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▼藍さん:
こんにちはー。
>確かに、診察中の会話などを思い出してみると、「仕事が出来ている」と言うのがひとつの基準とされていたような気がします。
病院を受診なさっているかたのなかには重症のかたもおられますので
その方達からするとわたしたちは“問題なし”の部類に見られても
仕方がないかもしれません。
>公務員なので、よっぽどの事が無ければ、職は失いません。
そうですねえ。
クビにならない、という状況も、いいようでいてたまに問題を
ややこしくこじらせることがあります。
公務員も世の中の人が思っているほど、恵まれているとはいいきれないところも
あるように思います。
>また、教員と言うものは、単独での作業が多いので、少々人間関係が悪くても、何とかなってしまいます。
小学校の先生だと全人的なレベルの高さが求められますが、
中学、高校となるともうちょっと、状況が違うかもしれませんね。
(とはいえ、ADHD、AS傾向のある先生への父兄の評価もたまにきびしいことがありますが……)←特にお金の徴収など
>例え、何かあったとしても、迷惑を被る対象が生徒なので、人間関係の不和は、たいてい抑えられます。
>(と言うより、「生徒の目」が、一番の抑止材料なのかも)
>私にとって、この仕事は、あってるのだと思います。たぶん。
先生ってたまに非常にユニークなかたもおられますよね。
>一番の悩みは、いつの間にか、相手を不愉快にさせてしまっている事。
>本人全く気付けないので、後で、第三者から「いったい、何やったの?」と、注意を受け、後の祭り状態。
>何がいけなかったのか聞いても、「とにかく、話し方と態度が悪かった。」と言われるだけで、具体的な指摘をされません。
話し方と態度はAS傾向のある人はしばしば攻撃されます。
非常に一般的な非難は“えらそう”に見えるということです。
つまり会話というのは普通はキャッチボール的な気持ちのやりとりになるのですが、アスペ傾向がある人はそのキャッチボールができません。
例えば藍さんが学生だとして同級生に“試験勉強していないよー!”
“どうしよー!?”と言われたとして、その場合、100人中97人ぐらいは
“だいじょうぶだよー!”とか“わたしもやっていないよー!?”とか答えます。
つまり“どうしよう!?”と言われてもそれが実は回答を求められてはいないことを知っているのです。
まちがっても“どこまでやっていないの!?”とかまっとうな質問や回答をしてはいけません。
そういう時、同級生は藍さんが病院の先生に“わたしはアスペルガーではないでしょうか?”と聞いた時に
“違います”と言われた時のような失望感を味わいます。
>どんなに、好意的に接しても駄目なようで、ホントに何がいけないのか・・・。
>常に、その事を考えながら人と接していると、疲れます。
>人の目があるところでは、ひたすら笑顔を作っているので、顔が引きつりそうです。
笑顔は特定の場面で見せると効果的ですが、いつも笑っていては、笑顔の効果が下がりますし、ヘンな人と思われます。
>障害であれば、対処法を。性格であれば、改善法を。
>それが、望みなのですが・・・。
やはり同レベルのアスペのかたに会ってみるというのが一番の方法だと思います。
アスペにもいろんなタイプがあって、自分と同タイプ、同レベルの人を見つけるのはなかなか難しいですが、
同じタイプの人に会ってみると、自分の問題が非常によく理解できると思います。
>そうですね。
>少々怖い気もしますが、(何せ、初対面の方には、不愉快にさせ度、大ですから。)機会があれば、参加させて頂こうかと思います。
わたしは仙台に近いので仙台でたまにオフ会をします。
藍さんが仙台においでになる機会があったらいっしょにお茶でも飲みましょう。
(わたしはひまですんで……)
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