アスペルガーの館の掲示板

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[#17930] 普通に扱って欲しい Y/O 07/2/22(木) 15:26 [未読]
[#17942] Re:普通に扱って欲しい りり 07/2/22(木) 21:00 [未読]
[#17955] Re:普通に扱って欲しい Chiquitita 07/2/23(金) 3:48 [未読]
[#17959] Re:普通に扱って欲しい タカ 07/2/23(金) 8:32 [未読]
[#18030] 『障がい=その人の特性の一つ』 Cyperus 07/3/1(木) 13:35 [未読]
[#18032] Re:『障がい=その人の特性の一つ』 ぶじこれきにん 07/3/1(木) 15:00 [未読]
[#18044] シミのあるミカンをどうする? Cyperus 07/3/2(金) 16:41 [未読]

[#17930] 普通に扱って欲しい
 Y/O  - 07/2/22(木) 15:26 -

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   ここの掲示板を見て感じたことがあります。それと昨日NHKの「福祉ネットワーク」を見て、何故親はありのままの子供を受け入れようとしないのでしょうか。
矯正しないと不都合が生じるのは生まれた子供が悪いのではなく、健常者の視点でしか環境整備してない行政などにあるのではないでしょうか。
何度か福祉ネットワークなどを拝見していると、「同情や哀れみはある意味差別と受け取れる」とか、「自分から助けを求めていないのに親切の押し付けが嫌」といっていました。生まれながらの個性であり自分とって普通であり、健常者が見ると大変と感じてもやれることは自分でしたいという意識がある。健常者は悪気があって助ける行為をしているのですが、本当は助けが必要な障害物を取り除いて欲しいのです。
親や家族としては健常者の環境では苦労するから子供側をなんとか合わせようとしていると掲示板を見ていると感じる。でも問題の本質は見えない壁を放置して無理に壁を子供に越えさせようという親のエゴが含まれているのではないでしょうか。
確かに健康で障害もなければ親としても苦労が少ないでしょう。でもそれって差別ですよね。生まれ持った「障害(この言葉も差別的で使いたくないが)」は子供の個性です。私は「赤緑色弱」という殆ど男にしか出ない遺伝的な障害を持っています。これでイジメにずいぶん遭いました。でも免許は取得出来たし、色で分析する仕事やデザイナーなどの就職は出来ないがちゃんと就職できました。ただ緑地に赤い文字が読みづらいだけで、単色の区別は出来ます。健常者からは誤解や偏見があります。正しい知識を持たず自分の主観で「色弱」はどの色も区別出来ないものと決め付けている。

昨日の福祉ネットワークでは母親が死産させたことを悔やだところから立ち直るものでした。また心臓に障害のあった赤ちゃんのことも採り上げていました。
そこでの親の声は「ただ生きてくれれば満足、それ以上は求めない」でした。
私の母親はこうした障害を持つ私を忌み嫌い、健康で手がかからず外で元気に遊ぶ弟ばかり可愛がりました。それに対して私には完璧を求めてきました。
遺伝でメラニン色素が少なく肌が黒く焼けないことを母親は叱りました。外へ出ても赤く腫れ水脹れが出来るだけでした。「色弱」もなんであの用紙に書かれた数字が読めないのか怒りました。私は自分で努力してやれることはしましたが遺伝的に不可能なことは努力しても無理なんです。しかし母親はそうした医学的なことは信じませんでした。
私はこれは「個性」であって他の人と平等に扱って欲しいと母親に言ったのですが理解してくれません。

ここで「障害」を抱えているお子さんをお持ちの方にお願いします。その子をありのまま受け止めて欲しいのです。

[#17942] Re:普通に扱って欲しい
 りり メール  - 07/2/22(木) 21:00 -

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   ▼Y/Oさん、こんにちは。

一つお聞きしたいのですが…
Y/Oさんにとって、「その子をありのまま受け止める」とはどんなことだと思いますか?
逆に、受け止めてないと感じられることはどんなことですか?

親になって、子の立場に立って考えることが意外に難しいものだと知りました。
よかったら、教えてください。

[#17955] Re:普通に扱って欲しい
 Chiquitita メールホームページ  - 07/2/23(金) 3:48 -

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   ▼Y/Oさん:
うちのオフクロにも見てほしいコメントなので、参加させて下さい。

>何故親はありのままの子供を受け入れようとしないのでしょうか。
>矯正しないと不都合が生じるのは生まれた子供が悪いのではなく、健常者の視点でしか環境整備してない行政などにあるのではないでしょうか。
>何度か福祉ネットワークなどを拝見していると、「同情や哀れみはある意味差別と受け取れる」とか、「自分から助けを求めていないのに親切の押し付けが嫌」といっていました。生まれながらの個性であり自分とって普通であり、健常者が見ると大変と感じてもやれることは自分でしたいという意識がある。健常者は悪気があって助ける行為をしているのですが、本当は助けが必要な障害物を取り除いて欲しいのです。

そうですね。
私自身も長年2次障害の深刻さから「同情や憐れみは偏見の裏返し」というマイナス思考にさいなまれていました。
このマイナス思考は比較的早い段階から気づいていたことですが、やはり偏見抜きで同情や憐れみを感じるのは難しいと思います。

>親や家族としては健常者の環境では苦労するから子供側をなんとか合わせようとしていると掲示板を見ていると感じる。でも問題の本質は見えない壁を放置して無理に壁を子供に越えさせようという親のエゴが含まれているのではないでしょうか。
>確かに健康で障害もなければ親としても苦労が少ないでしょう。でもそれって差別ですよね。生まれ持った「障害(この言葉も差別的で使いたくないが)」は子供の個性です。私は「赤緑色弱」という殆ど男にしか出ない遺伝的な障害を持っています。これでイジメにずいぶん遭いました。でも免許は取得出来たし、色で分析する仕事やデザイナーなどの就職は出来ないがちゃんと就職できました。ただ緑地に赤い文字が読みづらいだけで、単色の区別は出来ます。健常者からは誤解や偏見があります。正しい知識を持たず自分の主観で「色弱」はどの色も区別出来ないものと決め付けている。

そうですね。
これを言うと「不幸自慢合戦」の口火を切ることになるので、本当なら避けて通りたいのですが、私には身体障害があって、長年いじめの原因になっていただけでなく、医療過誤(誤診のために誤ったメスを入れられて、19歳で変形性股関節症が末期状態に至った)がPTSDに駄目押しをしました。
親元では身体障害が家族のものまで嫌がらせを受けるほど偏見がひどく、これについては[#10912]でもコメントしています。

その一方で、赤緑色弱は私も指摘されていますが、よほどグレーに近い緑色や赤でない限り識別は可能なので、日常生活への影響はありません。同じ赤でも色鉛筆やクレヨンのメーカーの違いまで識別できます。

>昨日の福祉ネットワークでは母親が死産させたことを悔やだところから立ち直るものでした。また心臓に障害のあった赤ちゃんのことも採り上げていました。
>そこでの親の声は「ただ生きてくれれば満足、それ以上は求めない」でした。
>私の母親はこうした障害を持つ私を忌み嫌い、健康で手がかからず外で元気に遊ぶ弟ばかり可愛がりました。それに対して私には完璧を求めてきました。
>遺伝でメラニン色素が少なく肌が黒く焼けないことを母親は叱りました。外へ出ても赤く腫れ水脹れが出来るだけでした。「色弱」もなんであの用紙に書かれた数字が読めないのか怒りました。私は自分で努力してやれることはしましたが遺伝的に不可能なことは努力しても無理なんです。しかし母親はそうした医学的なことは信じませんでした。

14年前に死んだ親父も、ひたすら「障害=恥」だといって、私が社会人になっても恋愛ばかりか車の運転免許取得にまで反対しました。
私が運転免許を取ったのは、親父が死んでからで、このとき既に私は30歳でした。

しかし現在まで車の運転実績は17万6千km、昨年2月(ちょうど1年前の今日)に不覚にも追突人身事故を起こしました(相手に全治1週間の軽傷を負わせた)が、それ以外は順調に走っています。親父が存命なら見せてあげたいくらいです。

もしかすると、Y/Oさんも親御さんは「障害=恥」だという誤った考えに囚われていないでしょうか?

最近も私が起こしたスレッド[#17560]で世間体について触れました(コメント[#17593]もY/Oさんからいただきました。御協力ありがとうございます)が、やはり親に世間体を気にする傾向があると、「障害=恥」の考えに囚われてしまうと思います。そしてこれは子供にも植わってしまうでしょう。

実際、私も比較的最近まで、身体障害も発達障害も子供に遺伝させたくない、という思いに駆られていました。身体障害も発達障害もことごとくいじめに絡んでいたからです。
だから、子供にいじめの被害だけは経験させたくない、という思いばかりが先走っていました。

しかし、先天性股関節脱臼については長年遺伝が原因といわれてきたものの、生活習慣(布オムツで締め上げたり、新生児の身長測定のときに足を無理やり伸ばすのが原因)が原因だという話もまことしやかに伝えられるようになり、必ずしも遺伝の仕業ではないことが解り、安心しました。

そして発達障害も「障害」という観点で捉えるから問題が起きる、と考えると、身体障害も含めて「障害=恥」という考えそのものが間違いであると感じるようになりました。
もちろん現在は身体障害も発達障害も恋愛の条件には一切含めていませんし、仮に今後結婚して授かった子供が障害者であっても、一人の人間として大切に育てたいと思います。

>私はこれは「個性」であって他の人と平等に扱って欲しいと母親に言ったのですが理解してくれません。
>
>ここで「障害」を抱えているお子さんをお持ちの方にお願いします。その子をありのまま受け止めて欲しいのです。

おそらく、今オフクロにこの話をしても、「私は"障害=恥"だと思わない」と否定するでしょうが、私が小学校や中学校で手ひどいいじめを受けた(中学校では拷問に近い対応まで受けた)ことを今なおオフクロ自身もトラウマに感じていると思われ、その証拠に私の人間関係で相手の下心をことごとく疑います。
このため、私は人を好きになるためのプロセスを忘れたことさえありました。

しかし、過去は過去でしかありません。
私自身もそうですが、Y/Oさんも「障害=恥」という考えが誤りであることを知っているなら、それを今後の人間関係で実践していけばいいことで、そうすることで名実ともに親離れが可能になると思います。
「障害=恥」が誤りであることは、このBBSでも今後どしどし伝えていけばいいことだし、Y/Oさんだってブログを開設してそこでアピールしていけば、賛同を得ることは難しくありません。

[#17959] Re:普通に扱って欲しい
 タカ  - 07/2/23(金) 8:32 -

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   「普通に扱う」って どうしたら良いのでしょうかね?そもそも 「普通」の基準が解りません。「障害」も 障害を持つ物にとっての 「障害」であって 第三者の「障害」ではないのだから 第三者の接し方が「普通」であっても それが差別に繋がる事もあるだろうし・・。障害に対して 理解があったとしても どう対応して良いのか解らなければ また 解っているとしても その行動に誤解があれば やはり 障害者にとっては 苦痛になってしまうこともあるでしょうし・・。どうする事が良いのか 悩みます。
 障害者自身が 自分の障害としっかりと向き合って お互いが理解していかなくてはいけないと 私は 常に考えるのではありますが、こう言う事を言うと 「自分が障害を持っていないから言えるんだ」とか言われますが 私自身も 三叉神経痛と言う 特殊な持病を持っているので 別にまったくの健常者ではないのです。同じ病気を持った方の中には 発作の恐怖から 対人恐怖症になったりする事もあるようです。また 三叉神経痛の事を「顔面神経痛」と俗称で言いますが これについても 「差別用語」だとか「侮蔑用語」だと言って異常に反応する方もいるようです。それこそ 人それぞれだから 仕方が無いと思いますが、言葉自体が「悪意」であるか「それしか表現を知らない」のか位は区別がつくから 私は その事に対して いかにもな「差別」を訴える姿が 病気よりも 哀れだと思いました。病気なんてなってしまったものは 仕方が無いですし 諦めるより自分自身が病気と向き合って頑張るしかないのですから。私の母は 発作の起こった私に「こんな身体に生んでごめんね」と泣いてあやまりましたが 私はこの身体を 気に入ってるし 「ごめんね」なんて 生んだ本人から言われたくありませんでした。それから10数年 母とは疎遠になったのですが 母は 避けていたのではなく どうしていいのか分からなかったようです。私が母を恨んでいると勝手に思い込んで 連絡をつけられなかったようです。人の想いと言うのは解らないものですね もし 私が病気に対して卑屈になっていたら この母の行動を恨んでいたかもしれないです。
 私の主治医は 私が社会にでるにあたって こうアドバイスしてくれました。
「就職時には必ず 発作の症状や対処法を話し 理解してもらえる職場にしなさい」
 「もし 病気をからかったり 悪口を言ってくる者がいたら 理解へのチャンスだと思いなさい」
 「発作が無い時は 病人ではないから 発作時の理解の為に 通常は 何事も人の三倍努力して信頼を勝ち取りなさい」
 私は その言葉通りに実践してきたつもりです。時には トンチンカンな行動をして迷惑をかけてしまう事も多かったでしょうけど 毎日しっかり生きていけます。
 私の経験話で 申し訳ないですが 主治医のアドバイスは どんなものにも当てはまるのではないかなと思います。
 結局 世間体や 人の目が気になる人は 本当に 障害について理解していない または受け入れてないだけだと思います。
 本当に こればかりは 人それぞれなのでどうしようもないでしょうけど 自分自身が卑屈になってしまえば 周りも それ相応の見方しかできないし、自分自身が 前向きであるなら 協力者も増えていくのではないでしょうか?
      「出来の悪い子供ほど可愛い」
 なんて 言葉もあるくらいですから 何も 親から疎外感を持つのは 「出来の悪い子供」だけではないんじゃないですか?「出来の悪い」なんて言ったら 怒られちゃいますね(^^)
 私は 他人の意見も理解して参考にしたいと思いますが 所詮 「机上の哲学」が何の参考になるか解りません。世間の言動に惑わされずに 実戦と行動を頑張って欲しいです。
 人は 悪い人ばかりではないですよ

[#18030] 『障がい=その人の特性の一つ』
 Cyperus  - 07/3/1(木) 13:35 -

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   ▼Y/Oさん:

>何度か福祉ネットワークなどを拝見していると、「同情や哀れみはある意味差別と受け取れる」とか、「自分から助けを求めていないのに親切の押し付けが嫌」といっていました。生まれながらの個性であり自分とって普通であり、健常者が見ると大変と感じてもやれることは自分でしたいという意識がある。健常者は悪気があって助ける行為をしているのですが、本当は助けが必要な障害物を取り除いて欲しいのです。
>親や家族としては健常者の環境では苦労するから子供側をなんとか合わせようとしていると掲示板を見ていると感じる。でも問題の本質は見えない壁を放置して無理に壁を子供に越えさせようという親のエゴが含まれているのではないでしょうか。
去年の秋、とある発達障害関連の勉強会に参加したときのこと、一人の講師の方の意見に『なるほど…』と思わされました。

#学校などでは、障がい児がいると、とかく『障がい+その子』という見方を
#して、『大変だ!(@_@)』と思うあまり、どうしてもマニュアルどおりの
#杓子定規な対応をしてしまいがちで、そのことがかえって適切な環境適応への妨げ
#となりがちです。
#むしろ『障がい=その子の特性の一つ』というふうにみた方が、ちょうど良い感#じの環境への適応力が養えるのではないでしょうか…

という感じです。ありていにいえば、『見守るところは見守り、手助けすべきところは手をさしのべ』ということであろうかと思います。

[#18032] Re:『障がい=その人の特性の一つ』
 ぶじこれきにん  - 07/3/1(木) 15:00 -

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   ▼Cyperusさん:
>▼Y/Oさん:
>。
>>何度か福祉ネットワークなどを拝見していると、「同情や哀れみはある意味差別と受け取れる」とか、「自分から助けを求めていないのに親切の押し付けが嫌」といっていました。生まれながらの個性であり自分とって普通であり、健常者が見ると大変と感じてもやれることは自分でしたいという意識がある。健常者は悪気があって助ける行為をしているのですが、本当は助けが必要な障害物を取り除いて欲しいのです。
>>親や家族としては健常者の環境では苦労するから子供側をなんとか合わせようとしていると掲示板を見ていると感じる。でも問題の本質は見えない壁を放置して無理に壁を子供に越えさせようという親のエゴが含まれているのではないでしょうか。
>去年の秋、とある発達障害関連の勉強会に参加したときのこと、一人の講師の方の意見に『なるほど…』と思わされました。
>
>#学校などでは、障がい児がいると、とかく『障がい+その子』という見方を
>#して、『大変だ!(@_@)』と思うあまり、どうしてもマニュアルどおりの
>#杓子定規な対応をしてしまいがちで、そのことがかえって適切な環境適応への妨げ
>#となりがちです。
>#むしろ『障がい=その子の特性の一つ』というふうにみた方が、ちょうど良い感#じの環境への適応力が養えるのではないでしょうか…
>
>という感じです。ありていにいえば、『見守るところは見守り、手助けすべきところは手をさしのべ』ということであろうかと思います。


確かにこの意見に同感。見守るところは見守り、手助けするところは手助けするほうが、われわれも生きやすい。そして障がいはひとつの個性と捉えたほうが、がんばリズムの束縛から解放されて、障がい=克服すべきものから解放されて自分らしく生きられて、他を大事にするだろう。

[#18044] シミのあるミカンをどうする?
 Cyperus  - 07/3/2(金) 16:41 -

引用なし
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   ▼ぶじこれきにんさん:
>>
>>という感じです。ありていにいえば、『見守るところは見守り、手助けすべきところは手をさしのべ』ということであろうかと思います。
>確かにこの意見に同感。見守るところは見守り、手助けするところは手助けするほうが、われわれも生きやすい。そして障がいはひとつの個性と捉えたほうが、がんばリズムの束縛から解放されて、障がい=克服すべきものから解放されて自分らしく生きられて、他を大事にするだろう。

『子どもというものを、何かにたとえなさい』と聞かれたたら、僕は『皮のある果物…例えばミカンです!』と答えます。

その心はこうです。

ミカンの皮がうわべから見える子どもの特性です。そうして皮の中にあるのが美味しい果肉、すなわちその子の長所というか秘められた才覚です。障がいとか問題行動というのはそうすると、さしずめ皮にできた黒いシミでしょうか…

 ミカンは丁寧に皮をむけば、果肉を美味しく味わうことができます。
シミのあるミカンだって、剥いてみると、果肉は傷んでなく美味しいかったり・半分はダメでも、もう半分は食べられて実に美味だったということもあるでしょう。
 でも、『傷物だ!』といって、トンカチでたたきつぶしたり、ゴミ箱に投げ捨ててしまえば、何も味わえません。

 これと同じことが、子どもが物事を学んでいくうえでも、云えると思います。
障がいや問題行動にとらわれて、それをただそうとすると、かえって事態の悪化を招くと云うことがかなり多いのではなかろうかと思います。
 むしろ、『必ずこの子は良い面を持っている』と信じて、冷静になって話を聞いて信頼関係を築く・叱るよりも諭す・良い面があったら褒めてきちんと伝えるというふうに、丁寧に一つ一つの外面と向き合っていけば、その子は自信を持ってきっと良い方向進んだという、美味しさを味あわせてくれると思います。

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