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最近不登校の方からの投稿がいくつかあったので、自分の学校時代のことを思い出していました。
私も義務教育期間=いじめの期間でした。時には担任の先生までがいじめに加担していたことがあり、本当に土曜日が来るのを心待ちにしていました。理由は給食が嫌いだったことと、教会(日曜学校)に行っていたからです。
給食についてはあまりいい思い出がないんですよね。偏食がひどくてみんなが掃除している時に最後まで残された、食べきれずに吐いてみんなから引かれたりしていた、食器の後片付けじゃんけんを毎日負け続けた(当然みんなが陰で負けるよう仕組んでいた)等など、挙げればキリがないです。
実は大人になってから分かったのですが、化学調味料アレルギーの傾向があり、味付けもけっこう好みがあるので、あまり給食と相性が良くなかったみたいです。今は残してもいいそうだし、アレルギーの人は弁当で対応してもらえるらしいからちょっと羨ましいです。
あと勉強はかなりできていた方なので、よけいにやっかみがひどかったです。班学習や「好きな人同士」というグループ課題はすごく苦痛でした。
休み時間はもっと苦痛で、一人で本を読んだり遊んだりしていることが多かったです。一応遊んでくれる子もいましたが、そういう子は「遊んでやっているんだ」という名前のいじめだったこともけっこうありました。
そんな学校生活を忘れさせてくれたのが教会でした。学校のことを指摘されなかったし、ありのままの自分を受け入れてもらえました。親は通っていなかったので、その分家でのしがらみからも解放されてのびのびできました。
大人の目も適切にあって悪いことをするとすぐに注意してもらえたのも社会性を育てる上でもすごく役立ったと思います。障害者や小さい子の接し方が自然に身に付きました。友達と悪騒ぎをすることも覚えたし、適度にお洒落する楽しみもそこで教わりました。中学生以上になるとバザーでは売り手になるので、仲間で責任を持ち、大人と相談しながら仕入れから売り上げまでのやり方を一通り学ぶこともできました。
ただ宗教がからむので誰にも向いているとは感じません。私にとっての教会と同じような、適度に親以外の大人の目があって、様々な年齢の人達と社会性を学べる環境があればどこでもいいとは思っています。
あと、私が学校に通い続けた理由はある考えからでした。ある日とても学校へ行くことが嫌だった時(確か小学校4,5年生の頃)、「私が学校へ行かなかったら誰が得するんだろう」と考えたのです。少なくとも自分じゃないと思ったときにハッとしたのです。何で私が嫌だと思っている人のせいで、自分が損しないといけないのかと思ったのです。少なくとも私にも学校へ行く権利があるし、それを止める権利はイジメている相手にはないと考えました。だったら学校へ行こう、そして得意な勉強で見返してやると思いました。
中学へ行ってからは彼らが絶対入れないような少し遠い進学校へ行こうと決めて勉強しました。幸い内申点が良かったので希望した高校へ進学することができました。
高校は自主自律を校風にしており、制服すらなかった学校だったのでとても楽しかったです。高校は変わった人が多くて、今思うとアスペな人もいっぱいいましたが、みんなお互いの個性を認め合っていました。
でも私は不登校の人に同じ考えを持てとは言いません。今は学校に行かないという選択もありだと思います。色々な考え方や選択肢があって、私はこう対応したよということが言いたかったのです。
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