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▼アリステイデスさん:
こんにちは。(=^・^=)
> 僕の場合は聴覚障害を持っていますが、見かけ上は健常者に近い
>と思います。でも、本人の実感では、「普通」とはものすごい差が
>あるように感じます。補聴器を使えば音声がかなり入ってきますが、
>決定的な格差は否定しようがないですね。
そうですよね。
目の見えない人よりも健常者との格差は大きいですよね。
母が年を取ってかなり耳が遠くなりました。
近所の人がお茶を飲みに来てくれますが、どうも話がとんちんかんです。
それを見ていると耳が悪いというのは孤独だなと思います。
目が悪いだけなら楽しくおしゃべりをするのに不自由はないのですが……。
> 聴覚障害者の場合も、障害の程度が重くないがゆえに、むしろ
>疎外感を深刻に感じる人がいるようです。
相手が話が通じなくてとまどう表情も見えてしまいますよね。
> 僕の場合は比較的重いほうなので、カミングアウトの問題はあまり
>ありません。逆に軽度の人は自分の障害を他人に言いにくいという
>苦しさを抱えていたりします。
以前内部障害のつらさを訴えた新聞投稿を読んだことがあります。
その方は心臓が悪いので、立っているのがつらく電車で
シルバーシートに座ると非難の目を感じることがあるのだそうです。
内部障害にもっと理解をほしいということでした。
非常によくわかる内容です。
> 重度の障害者とは別の種類の辛さを抱えているのが「外側からは
>そう見えない」「重くない」障害者の特徴のひとつだと思います。
わかりづらいというのはめんどうなことですね。
しかし、障害者の歴史を考えると盲目とか歩けないなどの
今は保護されているわかりやすい障害に何の保証もなく、ただ前世の因縁と
家族からも冷たくされたり座しき牢に閉じこめられたりした時代もあったのですから
わかりづらさに不自由を感じるのはある意味今は比較的障害全般に
理解が進んだということなのかもしれませんね。
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