわらず普通なら仲のいいお友達と座りますよね.
>お友達とふざけながら登園したり,降園したり。
もしもしさんの価値観は私の母によく似ています。私が初めてこの掲示板に書く気になったのも母を思い出したからです。いつも一人で家にいたがる私に母は子供というのは友達と外で活発に遊ぶものだ、こんなのはお母さんの欲しかった子供じゃないみたいなことをよく言ってました。もちろん虐待されていたわけではなく、かわいがってもくれましたが。
もしもしさんがお子さんに、毎日友達と一回は話すように言ったというのはかわいそうだと思いましたが、友達のいないことについてお母さんがどう感じているか伝えるのはいい面もあると思います。もしお子さんが自閉ならば素の行動が多くの人の目にどう映るか教えることも大切だと思うからです。
小学校時代、母は私を欠陥人間のように言い、傷つけられることもたくさんありましたが、反面、露骨に嫌悪を示してくれたことが素のままの私を他の人がどんなに厳しい目で見るかを教えてくれ、外の世界に向かうときに役立ったのも事実です。
祖父の葬式に笑みを浮かべてしまったこと(決して葬式を喜んでたのではなく、気持ちが自分の世界に行ってしまってたからです)、学年文集に人間性を疑うような作文を書いてしまったこと、母が凄まじい形相で怒ってくれなかったら、社会の価値観を学ぶ機会はもっと遅くなっていたでしょう。正直、もっとこまごましたことも教えてくれれば良かったのにと思うほどです。
実際、戸棚から食べたいお菓子を持ってきたら隣の人にも分けてあげるという定型ならニ歳児でさえ気がつく行動が、私のような人間は指摘されて学習してからでないとできないのです。そしてそんな子でも大人になれば定型の人が圧倒的に多い社会に飛び出していかないと生きていけないんですからね。

あと私が孤立していたにもかかわらず、外に向かおうと決めたときそれなりに受け入れられたのは本やマンガが好きで対人パターンを頭に入れていたからじゃないかと思います。
家にいるとき、私は本やアニメが好きでたくさん見ました。
物語やアニメは必ず人間関係が出てきますよね。それを眺めて
「友達というのはこういう行動をするものだ」「こうした場合はこういう言動が喜ばれるらしい」「こういう人は嫌われる」というパターンを多く頭に入れることができました。
お子さんに友達と一緒に遊ぶ気持ちがおきないうちは、童話等を読んであげて人付き合いのルールを教えてあげるのもいいんじゃないかと思います。
私にとって幼児の人間関係は子供に教えてもらう立場ですが、やはり形式的に友達といるスキルより、他人にとって魅力的な人間に映るかどうかが大事だと思います。
それに私の経験ではありませんが、世の中には職場で孤立させると脅して反社会的団体に勧誘するような心ない人もいたりするので、盲目的に協調性があればいいというわけでもないと思います。お子さんは周囲に流されない、自分の頭で考える資質のある子だとプラスにも考えられるんじゃないでしょうか?

[#7993] Re:お友達のできにくい子について.
 もしもし  - 05/8/9(火) 15:56 -

引用なし
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   こんにちわ。こちらこそ初めまして。▼jyuさん:
>
>もしもしさんの価値観は私の母によく似ています。私が初めてこの掲示板に書く気になったのも母を思い出したからです。いつも一人で家にいたがる私に母は子供というのは友達と外で活発に遊ぶものだ、こんなのはお母さんの欲しかった子供じゃないみたいなことをよく言ってました。もちろん虐待されていたわけではなく、かわいがってもくれましたが。
>もしもしさんがお子さんに、毎日友達と一回は話すように言ったというのはかわいそうだと思いましたが、友達のいないことについてお母さんがどう感じているか伝えるのはいい面もあると思います。もしお子さんが自閉ならば素の行動が多くの人の目にどう映るか教えることも大切だと思うからです。
>小学校時代、母は私を欠陥人間のように言い、傷つけられることもたくさんありましたが、反面、露骨に嫌悪を示してくれたことが素のままの私を他の人がどんなに厳しい目で見るかを教えてくれ、外の世界に向かうときに役立ったのも事実です。
>祖父の葬式に笑みを浮かべてしまったこと(決して葬式を喜んでたのではなく、気持ちが自分の世界に行ってしまってたからです)、学年文集に人間性を疑うような作文を書いてしまったこと、母が凄まじい形相で怒ってくれなかったら、社会の価値観を学ぶ機会はもっと遅くなっていたでしょう。正直、もっとこまごましたことも教えてくれれば良かったのにと思うほどです。
>実際、戸棚から食べたいお菓子を持ってきたら隣の人にも分けてあげるという定型ならニ歳児でさえ気がつく行動が、私のような人間は指摘されて学習してからでないとできないのです。そしてそんな子でも大人になれば定型の人が圧倒的に多い社会に飛び出していかないと生きていけないんですからね。
>
つい思いあまって感情的に叱りつけている事はきっと
息子の記憶に色濃く焼き付いてると思います。
そして「人間は一人では生きていけない」
と言う5歳の子にはまだ理解できない事として記憶に残ってると
思います。(もう忘れてると思いますが)
しかしjyuさんのように
私の押しつけをいつか息子が大きくなった時に気付いてもらえたら
と思います。
「おふくろはこういう事を言いたかったんだ」と言う風に。

>あと私が孤立していたにもかかわらず、外に向かおうと決めたときそれなりに受け入れられたのは本やマンガが好きで対人パターンを頭に入れていたからじゃないかと思います。
>家にいるとき、私は本やアニメが好きでたくさん見ました。
>物語やアニメは必ず人間関係が出てきますよね。それを眺めて
>「友達というのはこういう行動をするものだ」「こうした場合はこういう言動が喜ばれるらしい」「こういう人は嫌われる」というパターンを多く頭に入れることができました。
>お子さんに友達と一緒に遊ぶ気持ちがおきないうちは、童話等を読んであげて人付き合いのルールを教えてあげるのもいいんじゃないかと思います。
>私にとって幼児の人間関係は子供に教えてもらう立場ですが、やはり形式的に友達といるスキルより、他人にとって魅力的な人間に映るかどうかが大事だと思います。

そうですね。魅力的な人間に私自身死ぬまで到達できそうにありませんが
もう少し大きくなったら息子と一緒に考えてみたいですね。

>それに私の経験ではありませんが、世の中には職場で孤立させると脅して反社会的団体に勧誘するような心ない人もいたりするので、盲目的に協調性があればいいというわけでもないと思います。お子さんは周囲に流されない、自分の頭で考える資質のある子だとプラスにも考えられるんじゃないでしょうか?

そんな考えもあるのですね。
私にそのように柔軟に考える力があれば息子に変なプレッシャーを
与えずに済んだのに。

jyuさん、大切な子供の頃の話をありがとうございます。

母の立場、そして当事者としての立場から色々アドバイス頂き
そして私の気持ちも汲み取って頂き
私はとても癒されました。

今夏休みで親子二人ゆったりと過ごしております。
「友達、友達」と言わずにすんでおります。
秋になれば、頭では分かっていても、また同じような事で悩むと思います。
またその時はどうぞ相談にのってください。

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