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社会生活に支障がないように、さまざまなスキルを、知らない間に身につけてきた。
たとえば、時間に無頓着、しかも、自分時間はゆっくりなので、素のままだと、遅れる、忘れるについて。
メモは書くのを忘れる、見るのを忘れる。しかたないので、意識の前景に、常に記名しておく。つまり、「明日の2時、明日の2時」と、念仏のように想起し続けておく。だから、私は、約束をたがえない。時間ちょうどに、そこに居る。
それもそのはず。朝起きたら、もう2時を目指して、一直線。ご飯の時間、出かける時間、もちろん1時間以上早めの設定。近くまで行ったら、場所を確認し、傍の本屋や喫茶店で待機。「後30分、後20分・・」時計は離せない。10分前、その場所に到着。もし、人の家なら、玄関で5分前まで待つ。そして、ピンポーン。
遅れるはずがない。ただし、その頃には、疲労のピーク。会って話すのも面倒な状態。
これで相手が、「ごめんごめん、おくれちゃったぁ」と笑顔で現れた時には、顔には出さないけど、内側は、怒りの嵐。
だから約束は、極力したくない。1人がいい。
こんな、息の詰まるような努力を、生活全般でしているから、疲れて仕方がない。
若いときは、これで、人一倍、仕事、人間関係良好だった。でも、続くはずがない。人生楽しいはずがない。「・・・しなければ。」「・・してはいけない。」タスクばかりで、疲れ果てた。
だから、もうやめた。
適応しようとするから、苦しい、楽しくない。自分の価値観変えることにした。私が基準。私が中心。素の私のやり方でいい。何かになるための手段はいらない。
丸ごと、このままの私で居る。
ありがたいことにひとりが好き。ひとりで楽しめる。誰か加わってもいいけど、違うレールを、それぞれ歩ける人でないと苦しくなる。そんな人がいたら、並行して歩いてもいい。
いろんな努力し尽くした果てに行き着いたのは、やはり、私は私のやり方でしか生きていけない。私のままで生きていくということ。
グルッと回って元に戻った感じ。青い鳥は、やはり自分の中にしかいないということ、はっきり自覚できた。
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