|
僕はアニメやゲームを作るのに拘りがあり、そればっか考えているときは普通の人と感性が大分離れていて周りも見えなくなるし知能も低くなります。
高校1年までは自分の異常な頭に気づかず、高校2年のときに普通の人と感性を合わせる方法が分かるようになりました。
その方法をして分かったことは、普通の人は明確な夢も何も持っていないとうことです。
僕は今まで誰でもアニメやゲームを作ることに刺激が得れるものと思ってました。
だけどそれは学校で僕一人だけということに気づきました。
そして普通の人は将来の不安に押しつぶされて、僕より数倍苦労してることに気づきました。
普通の人はドラマや邦楽は刺激を得るためでなく、精神を安定させるものと気づきました。
そして普通の人は暗い話を拒み、負担になることが分かりました。
僕は高校時代、中学のときいじめられて明るい気楽な自分が受け入れられず、自ら暗い自分を演じて、ガンダムなど暗いアニメを語ることがかっこいいと思っていました。
しかし本当にかっこいいのは冷静に明るく振る舞い、教師みたいに怒らないことだと分かりました。
そしてアニメはどんなものでも格好悪いということが分かりました。
自分の評価下げて何が楽しいか分かりませんが、一部の生徒は悪さをしたり学校の規則を破って携帯などを持ってくることがかっこいいと思ってる人もいます。
これは自分の感性のことで話は大分変わりますが、これからが質問です。
どうしても分からないことがあるのですが、本当に小説やドラマや邦楽を作っている人はアスペ性質の才能を持っているのかということです。
どうゆうことかというと、小説やドラマや邦楽を作ることが制作者にとって、僕がアニメを作ることと同じくらい刺激を得れるアスペを持っているなら、当然制作意欲が邪魔をして恋愛感情は鈍り、というより恋愛より小説、ドラマ、邦楽を作る方が好きならば(刺激が得れるなら)、当然恋愛には興味無いはずです。
そして小説やドラマを見たり邦楽を聞いて分かったことがあるのですが、それらの制作者は普通の人が抱いてる将来の不安や寂しさを理解しているということです。
本当に才能がある人は、自分が普通の人と同じ夢を諦めて会社員になるという不安があり、夢が叶う確信が無いというならば、自分に小説やドラマ、邦楽を作る才能が無いと認めたことになると思います。
それとも才能があるという確信も何も無く、どの小説家、ドラマ脚本家、アーティスト志望者も絶対的能力というより、感性の中に秘めたよく分からない才能のみで突き進んで、この人の感性がおもしろいから選ばれるみたいな方法でシナリオ大賞とか受賞して選抜されてるんでしょうか?
つまり僕が言いたいのは、小説やドラマ、邦楽へ、本当に創作意欲があるならば、将来の不安や一人の寂しさも理解できる訳無いし、恋愛にも興味を持たないはずです。
それとも小説、ドラマ、邦楽を作る人は、高学歴の傾向が高いので、アスペの才能は関係なく、ただ単に頭がいいだけなんでしょうか?
それとも小説やドラマ、邦楽に出てくる「将来の不安」「寂しい」などの表現はノリで作ってるんでしょうか?
それとも小説、ドラマ、邦楽を作ることがアスペと関係あるなら、僕がアニメを作るのが好きでその次にゲームをするのが好きなように、恋愛ができるのは2次障害なんでしょうか?
でも小説もドラマも音楽も才能ですからアスペをある程度維持しておかないとその職業にはつけませんし。
そもそも小説、ドラマ、邦楽を作ることにアスペは関係するんでしょうか?
よく分からない質問かもしれませんが、議論していただけないでしょうか?
よろしくお願いします。
|
|