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現在強迫性障害の治療が進行中であり、人間関係のフラッシュバックのネタが出尽くしたはずなのですが、ここへきて、12年前にガンで他界した親父の記憶がフラッシュバックしています。
私にとっては、親父の存在は「目の上のたんこぶ」といっても過言ではないほどで、幼少期には障害者と一緒の外出はイヤだと言って私をどこへも連れて行ってくれず、小学校や中学校で連日のいじめに泣きながら家まで帰ってくると時にいじめっ子に味方するような暴言を吐いたりしました。
大学にしても、「地元(室蘭工業大学)で十分」と、北海道大学への進学すら反対するという有様。
「障害者が恋をしても、相手にはひたすら恥さらしをするだけだ」と恋愛にも猛反対。
「障害者に車の運転ができるはずがない」と、30歳になっても私の運転免許取得に猛反対するという有様。
この分だと、今回の茨城行きが4ヶ月前に決定した、その時点で、親父が存命なら会社に圧力をかけてでも猛反対していたに違いありません。
その親父に、ASの疑いがかかるようになったのは、ごく最近のことです。親父の存命中の行動に、DSM−IVを当てはめてみたところ、該当項目がぞろぞろ出てきました。
もちろん私はプロではないので、DSM−IVを以って確定診断とすることはできませんが、親父がもしASであれば、十分納得のできる事例が多数あります。
でも本題はこれからです:
これまで、自分が、もしくは身内の方がASの当事者(もしくはその疑いがある人)だと解ったら、今まで許せなかったわがままが許せるようになった、と言うコメントをずいぶんと目にしますが、私の場合は逆です。
>>>親父にASの疑いがかかってから、今までの親父の行動が逆に許せなくなってきたのです。
だから、親父が死んだ当時は人の死に直接接して非常に悲しかったですが、
>>>時間が経つにつれて、「オレの人生にとって最大の邪魔者が勝手に死んでくれて清々(せいせい)した」
という感情のほうが強まっていることに気づいており、自分自身空恐ろしく感じています。
もし親父が今も存命で、茨城行きに反対していたら、親父を殺していたかもしれないです。
それだけ、私にとっては室蘭という場所が人間関係の悪いしがらみが残っている場所でもあるのです。いじめ、誤診、理不尽な解雇、エトセトラ…
>>>もし私が今後茨城での一人暮らしに失敗しても、室蘭には戻るつもりは毛頭ありません。人間関係の悪いしがらみに再び付きまとわれそうなのと、親父の記憶のフラッシュバックで、人間がダメになりそうな気がするからです。
そのためにも、メンタル系のトラブルで対応できるものはすべて茨城で対応したいです。親父の記憶のフラッシュバックも退治してもらって、今年8月に迎える予定の13回忌には清清(すがすが)しい気分で対応できるようにしたいところです。
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