アスペルガーの館の掲示板

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[#38248] 無理をしているところは…どこだろう? Cyperus-A 12/2/7(火) 16:07 [未読]
[#38252] Re:無理をしているところは…どこだろう? ウォルフル 12/2/9(木) 1:17 [未読]
[#38256] Re:無理をしているところは…どこだろう? Cyperus-A 12/2/9(木) 13:10 [未読]
[#38308] Re:無理をしているところは…どこだろう? ウォルフル 12/2/20(月) 2:43 [未読]
[#38264] Re:無理をしているところは…どこだろう? そろばん 12/2/10(金) 20:04 [未読]
[#38278] Re:無理をしているところは…どこだろう? Cyperus-A 12/2/13(月) 16:55 [未読]

[#38248] 無理をしているところは…どこだろう?
 Cyperus-A  - 12/2/7(火) 16:07 -

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    昨日あたり国会では、“全国自殺防止キャンペーン”のネーミングをめぐって、いざこざがありました…

 昨年も、震災後の強いトラウマ感も触媒になってしまったのか、また3万人以上の方が、悲しい最期を遂げてしまいました。

 思うに、どこか“それが当たり前”とか、“世の中のトレンド”とかいうことの中に、よくよく見ると“無理”というものが潜んでいて、知らず知らずのうちにこれらの方々を追い詰める結果となったような気がします。

 “無理”というものを洗い出すということに関しては、ASの方は、数々の挫折を経験し続けていることもあり、人によっては、唯一無比の特技であるのかもしれません。

 “日本の元気”を吸い取っている“無理”…何が思いつきますかね??

 

[#38252] Re:無理をしているところは…どこだろう?
 ウォルフル  - 12/2/9(木) 1:17 -

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   ▼Cyperus-Aさん:

私は何をしても駄目だという諦めそのものが自殺者が直面している「無理」であり、それは先の妊婦受け入れ拒否の「たらい回し」の形となって日本の至るところに表れているという気がします。厄介事とはなるたけ関わりたくないという責任回避ですね。誰かがが問題を抱えていても、誰も取り合わず、その人は次第に孤立感を深め、最後には自分の殻に閉じこもってしまうといったこのような例は何も発達障害者に限らず日本ではそれこそ挙げればキリがないくらいにあります。

誰もが自己責任を負うことから逃げようとするので、家庭や学校や地域で毎日のように小さな問題が起こっても誰も解決しようとせず、それらが集まりに集まって最後には一人では支えきれないほどまでに大きくなって爆発しまうのだと思います。そして当然の如く、そういった責任回避のツケが一番先に回ってくるのが名もなき市民であり、社会的に弱いマイノリティーな立場にある者であり、それが自殺や自傷といった「無言の悲鳴」となって表れているのだと思います。

同様の観点からすれば、地域社会の崩壊(地域ネットワークの崩落)が引き起こした害悪は余りにも大きいと思います。地域の自律性が損なわれれば、地域は地域内で起こった問題を自己解消してゆく能力(消化機能)も失いますから、現在では地域問題は国(県政の手にも余るので)が全部処理しなければならなくなっています。(これもある意味たらい回しです)結果国が指揮すべき仕事の数は膨大になり、政治家は忙殺され、政治家は政治家本来の仕事だけに集中して打ち込むことも、ましてや地域問題に多くの時間と労力を割く事も出来ないという今の日本の政治の様な「中途半端な政治」が出来上がってしまうのだと思います・・・北欧圏ではこの様な問題にいち早く気づいていて、国民と地域の自律性を育てるような教育的政治的指導をはかっていますが、日本もこの事にはやく気がつかなければ日本には明るい未来はない、と思ってます。

[#38256] Re:無理をしているところは…どこだろう?
 Cyperus-A  - 12/2/9(木) 13:10 -

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   ▼ウォルフルさん:
>▼Cyperus-Aさん:
>
>私は何をしても駄目だという諦めそのものが自殺者が直面している「無理」であり、それは先の妊婦受け入れ拒否の「たらい回し」の形となって日本の至るところに表れているという気がします。厄介事とはなるたけ関わりたくないという責任回避ですね。誰かがが問題を抱えていても、誰も取り合わず、その人は次第に孤立感を深め、最後には自分の殻に閉じこもってしまうといったこのような例は何も発達障害者に限らず日本ではそれこそ挙げればキリがないくらいにあります。 >
>誰もが自己責任を負うことから逃げようとするので、家庭や学校や地域で毎日のように小さな問題が起こっても誰も解決しようとせず、それらが集まりに集まって最後には一人では支えきれないほどまでに大きくなって爆発しまうのだと思います。そして当然の如く、そういった責任回避のツケが一番先に回ってくるのが名もなき市民であり、社会的に弱いマイノリティーな立場にある者であり、それが自殺や自傷といった「無言の悲鳴」となって表れているのだと思います。
 このへん僕もなんとなく、“自分もそうしてないか?”というトゲが心に引っかかっているような気がします。


>同様の観点からすれば、地域社会の崩壊(地域ネットワークの崩落)が引き起こした害悪は余りにも大きいと思います。地域の自律性が損なわれれば、地域は地域内で起こった問題を自己解消してゆく能力(消化機能)も失いますから、現在では地域問題は国(県政の手にも余るので)が全部処理しなければならなくなっています。(これもある意味たらい回しです)結果国が指揮すべき仕事の数は膨大になり、政治家は忙殺され、政治家は政治家本来の仕事だけに集中して打ち込むことも、ましてや地域問題に多くの時間と労力を割く事も出来ないという今の日本の政治の様な「中途半端な政治」が出来上がってしまうのだと思います・・・北欧圏ではこの様な問題にいち早く気づいていて、国民と地域の自律性を育てるような教育的政治的指導をはかっていますが、日本もこの事にはやく気がつかなければ日本には明るい未来はない、と思ってます。
 ここは、何となく、特にまだ可動性がある20代〜40代くらいの世代について、“こういう生き方もあるんだよ!”という啓発や技術・技能指導活動があっても良いような気がします。

[#38264] Re:無理をしているところは…どこだろう?
 そろばん メールホームページ  - 12/2/10(金) 20:04 -

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   Cyperus-Aさん、こんにちは。

ここ最近自殺が増えている最大の原因は、「無理」といった個人の問題以前に、バブル崩壊以降の長期にわたるデフレ不況による失業者及び失業の不安を持つ人の増加です。
基本的に、無理してでも何かを達成しようとしている人が自殺を考えるという事はあまりなく、むしろ、失職などにより社会からドロップアウトした人が将来を悲観して衝動的に自殺に走るというケースのほうが多いのではないかと思います。
つまり、「無理」をするという段階まで達する事が出来ない人のほうが自殺のリスクが高いという事です。
「無理」が“日本の元気”を吸い取っていると考えられていたのは、高度成長期の仕事が有り余っていた時代の話で、今は全く逆の状況になりつつあります。

[#38278] Re:無理をしているところは…どこだろう?
 Cyperus-A  - 12/2/13(月) 16:55 -

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   ▼そろばんさん:
>Cyperus-Aさん、こんにちは。
>
>基本的に、無理してでも何かを達成しようとしている人が自殺を考えるという事はあまりなく、むしろ、失職などにより社会からドロップアウトした人が将来を悲観して衝動的に自殺に走るというケースのほうが多いのではないかと思います。
>つまり、「無理」をするという段階まで達する事が出来ない人のほうが自殺のリスクが高いという事です。
 確かに…“私はこれを一生懸命にやりたい!”ということを、何か一つでも持っている人は、どちらかというと“うつ”になっても、ある意味“スランプ”くらいで、ボロボロになるほどまで追い込まれにくいのではなかろうかと思えます。

>「無理」が“日本の元気”を吸い取っていると考えられていたのは、高度成長期の仕事が有り余っていた時代の話で、今は全く逆の状況になりつつあります。

 けど…よく見ていると、意外に“このままで大丈夫かな?”というふうに、疑いたくなることがあります。

 特に僕が、ひょっとして“追い詰め要因”になっているのでは…と思うのは、“住まい関係のコスト”です。

 一人暮らしを底値のアパートでするにしても5万円以上は家賃で消え、光熱費まで考えれば、もう一・二枚万札が消えるでしょう。4人家族が暮らせる家ならば、大体2000万円くらいが標準でしょう。

 とてもじゃないけど…今、こんなコストを出してまで、持ち家を構えて新たな気持ちで、“エコロジー”や“子育て”・“遠方でのボランティア”などやって、社会貢献というわけにはゆかないというのが、結構…若くしてうつになる方の本音のような気がします。

 東日本大震災後の問題として、家のローンが残っているうちに、津波や液状化で激しく壊されてしまって、再建するのにまたローンが組みがたいという“二重ローン”問題が浮上してきています。

 住宅の価格が高いのは、“土地の値段が高い”というのもそうですけども、一方で、“使っている材料の数が多い”ということもあるのじゃないかなという気がします。もっと絞って“3、4種”くらいに抑えられれば、かなり安くなるような気がします。

 *****
 コスト以外にも、“並び方の形”も変えていく必要がありそうです。マンションが林立したり・五角柱形のうちが直線状にずらっと並んでいる光景を見ると、僕は無性に悲しくなります。なんか…人々が円滑に絆を育みにくいような場所のような気がします。

 大昔の村は、広場の周りを“掘っ立て小屋”が囲んでいて、人々が自然に交流できるような感じのつくりでした…

 “四角から丸へ”というか、“あえて人々の世界線を交差しやすいように”仕組むということも、未来の街づくりには必要な要素のような気がします。

 
 

[#38308] Re:無理をしているところは…どこだろう?
 ウォルフル  - 12/2/20(月) 2:43 -

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   >▼Cyperus-Aさん:
> ここは、何となく、特にまだ可動性がある20代〜40代くらいの世代について、“こういう生き方もあるんだよ!”という啓発や技術・技能指導活動があっても良いような気がします。

確かにそうですね。

海外では30代で心機一転、大学に入り直したり、キャリアアップを目指す人や労働者、あるいは市民市民が日々の文化生産活動全体の質向上のために大学に半分通いながら仕事や生活も続けてゆくといったような生涯学習が活発です。日本はというと、18で大学入って22で卒業したらもう大学とは接点がなくなる人がほとんどで、この点、日本教育が社会に対して果たす役割はとても限定的で形式的なものだと言えます。

人間は苦境や不安に陥った時ほど思考に柔軟性がなくなり、物事を捉える視野も狭くなり勝ちなもので、だからこそ常日頃学び吸収しようとする学習や自己啓発の活動はそういった人間にもなくてはならないファクターだし、常にそういった機会はすべての人に用意されていて然るべきものだと思います。「食は活力を生み、学びは明日への希望を生む」っていうCMのフレーズがありますが、これは本当のことで、しかし「学び=受験戦争に勝つこと」という固定観念が教育を市民に真に開放することなく、むしろ希望までもを奪っている様に思えてなりません。

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