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自分にとって地域で大事な人がいるという事は財産だ。私はそう思う。
私の住む地域にかってギャラリーカフェがあった。そのママは私の事を理解していて、絵・地域の人の本音・子育て・教育について世の中の人が何を考えているかを語った。今のいじめ・教育荒廃もママなら親の育て方に一因していると一過言論じていたに違いない。石原さんにこの辺の襟を正すべきだという思いを説いていたに違いない。石原を支えているのはこういう古い道徳の再興を願う普通の庶民なのだから・・・・・
本論に戻すと、ギャラリーカフェでいろんな体験をした。ママの孫を足の速い私が孫に合わせてコンビニまで歩いた事。
展覧会のチケットをもらって展覧会に行ったり、ママの娘が歌手をしてそのパーティーが銀座であって出席した事。走馬灯のようである。
このギャラリーカフェはお客が減り閉店した。しかし私はこの体験から、地域に職場・施設以外に第三の場が必要であり、それは生活の質の向上になると・・・・・
蛇足であるが管理人夫婦が尽力して浦和で行ったオフ会もそういう意味では第三の場を作り、参加者の生活の質の向上につながり、リフレッシュして仕事・作業に取り組んだのではないだろうか。
定型発達の社会人でも山岳会・サークルに出て生活の質の向上につながるくらいだから、発達障がいの人も第三の場が必要ではないか????
行きつけの店とかそういう形でも・・・・ただし他人の気持ちになり、他人がどう思うかを主体に考える訓練なり、目的意識を持たないと、自分勝手に判断しがちな高機能自閉症・アスペルガーの人にとって、自分勝手な思いを抱く場がひとつ増えるだけになりかねない。たとえば居酒屋のママに話したいのに、他の人に邪魔されたといった自分勝手な思いを抱きがちになる。
お客さんも自分と同じようにママに話がしたいのだ。お客さんの話が終わってから、自分がママの話をしようという気持ちにはならない。
大事な人というのは自分にとっても大事だが、相手にとっても大事なのだから・・・・・・・・
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