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▼アトムさん:
>一年契約で仕事をしています。
>アスペルガーの診断を受けて、手帳の3級を貰っています。
>職場には、診断書を出していますが、手帳を貰っている事は言っていません。(手帳を所持している事がプラスにはならない環境です)
>職場でのトラブルが多くて(違法な事はしてませんが、私には理解出来ない、暗黙なルールは破っているかもしれません)
>仕事が出来ないと、収入が断たれるので、困っています。
>僕は今後、何処に相談すべきか、困ってます。
>都府県レベルの相談所には、繋がりがあります。
>今の仕事は、しんどいけれど、生活においては、お金が普通に必要なのです。
AS周辺のハンディを持つ方の場合、自らの経験からして、“鮮明に区別して考えたほうが、よりすっきりとした人生を歩める”と思えるのは、“仕事”と“労働”という言葉の解釈のしかたです。
とかく…日本だとこの2つの言葉は、“= イコール”であると認識されがちです。
ところが…ヨーロッパの方では、
#仕事→自ら進んで、有償・無償など問わず、世の中が良くなるように、自分の周りへ向かって働きかけること
#労働→経済状況や主従関係・自然の猛威などの不可抗力が働くもとで、それらの
圧力に抵抗して生き延びるために、受け身的に労苦に耐えること
という具合で、“≠ ノット・イコール”の関係だと捉えられています。
日本だと…“一つでも会社をクビになる=世の中に適応することができない”という烙印を押された感じになってしまって、ひどく落ち込んで、うつというケースがかなりありますけど、向こうでは“=次の新しい・生き甲斐のある職場への通過点”と、多くの人が捉えているし、“そういう環境を整備することが社会の責務”という意識が、草の根のように張り巡らされています。
もっとも、“100%好きな仕事にありつけるか”といえば、実際は“30%は…労働”“いんや60%”“99%は労苦”など、どちらかといえばそうではない答えが返ってくるのだと思います。やはり人間はある程度は、自分の良さについて、客観的な評価をためらえない生き物です。
けど、どんな人間でも、“細胞”という…柔らかで・火をつければ焦げる・衝撃に弱いものの塊で、それでいて、心臓の拍動や体内時計などという、精緻な動きを
うまく生きられれば、2万日以上もやってのけることができて、そのおかげで希望へと歩んでいけるわけです。
というわけで…“明日生きる”ということのために、食事を取る・屋根で雨露をしのぐ・身体を洗う・排泄をする・予定を仲間と話し合うなど、生命維持を図る行動をするのが不可欠です。
お金の本来は、“人間らしい・したいことを円滑に進めていく触媒”なのでしょう。
けれども、たまたま今の日本は、何故かこの触媒がいっぱい自分の手元になければ、周りがうまく動かない状況になって、“貧困”という停滞現象の暗いもやにおおわれています。
今は安くなったとはいえ、“標準的な家族”という“4人家族向け”の住宅は、
2千〜3千万円という高値でですし、アパートを借りれば、月当たり3〜10万円の金がぶっ飛びます。それをまかなうには、長時間労働が必要なわけで、ストレスに蝕まれて、帰れば寝て、また起きて会社…というチェーンソウで、心身を痛めつけていく“犠牲祭”が延々と続きます。“これはたまらん”と、企業という上昇し続ける刃から手を離せば、かなりの場合“ちゃんと”という声のみがこだます奈落の暗闇でもがき続けなくてはなりません。
これじゃ…“脱原発のために、再生可能エネルギーを生かすエネルギーシステムを創りましょう”といっても、ローン返済・家賃のほうにばかり金が流れて、その営みは遅々として進まず、“再稼動→次の震災→より大きな事故”という方向へベクトルが向かい続けていくでしょう。
“今後発展するポテンシャルが高い仕事は?”と問われれば、僕は、迷わず“デザインがシンプルで…安く建てることができて…瓦礫を生産せずにリサイクル可能で…環境になじみやすい居住ユニットを供給することです”と答えます。
とわいえ…僕は今は、しがない“障害年金生活者”です。
そう思ってはいても、間接的にしか今は、動けないです。
情けなさに…身体がきしみます。
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