アスペルガーの館の掲示板

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[#11910] Re:アスペルガーは障害であって個性ではな... 樹村 06/5/21(日) 7:00 [未読]
[#11915] Re:アスペルガーは障害であって個性ではな... Chiquitita 06/5/21(日) 13:41 [未読]
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[#11945] Re:アスペルガーは障害であって個性ではな... Chiquitita 06/5/23(火) 0:52 [未読]
[#11946] Re:アスペルガーは障害であって個性ではな... 彩花 06/5/23(火) 2:37 [未読]
[#11956] Re:アスペルガーは障害であって個性ではな... みくつん 06/5/23(火) 11:42 [未読]
[#11960] Re:アスペルガーは障害であって個性ではな... 夕焼け 06/5/23(火) 12:11 [未読]
[#11973] 夕焼けさんへ みくつん 06/5/23(火) 17:37 [未読]
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[#11974] Re:アスペルガーは障害であって個性ではな... tasaka 06/5/23(火) 18:45 [未読]
[#11980] Re:アスペルガーは障害であって個性ではな... みくつん 06/5/23(火) 20:36 [未読]
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[#11968] Re:アスペルガーは障害であって個性ではな... うっちー 06/5/23(火) 16:01 [未読]
[#11975] Re:アスペルガーは障害であって個性ではな... kaze 06/5/23(火) 18:45 [未読]
[#11977] Re:アスペルガーは障害であって個性ではな... nonbody knows 06/5/23(火) 19:19 [未読]
[#11996] Re:アスペルガーは障害であって個性ではな... うっちー 06/5/24(水) 9:17 [未読]
[#12167] 障害だと思っています 06/5/30(火) 14:57 [未読]

[#11909] [投稿者削除]
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   この書き込みは投稿者によって削除されました。(06/5/29(月) 13:22)

[#11910] Re:アスペルガーは障害であって個性ではないの…
 樹村  - 06/5/21(日) 7:00 -

引用なし
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   くくさん、こんにちは。

>アスペルガーは「個性なだけ」ではないのでしょうか?

 「苦しいけど、なんとかお医者様のお世話にならずにやって
行ける」という人にとっては「個性」だと思います。

 「とっても苦しいので、医学の助けを借りたい」って思う人
にとっては「障碍(障害の昔の字。"害"の字がキライなので、
私は昔の字の方を使います)」でしょう。「病気」や「障碍」
でないと、お医者さまの助けは得られないから。

 場合によって使い分けするのもアリかも。

[#11915] Re:アスペルガーは障害であって個性ではないの…
 Chiquitita メールホームページ  - 06/5/21(日) 13:41 -

引用なし
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   非常にヘビーなテーマだと感じていますが、お付き合いさせて下さい。

▼くくさん:
>アスペルガーは「個性なだけ」ではないのでしょうか?

私もこのテーマで大いに悩みました。

▼引用順がめちゃくちゃになりますが:
>精神科で、「アスペルガーは障害だけれども、個性ですよね。」
>と先生に聞きました。
>先生は、「障害は個性ではありません。障害です。」と仰りました。

私自身も発達障害はあくまでも障害、という考えに今以て縛られています。
その理由は:
●発達障害によりもたらされたコミュニケーション能力の問題が、いじめや幼少期の虐待(あくまでも言葉による虐待だけだが)につながった。
●過去にも度々コメントしている協調運動障害の問題(最近も[#11451]でコメントしています)が、身体障害のリハビリを阻害している。
●感覚過敏もいじめの原因になったことがある。

勉強以外で何かアピールできるものがあれば、たとえいじめがひどくてもクラスメートらに一目置かれていたかもしれません。
しかし現実は、「Chiquititaは勉強しか能のない奴」という印象を周りに与えていただけでした。その証拠に、私が苦手だった体育の授業は、クラスメートにとって絶好の反撃の機会でした。(その理由は[#11133]でコメントしています)

社会人になってもなお人間関係での不利益が多い状態が深刻なので、原因を探っていたところ、たまたま新聞(地元紙)の記事でADHDを、そしてASを知り、ショックを感じました。
私は、身体障害だけの障害者だけでないという事実がはっきりしたとき、精神的に再起不能に陥るほどのショックを感じました。

それでも、私はADHDやASを障害だと知って安心する人の心が理解できます。その理由は、やはり原因がはっきりして対策が立てやすくなるからだと感じています。

>母は、私が幼時のとき検診にひっかっかって検査をしたときは、「様子を見ましょう、とは言われなかった。そこで、「この子は障害児なのですか?」ときくと、「そう思っていただいたほうが無難です。」という答えだった。あれから20年になる。」

私のオフクロも46年来の鬱病で悩んでいますが、私が身障者として生まれてしまったことで周囲の風当たりが強く、また親父のDVも最初はたいしたものでもなかったのが、私の先天性股関節脱臼が見つかったあたりからDVがエスカレートし始めて、育児ノイローゼに悩まされていたそうです。
この状況(当時私は4歳)で「自閉症」の告知をオフクロが受けたものだから、オフクロにとっても発達障害は個性では受け入れられないほどのショックは感じていたでしょう。実際、オフクロは近場の海岸で私を道連れに身投げしようとしたことさえありました。しかし結局母方の祖父に説得されて思い留まりました。

既に父方の親類にカナー症候群(知的障害を伴うタイプの自閉症)の当事者が2名いたこともあり、「自閉症」に関してオフクロが悪いイメージしか抱いていなかったことも、私に対する精神的な虐待につながったと感じています。

>私としては、私の障害というのは個性なのだと、少なくとも、個性を強くしたようなものなんじゃないかと、そう思っているというか、思いたいというか。

そうですね。
そのためには、私はどんな状況でも人生に自信を失わないための強い精神力が必要なのかと感じています。
二重に障害を抱えているために、それさえも家庭の内外で叩きのめされました。ようやく独り立ちをして「心のオアシス」を感じています。現在の環境は周囲も面倒を見てくれているので、非常に居心地が良いです。親元には「逆ホームシック」さえ感じているほどです。

でも、私自身としてはオアシスに安住しているつもりはありません。
オアシスだからこそ成長の絶好の機会と捉えています。
成長してこそ、初めて「障害も個性の一つ」と断言できるものと信じています。

[#11918] Re:アスペルガーは障害であって個性ではないの…
 ジョン メールホームページ  - 06/5/21(日) 23:24 -

引用なし
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   ▼Chiquititaさん:
>非常にヘビーなテーマだと感じていますが、お付き合いさせて下さい。
>
>でも、私自身としてはオアシスに安住しているつもりはありません。
>オアシスだからこそ成長の絶好の機会と捉えています。
>成長してこそ、初めて「障害も個性の一つ」と断言できるものと信じています。

Chiquititaさん、ご無沙汰しています。久しぶりに、前向きないい話を
聞かせていただきました。ありがとうございました。
本当にそうですよね。これからの「成長」ととらえなければ、
我々には、未来がないですから。同感です。

[#11920] Re:アスペルガーは障害であって個性ではないの…
 たもっち メール  - 06/5/22(月) 1:07 -

引用なし
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   ▼Chiquititaさん:
>私自身も発達障害はあくまでも障害、という考えに今以て縛られています。
>その理由は:
>●発達障害によりもたらされたコミュニケーション能力の問題が、いじめや幼少期の虐待(あくまでも言葉による虐待だけだが)につながった。
>●過去にも度々コメントしている協調運動障害の問題(最近も[#11451]でコメントしています)が、身体障害のリハビリを阻害している。
>●感覚過敏もいじめの原因になったことがある。
>
>勉強以外で何かアピールできるものがあれば、たとえいじめがひどくてもクラスメートらに一目置かれていたかもしれません。
>しかし現実は、「Chiquititaは勉強しか能のない奴」という印象を周りに与えていただけでした。その証拠に、私が苦手だった体育の授業は、クラスメートにとって絶好の反撃の機会でした。(その理由は[#11133]でコメントしています)
 
 Chiquititaさん久し振りですが、お元気ですか?
 私も、発達障害はあくまでも「障害」と捉えられている事に縛られています。
私の場合は、社会生活上、仕事(ものづくりや接客、特殊技術、事務等)に於いても遊びに於いても対人コミュニティーの形成能力が必要不可欠とされていてからです。各々が抱えている「障害」というものが「個性」で捉えてくれれば非常に嬉しく、円満な社会生活が営める事が出来るでしょうが、現実はそれが理想通りに上手く行かないことが多いからです。
 しかし、社会が以上の様な状態や状況のままではいけないと思っています。その「障害」をバネにして新たな可能性を見付けようと頑張っている人達が多いし、障害者に対する偏見や差別を無くして、健常者と障害者が共に仲良くやって行ける社会造りを願っている人達がいる事も現実です。また「障害」から色々学び取れる事柄も多々有り、成長の糧にも成り得ます。

>社会人になってもなお人間関係での不利益が多い状態が深刻なので、原因を探っていたところ、たまたま新聞(地元紙)の記事でADHDを、そしてASを知り、ショックを感じました。
 
 私は、30歳前後からその事にようやく気が付く様になりました。当初は「病院へ行くと差別を受けたり仕事を解雇されてしまう、母親に厳しく叱られる。」との恐怖感で、医療機関での受診が出来ず、自己診断だけで済ましておりました。

>それでも、私はADHDやASを障害だと知って安心する人の心が理解できます。その理由は、やはり原因がはっきりして対策が立てやすくなるからだと感じています。

 私が近年になってようやく某大学病院の精神神経科で診断を受け、医師から高機能自閉症(=AS)との診断が下された時には、今まで受診に強硬に反対していた母親と私は心底ほっと安心しました。
 今思うと、自己診断のみでやるのは非常に怖いと思っています。
 「障害」が「個性」として受付けてくれる社会が本格的に実現できたらなあと思う今日この頃です。

[#11945] Re:アスペルガーは障害であって個性ではないの…
 Chiquitita メールホームページ  - 06/5/23(火) 0:52 -

引用なし
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   コメントありがとうございます。(^o^)/

▼ジョンさん:
>本当にそうですよね。これからの「成長」ととらえなければ、
>我々には、未来がないですから。同感です。

実際に未来があるかどうかは、環境によるところも大きいとは思いますが、私は明らかに積極奇異タイプなので、「発達障害=言い訳」と考える人の多い環境であれば、たとえ徒労に終わったにせよ、100%は無理でも50%、それが無理でも10%でも成果が出れば努力の余地があると考えています。

▼たもっちさん:
>私の場合は、社会生活上、仕事(ものづくりや接客、特殊技術、事務等)に於いても遊びに於いても対人コミュニティーの形成能力が必要不可欠とされていてからです。各々が抱えている「障害」というものが「個性」で捉えてくれれば非常に嬉しく、円満な社会生活が営める事が出来るでしょうが、現実はそれが理想通りに上手く行かないことが多いからです。

まずそれらが理想どおり進まない理由としては、人間である以上、自分は他の人間には100%の感情移入が出来ないために、定型発達者が発達障害者の感覚をなかなか理解できない(もちろんその逆も)ということに尽きるでしょう。
ごく当たり前のコミュニケーションに難儀を感じるというのは、定型発達者に取っては夢にも思わないことでしょう。

> しかし、社会が以上の様な状態や状況のままではいけないと思っています。その「障害」をバネにして新たな可能性を見付けようと頑張っている人達が多いし、障害者に対する偏見や差別を無くして、健常者と障害者が共に仲良くやって行ける社会造りを願っている人達がいる事も現実です。また「障害」から色々学び取れる事柄も多々有り、成長の糧にも成り得ます。

将にそのとおり。社会で成功している障害者も多数いることは、確かに私たちにとっても励みになりますが、サクセスストーリーは周囲の偏見との闘いを抜きには語れません。
成功例の大半は、家族が温かく見守ってくれたケースでしょう。もちろん両親の離婚や幼児虐待の被害など、不遇なケースでも社会で成功した人はいます。

しかしどんな人であっても家庭はやはり最大のオアシスであるべきです。そう考えると、幼児虐待の被害者はもちろんですが、家族の中に障害者に対する偏見があると、一見親子仲が睦まじいケースでも「障害者だから仕方なしに育てた」(オフクロ談)「見捨てられるのが怖くて反抗できなかった」(Chiquitita談)というのはむしろ当たり前になってしまい、障害者が社会で成功するための最大のバリケードになってしまうような気がします。

> 私が近年になってようやく某大学病院の精神神経科で診断を受け、医師から高機能自閉症(=AS)との診断が下された時には、今まで受診に強硬に反対していた母親と私は心底ほっと安心しました。
> 今思うと、自己診断のみでやるのは非常に怖いと思っています。

自己診断を鵜呑みにして「私はASです」と思い込んでしまうケースが、おそらく杉山先生のコメントされた記事([#485]で紹介されています。[#11228][#11229]も御覧下さい)なのでしょう。
4歳のときに正式に「自閉症」と診断された人ですら、AQ値が42ポイントでも医療機関で「グレーゾーン」として扱われることも珍しくないと思います。
だから、私も自己診断はあくまで参考程度、と考えたほうがベターだと思います。
(自分自身の主観的な視点と、医療機関の客観的な視点が一致しないのが原因)

> 「障害」が「個性」として受付けてくれる社会が本格的に実現できたらなあと思う今日この頃です。

そのための第一歩は、家庭内で障害者に対する偏見を解決することに尽きるでしょう。
いじめられて泣きながら帰ってきた私に、仲直りの提案よりも「江戸の敵を長崎で」というアドバイスをする親は問題外だと思います。

[#11946] Re:アスペルガーは障害であって個性ではないの…
 彩花  - 06/5/23(火) 2:37 -

引用なし
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   くくさん、はじめまして

彩花と申します。
発達障害の可能性を指摘されていますが、確定診断に至っていない女性です。

大学の講義で「障害は個性だ」という言葉を聴いたときは、「なるほど!」と手を打ったものです。
でも、自分が当事者になってみると、「個性」というのは、一生治ることのない機能の損失を持った人間を癒し、励ますためのやさしい考え方なのかもしれないと思います。
障害は障害です。私にとっては。

ただ、そのとらえ方によると思うんですよね。
日常生活を送るために支障となることは多いけれど、害悪ととらえなくてもいいのではないでしょうか。
障害を障害と認めるからこそ、発達障害児へのサポート(成人当事者に対しては期待できませんが)や福祉政策が生まれます。
障害があるからといって、自分で自分を否定したり、悲観に暮れる必要はないし、幸せになる権利も可能性もある。
同時に障害を言いわけにすることもできない。

それに「個性」が一概にいいとはいえないですよ。
定型発達であっても、はた迷惑なことをして顧みない性格であれば、社会的な障害を生んでしまいます。

発達障害は自分の人間性をつくる根幹となるものだから、逃げずに腹をくくってつきあっていくしかない。
「障害」か「個性」かという字義的な解釈にとらわれるよりも、大事なことだと思っています。

[#11956] Re:アスペルガーは障害であって個性ではないの…
 みくつん  - 06/5/23(火) 11:42 -

引用なし
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    こんにちは。

 わたしは、最近、カウンセリングを勉強しています。
そこでお世話になっている先生と、こないだ障碍についての話になり、このスレに通じるものがあったので、カキコしました。

▼彩花さん:

>同時に障害を言いわけにすることもできない。

その通りですね。
わたしが、自分には発達障碍があるかもしれないと言ったとき、その先生は、
「障碍を言い訳に、そんな風に自分に制限をかけるくらいなら、診断なんて受けないほうがいい。障碍を持ってる方でも、働いてたくさん努力してる人はいっぱいいる。」とおっしゃいました。

>それに「個性」が一概にいいとはいえないですよ。
>定型発達であっても、はた迷惑なことをして顧みない性格であれば、社会的な障害を生んでしまいます。

よくスーパーで、車椅子専用駐車場に、どうみても健康そうな人が車を停めている光景が見られますよね。
そんな時、その先生の旦那さまは、「ああいう人たちは、きっと心が障碍者なんだよ。」と言うのだそうです。
ここに車を停めたら、ここを本当に必要としている人たちに迷惑。
それを知ってて車を停めるのはどうなんだ、と。

>発達障害は自分の人間性をつくる根幹となるものだから、逃げずに腹をくくってつきあっていくしかない。
>「障害」か「個性」かという字義的な解釈にとらわれるよりも、大事なことだと思っています。

これこそ「自己受容」だと思います。

[#11960] Re:アスペルガーは障害であって個性ではないの…
 夕焼け  - 06/5/23(火) 12:11 -

引用なし
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   こんにちは、夕焼けです。
横入りになってしまい、すみません。


みくつんさんに聞いてみたいことがありまして…

▼みくつんさん:
> こんにちは。
>
> わたしは、最近、カウンセリングを勉強しています。
>そこでお世話になっている先生と、こないだ障碍についての話になり、このスレに通じるものがあったので、カキコしました。
>
>▼彩花さん:
>
>>同時に障害を言いわけにすることもできない。
>
>その通りですね。
>わたしが、自分には発達障碍があるかもしれないと言ったとき、その先生は、
>「障碍を言い訳に、そんな風に自分に制限をかけるくらいなら、診断なんて受けないほうがいい。障碍を持ってる方でも、働いてたくさん努力してる人はいっぱいいる。」とおっしゃいました。

障害を言い訳には出来ない事はわかっているつもりですし、したくないとも思っています。
でも、障害により大変な思いをしているからこそ診断名を頂いたのだと思っています。
障害を言い訳にすることなく、生きづらさを少し解消しながら、自己受容する。
そんなことを考えると、ぐるぐる、ぐるぐる堂々巡りになってしまい、気づくと大きなため息をついています。

障害を言い訳にすることなく、生きづらさを少し解消しながら、自己受容する。

そんなことを考えている私に何かヒントをいただけないでしょうか。

>
>>それに「個性」が一概にいいとはいえないですよ。
>>定型発達であっても、はた迷惑なことをして顧みない性格であれば、社会的な障害を生んでしまいます。
>
>よくスーパーで、車椅子専用駐車場に、どうみても健康そうな人が車を停めている光景が見られますよね。
>そんな時、その先生の旦那さまは、「ああいう人たちは、きっと心が障碍者なんだよ。」と言うのだそうです。
>ここに車を停めたら、ここを本当に必要としている人たちに迷惑。
>それを知ってて車を停めるのはどうなんだ、と。
>
>>発達障害は自分の人間性をつくる根幹となるものだから、逃げずに腹をくくってつきあっていくしかない。
>>「障害」か「個性」かという字義的な解釈にとらわれるよりも、大事なことだと思っています。
>
>これこそ「自己受容」だと思います。

[#11968] Re:アスペルガーは障害であって個性ではないの…
 うっちー ホームページ  - 06/5/23(火) 16:01 -

引用なし
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   他人(家族も含めて自分以外すべて)の補助や援助を必要とするのが「障害」。必要としないのが「個性」。という区別を私はしています。私自身はASですが、大人の私の自覚は「個性」ですが、未成年の頃は「障害」であったと思います。親や教師がASの知識をもって私に接してくれていたら、もっとマシな未成年期を送れたような気がしています。

[#11973] 夕焼けさんへ
 みくつん  - 06/5/23(火) 17:37 -

引用なし
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   ▼夕焼けさん:

 はじめまして。
わたしの発言で、夕焼けさんを悩ませたり戸惑わせてしまっていたらすみません。


>障害を言い訳には出来ない事はわかっているつもりですし、したくないとも思っています。
>でも、障害により大変な思いをしているからこそ診断名を頂いたのだと思っています。

 夕焼けさんのおっしゃる通りだと思います。
よく、障碍の告知をされると、ショックよりも「自分の生きづらさの原因は、障碍のせいで仕方のないことだったんだ。自分は悪くないんだ。」とほっとすることもある・・・と聞いたことがあります。
 診断名は、自分の生きづらさの原因を知って、必要な援助を受けたり、少しでも生きやすくなるための道しるべのようなものだと思っています。
だから、「障碍があるから・・・」と言うことは、甘えではないし、逆に相手(学校の先生だったり、お友だちだったり)に自分の情報を与えることで、理解にもつながるのではないでしょうか。

 自分の生きづらさを知り、そこを補いながら(たとえば、ソーシャル・スキルを勉強する、AS関係の本を読むなどなど・・・)、やりたいことにチャレンジしたり、それがもしも無理だったとしても、他の道を模索することが、障碍を言い訳にしないってことなのではないかとわたしは思います。

>
>障害を言い訳にすることなく、生きづらさを少し解消しながら、自己受容する。

これが、一番難しくて一番大切なことだと思います。
わたし自身、ここを行ったりきたりしている状態なので・・・
(定型発達の人のように見えるようにしたほうがいいのか?、ASの特徴を上手く利用できればベストだけど、でもどうやって?・・・などなど。)
ただ、わたしは、自己受容について考えるときに、ASは自分の全てではないと考えるようにしています。
確かに、ASの特徴はあるかもしれない。でも、自分って人間は、それだけじゃないよなぁ・・・と。

繰り返しになりますが、わたしも、この辺はまだまだ模索してる状態なので、ここの掲示板を見たり、日々の経験を積む中で取り組まなければと思っています。

 夕焼けさんは、ASのお子さんのお母さまなのですよね。
わたし自身、結婚もまだ・・・という状態なのですが、子どもを育てるのは本当に大変なことだと思います。

ちょっとスピリチュアルな話になるのですが、障碍を持った子の親は、深くてあたたかなオーラを持った方が多いと聞いたことがあります。
あと、何かの掲示板で見たのですが、障碍を持った人は、前世で聖職者だったことが多いそうです。今生では、自分の身を持って愛を教えるために、障碍を選んで生まれてくるのだとか・・・(これを読んだ時、涙が止まりませんでした。)

長く、まとまらない文章ですみませんでした。

[#11974] Re:アスペルガーは障害であって個性ではないの…
 tasaka メール  - 06/5/23(火) 18:45 -

引用なし
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   はじめまして。tasakaと申します。

>わたしが、自分には発達障碍があるかもしれないと言ったとき、その先生は、
「障碍を言い訳に、そんな風に自分に制限をかけるくらいなら、診断なんて受けないほうがいい。障碍を持ってる方でも、働いてたくさん努力してる人はいっぱいいる。」とおっしゃいました。

このことについて伺いたいのですが、みくつんさんや、その先生にとって、「障害を言い訳にする」というのはどういうことでしょうか?
またその先生の「自分に制限をかける」というのが少し気になるのですが、障害者の人は制限をかけてるわけじゃなくてほんとに出来ないのだと思うのですが…
みくつんさん自身はそういうふうに言われて傷つかなかったのでしょうか?
そのときの心境など教えてもらえたら嬉しいです。

もしかしたら突っかかった言い方になってるかもしれないので申し訳ないです。
そういうつもりは全くなくて、私自身、言い訳・甘えについてずっと考えていて、ほんとはもっと出来るのにしないだけではないかと思うことがあり、
自分を奮い立たせたくて、質問しました。

あと、発達障害の知識があるカウンセラーはほんとに貴重だと思うので頑張ってください。

[#11975] Re:アスペルガーは障害であって個性ではないの…
 kaze ホームページ  - 06/5/23(火) 18:45 -

引用なし
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   ▼くくさんへ

 あくまで自論ですが・・・
 私は当事者で、尚且つアスペの子供を育てています。
 その生活の中で思う事は、『障碍』か『個性』かは、場面に分けてもいいのだと感じています。
 もちろん、こういった意見には賛否両論かもしれませんが、親がそういった子供を育てる上で、定型発達児と違うところを、これでも良いと肯定できるのならば、それは個性で良いと思いますし、これは困った行動で、親の育て方では何か力が及ばないと思うのならば、病院なり療育に協力を仰げば良いと思っています。

 障碍と思ってしまえば、親の立場からするととても楽な場合もあります。
 全て、障碍のせいにしてしまえばいいのですから・・・
 でも、それは無責任な気がします。
 また、私は子供のアスペ的発言によく笑わされます。面白いな〜と。
 そういった顕れが面白いと思えれば、それは個性でいいのではないでしょうか?
 
 これは、当事者自身にも言えることで、これでいいのだと納得できる、または自分自身が精神的に楽な状態ならば、個性と思っても良いと思いますし、
どうも、うまくいかないなあ、辛くて苦しいと思うのならば、病院、デイケア、など色々な助けを得れば良いと思います。
 ただ、うまい具合に助けを得られない場合もあるとは思いますが・・・

 それから、人ってとても多面的ですよね。
 お母様から見たくくさんと、ご自分が感じるご自分自身が違うのは当たり前のような気がします。
 そこに捉われる事はないと思います。
 親はとかく、自分の思い込みで物を言うもののようですし、それを鵜呑みにする必要はないのです。
 そして、私が子供主治医の話では、窓際のとっとちゃんは、ADHDの方が濃いと以前聞きました。(もしかしたら、違うという意見もあるかも)
 問題は、とっとちゃんに当てはめる必要はないと言う事です。
 アスペだって、100人居れば100通りのパターンがあると思います。

 それでも、自分らしいと言う事は何かと言う事が見つかればいいなあと、私は思っています。

 

[#11977] Re:アスペルガーは障害であって個性ではないの…
 nonbody knows  - 06/5/23(火) 19:19 -

引用なし
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   ひとりごと掲示板から、こちらの掲示板への書き込みは本当に久しぶりとなります。
nobody knowsです。通級指導学級の担当者でADHDの当事者です。

これから、くくさんが発達障害(AS)であるのかどうかとは、別の話として聞いてください。

発達障害とは脳の機能障害です。
脳の機能障害は、個性ではないです。やはり、障害です。
なぜ、そこまではっきり言うかというと、発達障害者支援法という法律ができましたよね。
それを「個性」と言い切ると、発達障害は障害として認められません。
法律として発達障害者は障害として認知される必要があると多くの当事者が求めてきました。
障害受容。それは自分だけでなく他者(社会)からも必要なことです。
ASは脳の機能障害として考えていかなくてはならないと思います。

あくまで、くくさんの認知とは別にしてですけど。

当事者として、その当事者と関わるものとして、障害は障害であり、その障害を抱えるものたちとして考えていく必要を思っています。

必要な支援やアイデンティティも含めて
人に語るときは「障害」という概念は必要であると思っています。

[#11980] Re:アスペルガーは障害であって個性ではないの…
 みくつん  - 06/5/23(火) 20:36 -

引用なし
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   ▼tasakaさん:

 はじめまして。

>>わたしが、自分には発達障碍があるかもしれないと言ったとき、その先生は、
>「障碍を言い訳に、そんな風に自分に制限をかけるくらいなら、診断なんて受けないほうがいい。障碍を持ってる方でも、働いてたくさん努力してる人はいっぱいいる。」とおっしゃいました。

>このことについて伺いたいのですが、みくつんさんや、その先生にとって、「障害を言い訳にする」というのはどういうことでしょうか?
>またその先生の「自分に制限をかける」というのが少し気になるのですが、障害者の人は制限をかけてるわけじゃなくてほんとに出来ないのだと思うのですが…

 障碍・・・というところからは、話がそれるのですが、わたしは子どもの頃から
自分にあまり自信が持てず、無意識のうちに「自分はどうせこんなものだろう。」と考えるクセがついてしまいました。
なので、ついつい他人にあわせてしまったり、人から意見を求められても困ってしまったり・・・そんなことの繰り返しでした。
その日も、たまたまわたし自身についての話になって、「やりたいことも、自分には障碍があるかもしれないし、どうせ無理だろうと思って、やる前からあきらめの気持ちがあるのかも・・・。」と言ったんですね。
そのとき、「自分に制限をかけている」って言われたんです。

>もしかしたら突っかかった言い方になってるかもしれないので申し訳ないです。
>そういうつもりは全くなくて、私自身、言い訳・甘えについてずっと考えていて、ほんとはもっと出来るのにしないだけではないかと思うことがあり、
>自分を奮い立たせたくて、質問しました。

確かに、障碍のせいで出来ないことはあるのかもしれません。
でも、「工夫」しだいでなんとかなることはあるのかなぁ・・・って最近は思ったりもします。
なので、色々試したり、人の話を聞いてみて、自分に出来ること、工夫すればなんとかなること、出来ないことを見極めていくことが大切なのではないでしょうか。
障碍ではなくとも、誰にも限界はあると思うので。

あくまでも、わたしの考えなので、かなり主観的です。なので、しっくりこないところがあったら、気にしないでくださいね。

>あと、発達障害の知識があるカウンセラーはほんとに貴重だと思うので頑張ってください。

ありがとうございます。カウンセリングは、もちろん誰かを癒すことが仕事ですが、その前に自分が癒されることがとても大切なのだそうです。わたし自身、カウンセリングを学ぶことが、自分を癒すことにもつながっていると日々実感しております。

ちなみに、その先生はとても愛にあふれた方で、客観的に見ると厳しいことを言われているように見えると思いますが、普通に受け止めることができるんです。

不思議!

[#11996] Re:アスペルガーは障害であって個性ではないの…
 うっちー ホームページ  - 06/5/24(水) 9:17 -

引用なし
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   私もそう思います。
アスペルガーの子を持つ親として、また自分自身がアスペルガーであると告知された立場から言えば、アスペルガーという「障害」があることを認知したうえで、どういう「療育」が必要か、支援が必要かを今思案しているところです。「個性」の範囲内にあるなら、ほおっておけばよいわけですから。

[#12090] 共感していただけてうれしいです
 彩花  - 06/5/27(土) 10:48 -

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   みくつんさん、レスをありがとうございます。

共感していただけてうれしかったです。

> わたしは、最近、カウンセリングを勉強しています。
>そこでお世話になっている先生と、こないだ障碍についての話になり、このスレに通じるものがあったので、カキコしました。

そうなんですか。
私も学生時代にカウンセリングの技法を学んだことがあります。
おもしろいですよね。

>>同時に障害を言いわけにすることもできない。

>その通りですね。
>わたしが、自分には発達障碍があるかもしれないと言ったとき、その先生は、
>「障碍を言い訳に、そんな風に自分に制限をかけるくらいなら、診断なんて受けないほうがいい。障碍を持ってる方でも、働いてたくさん努力してる人はいっぱいいる。」とおっしゃいました。

制限かけるってもったいないでよね。
発達障害当事者と定型発達者はスタート地点が違うだけで、努力が必要という点においては変わりないと思います。

>>発達障害は自分の人間性をつくる根幹となるものだから、逃げずに腹をくくってつきあっていくしかない。
>>「障害」か「個性」かという字義的な解釈にとらわれるよりも、大事なことだと思っています。

>これこそ「自己受容」だと思います。

大人になってから正しい箸の持ち方が身についたり、最近お茶をこぼさずに入れられるようになったり、苦手なことはいっぱいありますが…
わたくし、こよなく自分を愛しているのです(笑)。

[#12135] Re:夕焼けさんへ
 夕焼け  - 06/5/29(月) 9:29 -

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   みくつんさんへ
夕焼けです。

▼みくつんさん:
>▼夕焼けさん:
>
> はじめまして。
>わたしの発言で、夕焼けさんを悩ませたり戸惑わせてしまっていたらすみません。
>

お返事が遅くなりましてゴメンナサイ。
いいえ、みつくんさんとお話したら、何か明るい光が見えそうな気がしていました。また、これからもよろしくお願いします。


実は、自分は精神的にマイッテいたようです。自分の体調が悪い事もあまり解らないような状態だったようです。(何か変…としか)子供の受診のときに余りにも気持ちがつらいと先生にお話した所、少々のお薬を頂く事になりました。
体調が悪いと何もかもマイナスに考えてしまい、頑張ろうとして余計悪循環になっていたようです。
何かと気に障ると思っていた主人の言動も、私の気持ち次第だったりして…。ゴメンナサイ。
少しずつ頑張れていた自分に戻りそうです。


>>
>>障害を言い訳にすることなく、生きづらさを少し解消しながら、自己受容する。
>
>これが、一番難しくて一番大切なことだと思います。
>わたし自身、ここを行ったりきたりしている状態なので・・・
>(定型発達の人のように見えるようにしたほうがいいのか?、ASの特徴を上手く利用できればベストだけど、でもどうやって?・・・などなど。)
>ただ、わたしは、自己受容について考えるときに、ASは自分の全てではないと考えるようにしています。
>確かに、ASの特徴はあるかもしれない。でも、自分って人間は、それだけじゃないよなぁ・・・と。

私も、今同じような所をうろうろ、ぐるぐる、とぼとぼと…しています。
時間を掛けてもいいから、上手に受容していこうと思います。

>
>繰り返しになりますが、わたしも、この辺はまだまだ模索してる状態なので、ここの掲示板を見たり、日々の経験を積む中で取り組まなければと思っています。
>
> 夕焼けさんは、ASのお子さんのお母さまなのですよね。
>わたし自身、結婚もまだ・・・という状態なのですが、子どもを育てるのは本当に大変なことだと思います。
>
>ちょっとスピリチュアルな話になるのですが、障碍を持った子の親は、深くてあたたかなオーラを持った方が多いと聞いたことがあります。
>あと、何かの掲示板で見たのですが、障碍を持った人は、前世で聖職者だったことが多いそうです。今生では、自分の身を持って愛を教えるために、障碍を選んで生まれてくるのだとか・・・(これを読んだ時、涙が止まりませんでした。)
>
>長く、まとまらない文章ですみませんでした。

この子の親になれた事、自身をもっていいのかも…。
有難うございました。

[#12167] 障害だと思っています
   - 06/5/30(火) 14:57 -

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   初めまして、笛と申します。
今年3月にアスペルガー障害と診断された大人の当事者です。
これから度々おじゃますると思いますが、
管理人さん、皆さん、宜しくお願いします。

▼nonbody knowsさん:
>発達障害とは脳の機能障害です。
>脳の機能障害は、個性ではないです。やはり、障害です。

私は、小さい頃から頻繁に人間関係でトラブルを起こし、
衣服は肌触り重点で着るため、少々おかしなところがあったらしく
クラス中で仲間はずれにされることが多く、
お礼を言ったり謝ったりしても、顔の表情が伴っていないので心がこもっていないと言われたり、
人と会話中に目を合わせることが困難なため、嘘をついていると決め付けられたり、
意図せずに先生の言うことを聞かない事が多かったため、問題児として扱われたり、
しょっちゅう親を困らせ、心配させていました。
(一番困っていたのは、当の本人です。)
成績票の成績が良いにもかかわらず、生活態度に対する先生のコメントは、いつも目を覆いたくなるようなもので、
自分には人に迷惑をかけている自覚がないだけに、いつも学期末が恐怖でした。
大人になってからも、うまく会話に入れなかったり、自分の気持ちをうまく言葉に出来なかったり、
「普通の人に出来ないことが出来るのに、普通の人が簡単にできることができない」と非難されてきました。
(今でも、それが何を意味するのか、よくわかっていないのですが。)
人と同じようになろう、と今まで可能な限りの努力を試みてきましたが、うまく行かず
まだ自分の努力が足りないのだ、と無理をし続け、
終におととし鬱病になってしまい、職場でも家庭でも努力が続けられなくなって、目の前が真っ暗になった矢先にASを知ったのでした。
発達障害を扱う病院で、約1年先の予約を待ち、今年の春にやっと順番がやってきたのです。
たしか小学校の4年生には神経性胃炎、その後神経性の病気を患ってきましたから、鬱病になるずっと前から、脳は私に訴えていたのだと思います。

私にとってこの診断は、言葉では表せないほどの大きな救いでした。
なぜなら、自分が普通の人のようになれない・出来ないのは、私の努力が足りなかったのではなく、
私の脳の機能障害だとわかったからです。
ありのままの自分を否定し続け、普通の人になりたいと努力した結果、私は自分を大切に思う気持ちや、自分を評価するということが全く出来なくなっていました。
普通の人のようになれない自分は駄目人間なのだ、と自分を責めてきました。
しかし、脳に障害があるから出来なかったんだ、とわかった今、普通の人になろうと努力するかわりに、
そのエネルギーを、自分固有の能力を伸ばし、自分の生活を楽しみ、自分を楽にしてあげる方向へ転嫁していこう、と30代後半にして決心できたのです。
私の場合、衝動機能抑制不全を伴うアスペルガー障害ということで、抗てんかん薬(抗パニック薬)を服用していますが、
物心ついて始めて、頭の中のノイズ(始終困惑しているという霧のようなノイズ)が晴れました。
そのおかげで、以前よりは感覚過敏・対人恐怖といったAS故の直接的な障害に対しても少しは楽になったように思います。

>障害受容。それは自分だけでなく他者(社会)からも必要なことです。
>ASは脳の機能障害として考えていかなくてはならないと思います。
>
>当事者として、その当事者と関わるものとして、障害は障害であり、その障害を抱えるものたちとして考えていく必要を思っています。
>
>必要な支援やアイデンティティも含めて
>人に語るときは「障害」という概念は必要であると思っています。

はい、私も同感です。
今はいつ・どのように職場にカミング・アウトしようかと思案中です。
自分で障害を障害として理解して許容することと同じくらい、最低限職場環境など生活に困らないよう職場の上司にカミング・アウトが必要だと思うからです。
そういう意味で、周りの人にもASを障害として考えてもらえるよう努力する必要があると思っています。

初めての書き込みなのに、長くなってしまってすみません。
自己紹介も兼ねてみました。
今後とも宜しくお願いします。

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