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▼白猫さん:
こんにちは、はじめまして。
確定診断はされていますが当事者疑いの者です。
辛そうですね。
今は、自分の場合は、「友達や恋人がいる自分」になること、つまり、世間から見られた形が大切であったことに気づいて、それを自分が本当にはあまり求めていないことを自覚しました。(ただのあきらめかもしれませんが)
それに特殊な伴侶も得ました。結婚はしていません。
>毎日、孤独と不安で「生まれてきたくなかった」と死にたいくらい辛い気持ちになっています。
しかし白猫さんのように「自分には心からの相手がいない。孤独だ。」と思って、とても悩んだ時期がありました。それは15〜22歳くらいまで。今は29歳です。友達を作ろうとし、モテる方法を考え、もちろん自己啓発本を読みました。
その頃は、今のような生活が想像できなかった。
>そこで、自己啓発本(カーネギーの「道は開ける」「人を動かす」など)を読み漁りましたが、だいたい書いてあることは同じで、
>
>・見返りを求めず、人に親切にする
>・いつも笑顔でいる
>
この自己啓発本は変わっていますね。
見返りは、必ず求める物だから、安心してください。
具体的なものや関係でなくても、例えば自尊心を満たせるとか、です。
「いつも」というのがどのくらいのいつもか分かりませんが、多分友人や恋人を作る意思を含めて人と関わるときに、ですよね。
いつも笑顔でいるのは、私にはとても不自然なことに思えます。
何を考えているか分からない笑顔より、喜怒哀楽が分かる方が安心でき、魅力的に思えると言う人もいます。例えば私は全く笑わなくても平気です。
もちろん社交上、形式的に明らかに笑顔で場の空気を良くすることが必要なときもあるでしょうが、そういうときも無理なのですか?
何がいいたいかというと、白猫さんは今、形にとらわれて苦しいのかと思ったので、そうじゃない場合もあることを言いたかった。
>親密な人間関係さえ作れれば、ここまで自分を卑下しなくても済むのですが・・・
>自分を変えないと(今の状態では)親密な人間関係は作れない→自分を変えようとする→自分は変えられない→さらなる自己肯定感の低下
>
>という負のループに3年くらい囚われています。
>
などのようにとても硬直した考えが先にあると思うので、
卑下しなくてもいいことを言いたかった。
自分も負のループにとらわれまくっていたのですが
「変えられない自分」のままでも受け入れられるところ、相手が、いる、なぜならひとの魅力の感じ方千差万別だからです。
自分が本当に求めてるのは何だろうと耳を澄ますのもいいと思う。
でもこのアドヴァイス?の根拠は、「こんな自分でも友達できたんだから他の人にもできるだろう」という自尊心下がりまくりの確信からです。
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