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aikidonotatujinさん、再度のレスをありがとうございました。
本題とずれた私の書き込みのためにご気分を悪くされているのではないかと気になっていたので、レスをいただけて安心しました。
aikidonotatujinさんがいらっしゃる地区のような例を知らず、きつい言い方をして申しわけなかったと思います。
職場ではいろいろお辛い状況のようですが、がんばってください。
ケロロさん、樹村さん、Chiquititaさんもレスをありがとうございました。
いろいろな地域のお話が勉強になりました。
以下は今回のaikidonotatujinさんの書き込みとは関係のないお話です。
私が感じているのは、自分自身が当事者だからこそ、ほかの問題にも敏感でありたいということです。
発達障害者関連サイトで「精神分裂症」「知恵遅れ」などの表現をたまに見るんですよね。
「○○さんは発達障害を統合失調症のような精神病と誤解している」といった書き込みも気になります。
その人は「発達障害は障害であり、精神病は病気であって別のもの」と言いたいだけかもしれないけれど、「精神病と一緒にされたくない」というニュアンスにも取れるので(本人にそのつもりはなくても)、「これを見た精神病当事者はどう思うのかな」と心配になります。
そういう自分自身も、仕事で文章を書いていて、仕事仲間に「この表現は問題がある」と指摘されたことがあります。
無意識のうちにある自分の差別心に愕然とすると同時に、そのことを自分の抱えてる問題に置き換えてみて、「当事者でない人間がその問題を理解するって、やっぱり難しいんだよねえ」と考えたりします。
傷つけるつもりはない。それなのに傷つけてしまう、傷ついてしまう。
自分は「発達障害」というカテゴリーにおいては当事者=マイノリティ側だけれど、ほかの差別問題においてはマジョリティ側である。
どの程度ほかのマイノリティを思いやることができているのかについては、自信がない。
発達障害者だからといって、いつも「社会の弱者」とは限らないんですよね。
そのことを忘れてしまうと、自分も傷つける側になってしまうのだろうと思います。
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