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みーたんさん
はじめまして。
短い文章から、今みーたんさんが置かれている状況みたいなものが見えてきます。
>まわりからの孤立
>圧倒的に不利だと思う少数派
きっと気づいたら、周りから孤立してしまっているのですね。
私は保育の仕事をしております。
保育施設という場は集団を経験する場ですが、
・保育者や親が「よし」とするふるまいを身に付けること
・友だちとなかよくあそぶ
など、大人が一方的に決めた枠の中にはまっていれば問題ないとされる傾向が大きいのだと思わされています。
すでに小さな小さな頃から、周りの目を気にして、怒られないように気を遣って生きることを求められる子どもたちではないでしょうか?
やがて小学校に進むと、今度はじっと座っていることができないともう全否定・・。
・子どもがのびのびと自分をだす。
・失敗からいろんなことを学ぶ。
・失敗したことを自分で気づき、自分で反省し、自分から改善しようとする
「一人ひとりの子どもの発達に即して、本人の課題をしっかり把握しながら、子どもの状況に応じて、その課題を子ども自身がスムーズに乗り越えていけるような手だてを講じること」が本来の指導と呼ばれるものではないかと思うのに、「大人が子どもの問題を決めつけ、努力を強いる」という指導になっているのが現状です。
定型と呼ばれる子どもたちは自分が我慢して座っているのに、じっと座らないことを許される子どもにたいして、批判的な感情を持つのは、残念ですがとても自然なことです。また、抱えている問題のはけ口として攻撃的な関わりをしてしまう友だちに従うことで自分を守ろうとしたり、自分が仲間はずれにされないようにと汲々としたりして、それこそ、毎日を不安な気持ちで過ごしているように思います。陰湿ないじめへと発展していくのは、大人が子どもを管理する対象としてしかみていない時に起きるもので、心のすれ違いや受け止め方の違いによるトラブルは起こるのが当然なのだというスタンスで、そのトラブルの場に立会い、互いの言葉にならない思いをどんな言葉で言えばいいのかを、子ども自身が見つけだしていけるようにすることが、本当の援助だと思うのです。(それが私にできているかというと、努力中!というところです)
心を紡ぐことが保育の原点だと私はやっと気づくことができました。
保育者と子ども
保護者と保育者
保育者間
子どもの健やかな成長を支えることの大前提が、この互いの心を言葉で紡いでいくことなんだと思わされています。
そして、最終的には子どもたちが、自分自身の言葉で互いの心を紡いでいく力を身に付けることができればいいですね。
この館で書き込みをなさっておられる当事者の皆さんの言葉に耳を傾けていると、相手を思いやる心とか、愛、信頼、という目に見えないけれど確かに存在しているものを、しっかり感じるためには自分自身が誰かから、思いやられ、愛され、信頼されるとう体験が必要なんだと思わされます。
>前向きにと自己肯定する努力
>もう、つらくてたまりません。
>感情をじょうずに処理できません。
自己肯定感は努力して得られるものではなく、自然に「だいじょうぶ」と安心できる感情です。その感情を持てないのは、あなたが悪いのではありません。
あなたがすごしてきた日々を検証してみてください。
ご両親の育児はどうでしたか?
学校の先生たちはどんな先生でしたか?
雰囲気のいい学級はなかったですか?
ご自分を否定してしまう要因がいっぱいあると思いますが、苦しみながらもそれをなんとかしたい!と願って、勇気を出してこのスレッドを立てられたことだと思います。この館に出会われて、こうして書き込みをなさったということで、一歩踏み出されましたね。
みーたんさんは残念ながら自分を肯定されて安心したという感情を持てずに生きてこられたのかもしれません。
この館では当事者の方の書き込みだけでなく、保護者の方の書き込みもあります。
いろんな立場のかたたちが、それぞれの人生を懸命に生きておられます。一緒に成長していきましょう!
これからもよろしくお願いします。
長くなってごめんなさい。
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