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nobody knowsさんへ
>よくもわるくも、お子さんの前にある「他者との関わり合いのあるグループで、制度的には最も関わる時間の長い場所」=「学校」のように思います。
>
>ただし、学校に適応することが「社会性を身につける」ことではありません。学校はあくまで、将来の自立のために社会性の「学習」をする場所です。失敗しておくことも大切なのだと思います。はじめからスムーズに適応したら、それは「発達障害」とは呼ぶ必要なんかないのではないでしょうか。
>まあ、理想ではありますが、
>学校とは、「人との関わりを間違ってもいい場所だ」なのだと(^^;)
>
また素晴らしいコメントにお邪魔しました〜☆
そうですよね。すごく共感します。「間違いながら成長する」経験が必要なんですよね。 そこから始まるものはとっても重要だと思いました。障害に関わらずにすべての子どもたちに必要なことで、また親もそこから成長していくのかもしれません。そういった言葉を聞くと嬉しくなります。私も息子たちに「たった今からでもやり直しが出来る」ことに気付いて欲しいです〜(>.<)だから一緒に長い時間を過ごして導いてくれる先生方から、子どもたちに寄り添った言葉を聞けることが、私の希望になります。 ありがとうございます。
>「保護者の方達の心配」の生育過程はおおよそ、下記のような感じでしょうか。
>これは、ご自分のご心配がどれだけ「成長」していくかのほんの一例です。
>なぜ、こんな言い方をするかと言うと、「ご心配」は成長してくれても、そうは簡単に解消なんかしないからです。
>
これも共感しました〜(>.<) 親も子どもの成育過程から心配ごとが変るだけで、解消することはないんですよね。障害に関わらずに、親というものはそういうものなのかもしれないですね。 次はこれが心配と探してしまうのかもしれません。
見守る段階にはいる5・6年生になるとこの心配をぐっと心の奥にしまって、自分で考えていくこと、失敗してもそこから自分で考えていく力を付けさせることに心を砕かねばなりません。 見守ることもまた親としては辛いものがあります。
きっと果てしなく、親である限り続くものなのでしょうね。なかなか自分の心配ぶりに気付かなくてあたふたしてしまいます。学校には学校の良さがあることを多角的に見て行けたら親にも余裕ができると思いました。
先日IEPミーティングを開いて面談してもらいました。学校側の個人的なこれからの指針を情報として教えて頂き、安心して見守っていくことで協力体制をとることができました。
私も親として成長を少しずつですが、息子の失敗から学ばせてもらっています。
親もまた自分を見つめて考える時間が欲しいのかもしれないと思いました。
私心で申し訳ないのですが、nowbody knowsさんの言葉で沢山気付くことができました。 ありがとうございます☆
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