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皆さん、こんばんは。お世話になっております。
私は今、地元で鬱の投薬を受けつつ、
東京の、発達障害を診てくれる病院で検査などを受けています。
(1年待ちでした。速攻予約入れといて良かったです(^^;)
WAIS-Rも受けて結果が出ました。
来月9日に確定診断の予定です。
どんな診断になるかはともかく、不安定な時の告知は良くないとも聞きます。
実際、今は鬱の投薬を受けている状態で、不安定だと思います。
でもなかなか予約がとれない病院ですし、この機会を逃さない方が良いのでは…とも思ったり…
鬱での入院も考えては?と言ってくれる人もいますが、診断を受けるまではとにかく頑張りたいとも思うんです。
ところで「診断を受けて、自分の違和感や生きづらさの原因がわかってホッとした」というのをよく聞きます。
が、時々「あなたは診断に何を求めるの?」というようなことを訊かれたり読んだりすると、何故そんなことを訊くんだろう?と不安になります。
診断はゴールではないです。
一生変わらないことはわかっていても、ずっとそれで悩んできたわけですし、知っていると知らないとでは大きな差があると思っていました。
なので、「診断を受けてホッとする」というのは「いけない」こと?「甘い」こと?と考えてしまいます。
「あなたは診断に何を求めるの」という言葉は
「現実が変わるわけでもないのに、ただ自分の特徴を知りたいだなんて甘い」と思われてるってことなんでしょうか?
診断には客観性という面もあると思います。
それに、違和感や生きづらさの原因がわかって、対策が立てやすくなるだろうし…
昔の私のように無謀な世界に入ったり無謀なことをしてしまったり、うまく自分の身を守れなかったりということがないように気を付けられるかもしれないし…
それに何よりも、もう、ごくごく単純にシンプルに、自分自身を知りたいと思うのは「当たり前」ではないんでしょうか?
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