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こんばんは。
▼三月うさぎさん:
>自閉というのは、考え方が一方的です。自分で見た一方的な視点でものを考えます。
>例えば、「相手のことを考えてやった」と思ってるつもりでも、それも「自分だったらこう考えるから」という程度の視点なので、一般的な意味での「相手を考える」とは、また違っています。
>だから、ひんしゅくを買うにもかかわらず、「人の事を考えていない!」と言われると「こっちは相手を思ってやったのに!私は悲しいっ!そっちだってこっちのことを考えてないじゃないか!こんなに一生懸命考えてやったことを理解してくれないなんて!」
>と、思います。
>でも、これは相手からすると逆ギレなんですね…。
こう考えられるだけでもいいことなのでは?と私は思います。
「自分がされたら嫌なことは人にしない」
ということが考えられるようになったのは、確か高校生くらいだったような・・・。それまでは本当のことを言って何が悪いの?しか考えられませんでしたし。
問題はそこから先ですよね。自分にとって嫌なことと相手が嫌なことが違うことが解って、なおかつ何が嫌なのかを考える・・・。難しいです。今でも解らないときがあります。
>それから、私が次に陥った傾向として、
>自分が発達障害の可能性がある…と気づき、「自分は発達障害者だ!だから、場が読めないんだ!そうか、それで今までトラブってたのがよーくわかった」
>と思いました。
>で、
>「私は発達障害者です。だから場が読めません。相手の気持ちがよくわかりません。」と、前置きした上で、例えば上記の「太ってる」の話題のようなことを「正直」に口にします。
>
>私としては「私は場が読めないからって言ってるじゃない?最初に断ってるわよ」と思ったんですよ。
>でも、これもさんざん周囲の気分を害しました。
>特に、発達障害者として日々努力されている方達から「発達障害者の印象を悪くした」と。
>私は、これにも逆ギレしました。
>「発達障害者なら発達障害者同士、こっちの気持ちがわかったっていいじゃない!場が読めないのはしかたないでしょ?」
>私の発想は「相手に自分の気持ちをわかれ!」です。
私は初めての人と接するとき、当り障りの無い人物になっています。簡単に言えばその人の話を聞いて、質問されたら答えると言う感じです。その間にその人を私の頭の中にある「人の分類」のどれに当てはまるかを考えて、その分類の人たち用の対応をしています。
上の相手が嫌なことを考えるのにも共通しているのですが、この分類をした時点でその分類の人たちが共通で嫌がることが大体わかるので、それを避けて会話をする感じでしょうか。ちょっとづつ自分の本音に近い部分を出していって、どこまでがその人の許容範囲なのかを見つけています。
これで人付き合いの7割方は何とかなります。少なくとも嫌われることはほとんどありません。
・・・でも、これでも対応できない人たちがいるのです。
日によって(自分の機嫌次第で)言うことがころころ変わって、なおかつ言っていることと考えていることが違う人には全くもって対処できません。そういう人たちとは付き合えばお互いストレスがたまるので、こちらから切り捨てても全く問題はありませんでした・・・今までは。
主人の母親がこのタイプなので困っています。たまには行かないと悪いな、と思って時々遊びに行くのですが、帰ってくると疲れのため爆睡です。相当神経すり減らしてます。
言っていることと考えてることが違ったって、言ってしまったんだから仕方ないと考えてくれる人ならいいんですけどね・・・。
とりとめなく書いてしまいましたが、私の他人に対するスタンスとしては、自分の気持ちを正直に伝えるとか、言ったほうが相手のためになるというのは二の次で、
「本当はこう思うんだけど(こうしたほうがいいと思うんだけど)、別にそうならなくても自分は困らないし、面倒だから放って置こう。誰か死ぬわけじゃないし」
っていう感じです。少し冷たいような気もしますが、その方が結局お互いのためなんじゃないかな〜と思ってます。
それでは済まされない関係の場合はどんなに自分の意見と違っても、理解されなくても「でも」は2回くらいまで、と考えて会話してます。
自分が相手の気持ちをわからないのと同じで、相手も自分の気持ちをわかることは難しいのでは?と私は思っています。定型発達の人たちがなんとなくわかる人の気持ちも私にはデータの蓄積の結果に過ぎません。でも、結果として似たような対応ができればそれほど周りは気にしないのではないかな〜と。
>これに対して、みなさんはどう思われます?
>「そうだ、正解だ。どこが悪いんだ?」でしょうか?
>それとも「それは嫌われて当然…」でしょうか?
これに対する返事は難しいですね。
本音はその通り!って思いますけど、実際は嫌われる率が高いですよね、きっと。
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