アスペルガーの館の掲示板

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[#22590] 自分の怠けを発達障害に責任転嫁する ss 07/10/28(日) 16:11 [未読]
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[#22659] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する Ryu 07/10/31(水) 1:20 [未読]
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[#22686] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する 07/10/31(水) 23:18 [未読]
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[#22691] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する めえめえ 07/11/1(木) 8:37 [未読]
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[#22717] Re:興味の方向 Ryu 07/11/2(金) 18:52 [未読]
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[#22732] Re:結さんへ めえめえ 07/11/4(日) 9:25 [未読]
[#22689] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する Ryu 07/11/1(木) 0:27 [未読]
[#22738] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する コロ 07/11/4(日) 16:27 [未読]
[#22746] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する ss 07/11/5(月) 11:24 [未読]

[#22590] 自分の怠けを発達障害に責任転嫁する
 ss ホームページ  - 07/10/28(日) 16:11 -

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   1.
 軽度だけどアスペルガーと精神科医で診断されました。診断書も一応くれといったらもらえました。26歳男です。

 自分は人の気持ちもわかると思っているし、空気も読めると思っているんですがそういう人間がアスペルガーでありえますか?本当にアスペルガー症候群なんでしょうか。


2.
もう一つ余談ですが、例えば自分が、自分は人の気持ちもわかるし空気も読めるけど、アスペルガーだと思うんですが、違うでしょうか。という書き込みをして、それに返信して下さった人に、実はアスペルガーと精神科医で診断されました と、後から明かす場合、そうでない1.の質問に書き込んで下さった時の考えと違う考えと判断をもった方は、それに対して、自分はなんて曖昧なんだと思いませんか?
 それだけ人というものはいい加減なんだなと感じますよね。また、それだけアスペルガー症候群というものがいい加減なもの(明らかに確信をもって自分は自閉症的だという人は別)であるということでしょうね。
 そして、そうならば、自分は精神科医に診断されたといっても、ただのわがままで内向的な人間だという事にも十分なりえるんじゃないかなと思います。

 ちなみに自分が受けたWAIS-Rの結果は下記の通りです。

IQ102 言語性iQ109 動作性IQ94

知識9 数唱17 単語11 算数8 理解9 類似14
絵画完成8 絵画配列10 積木模様11 組合せ7 符号11


あなたのお考えを宜しくお願いします。

[#22599] [投稿者削除]
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   この書き込みは投稿者によって削除されました。(08/3/21(金) 22:50)

[#22602] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する
 まる こ  - 07/10/29(月) 10:13 -

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   ▼ssさん:

はじめまして

>自分は人の気持ちもわかると思っているし、空気も読めると思っているんですがそういう人間がアスペルガーでありえますか?本当にアスペルガー症候群なんでしょうか。

私はアスペであるのか無いのかの基本は、コミュニケーション能力があるのか無いのかの違いだと思います。(あくまで私の考えですが。)
ssさんが、ご自分は空気を読めるし人の気持ちも分かるとお考えだと言うことは、今までの対人関係で特に不自由を感じなかったと言うことなのですね。暗黙の了解などわかるようでしたら、

> 自分は精神科医に診断されたといっても、ただのわがままで内向的な人間だという事にも十分なりえるんじゃないかなと思います。

上記のようにお考えになるのは変ではないと思います。

[#22606] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する
 ss ホームページ  - 07/10/29(月) 11:24 -

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   ▼じゅんこさん、ご回答どうもありがとうございます。

じゅんこさん:
>いくつか質問させていただいていいですか?
>質問1)SSさんが精神科医にかかることになったいきさつは、ご自分の生活に生きにくさを感じてということですか?それとも、周囲(ご家族)とかにすすめられてということですか?

 二ヶ月前まで仕事をしていて辛いので自分で病院に行きました。

じゅんこさん:
>質問2)「人の気持ちがわかる」というのは、例えば、目の前の人が不機嫌だとか、喜んでいるといかという意味での気持ということですか?

 そのような意味で言っています。
 
 人が怒っているのか ここは笑う場面なのか という事を感じることができます。でもそれをするのは義務感であって、例えばたくさんの人間がいる「輪」のようなところで、みんな笑っていますが、その内容がとても意味の無いような会話の内容で、そこでみんなで笑うという事をする事の為に、意味の無い内容で笑うような事をしていると思います。

 例えば仕事をしている時、具体的な指示やコミュニケーション、何をしたくてどうして欲しいのか?そういう事が省略化されてスピードの速い展開で動いていき、そして、結果として何が問題があった時に、適当なはぐらかしやご機嫌をとるという事ができない私に、何かよくわからない、集団の問題が起きた事に対するストレスのはけ口(人はわかりやすい理由を求めます)のような役になってしまいます。
 私が反論をしようと思い頭に浮かんでくる事は、当たり前の理路整然とした論理なのですが、世の中はそんな理路整然とでは回っていかない、かったるい事はただの言い訳にしか過ぎないという事になるのが常です。
 また、そういう風に周りが感じるのも、私としては「解る」のです。ですから何も言えません。ただ、硬直的な私が、その世の中の回り方に特化した柔軟な人に殆ど道理の無い文脈で不当に扱われるという状況が、地獄だなと感じてました。


じゅんこさん:
> 私は自分の気持ちは相手にわかるように伝えない限り、伝わらないと思うので、同じように「人の気持ち」も理解しようという努力がなければ自分には目の前の「人の気持ちがわからない」というのが大前提だと考えています。

 私がもし真摯に相手の言わんとしている事を理解しようと試みようとすると、顔には笑顔はなく、冷静に対話のような状態になり、その状況が相手は不快にというか、違和感を感じるようです。「そこまで深く考える事じゃない」といわれます。


じゅんこさん:
>アスペルガーかどうかの判断基準は専門のお医者様におまかせするとして、発達障碍だから、「人の気持ちを理解しない」「空気を読まずに自分勝手にふるまう」という行動がゆるされるわけではないと思います。

 はい。自分もそう思います。自分はその場にそぐう振る舞いは短い期間なら出来ると思います。でも疲れてしまい結局は逃げる事になります。例えばこんな事がありました。
 飲み会があって、その飲み会という状況では明るく全体の流れというものに乗るという事は、義務であり、そうしないという事は罪であるという状況ですが、自分はとても楽しいように振る舞い、(いや、自分も周りと一体化しているような感覚、みんなと仲間だという感覚は楽しいのですが、舞台の上で演じている俳優のように自分を俯瞰的に観ているように感じてしまいます)そして、周りの自分に対する検閲を無事クリアし、(見事だます事ができ、)その審査の目が甘くなる、周りも気を抜く、酔いが回ってきた後半の時間に辿り着きました。
 がしかし、そこから二次会に行くという話になり、自分はうれしい事に周りに疑いも無く誘ってもっている状況になりましたが、自分は内心これ以上演じる事は無理だと疲れていました。そして断りました。何度もしつこく誘ってくれる人に対して、「俺が本当の俺を気を抜いて出してしまったら、全体の流れというものを壊す俺に対し、迷惑を感じ、直さない俺に対し最後には態度には出さずともうっとうしいと感じるのはあなたではないか」というジレンマとでもいうようなものと、一人格闘し苦しみました。


じゅんこさん:
>ただ、いままで、自分では人の気持ちがわかっているつもりなのに、周囲から人の気持ちをもっと考えろ」とか「空気がよめない」と指摘やある時は叱責をされたりして、

 自分は周りから空気を読めというような指摘や叱責をされたことは無いと思います。適応していたと思いますが、自分の中で苦しんできました。問題のラインを自分の中まで後退させたのです。


じゅんこさん:
>がっかりしている方が、自分の発達障碍がはっきりして安心し、自分なりの生き方(人との関係の作り方)を工夫できるようになったということがあることを、この館に書き込んでおられる方々から学ばせていただいています。

 自分も自分が苦しんでいる理由がわかるという事に快感を覚える為に精神科医に掛かり、アスペルガーと診断されました。でも本当にそうなのか?とまだ自分を許していません。自分のここがこういう理由でアスペルガー症候群的であると理路整然とわからないと、どこまでがそうで、どこからが自分の怠慢であるかがわからないからです。ただの怠慢であるのに、内心(自分はアスペルガーだから)なんて本気で思い込んでいる自分の人生を想像すると悲劇だなと感じます。


じゅんこさん:
> 題名の「自分の怠けを発達障碍に責任転嫁する」自分を許せないということなのでしょうか。あまりご自分を責めないようにしてください。
>心が疲れている時は怠けではなく、ゆっくり心をやすめる必要があると思います。

 心を休めるとは具体的にどういうことなのでしょうか?自分はダラダラすればいくらでもダラダラします。ある程度まできたら、よし、やる気がでてきだぞなんて思いません。危機感から、しっかりしなくちゃと焦りだしてしょうがなく動く事はありますが、それは時期が来たからと言うものではなくただ動き出すのが遅かったという事になると思います。

[#22608] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する
 ss ホームページ  - 07/10/29(月) 11:43 -

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   ▼まる こさんご回答どうもありがとうございます。

>私はアスペであるのか無いのかの基本は、コミュニケーション能力があるのか無いのかの違いだと思います。(あくまで私の考えですが。)
>ssさんが、ご自分は空気を読めるし人の気持ちも分かるとお考えだと言うことは、今までの対人関係で特に不自由を感じなかったと言うことなのですね。

 不自由を感じました。それがわがままであるのではないかと思います。

 自分は、小学生の頃何人かの特定の友達と遊んで、その中でリーダーのような振る舞いをしていました。自分は自分の存在に疑問や引け目のような物を感じていませんでした。それによる堂々とした態度で周りの友達は子供ですから引っ張られていたのだと思います。

 今は人と積極的に関わりません。傷つきたくないのか、自分に自信がないからです。

 これはつまり、アスペルガー症候群というものは全く関係が無く、ただの普通の負け犬の男ということなるんじゃないかと思います。

 自信が無くなったという事にアスペルガー症候群というものが関わっているかどうかは、わかりませんが、中学くらいから、自分の存在に疑いなく他人に関わって行くという態度は無く、仮面をつけていました。中学は部活で少しいじめられていたと思います。

[#22623] [投稿者削除]
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   この書き込みは投稿者によって削除されました。(08/3/21(金) 22:50)

[#22626] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する
 まる こ  - 07/10/29(月) 23:12 -

引用なし
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   ▼ssさん:

タイトルにある、『自分の怠けを発達障害に責任転嫁する』
怠け=発達障害の症状と同一 というのは無いと思っています。
変な話で恐縮ですが、私は恐らくアスペですが、怠け者か働き者かと問われれば、働き者であると思っています。(あくまでも自己評価!?)
掃除洗濯アイロンがけは毎日するし、ちょっとした大工仕事もこなします。庭の手入れも欠かしません。ただ、他人が怖くて働きに出られない。だから最近内職(部品付け)を始めましたけどね。そして私は食事のマナーにもうるさいほうです。

だから
某巨大掲示板で
『アスペは食事の仕方が下品である』
とか
『怠け者で部屋がゴミ箱みたい』
など 書かれていたりしていると
複雑な気分になります。

[#22629] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する
 明子 メール  - 07/10/29(月) 23:46 -

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   ▼ssさん、こんにちは。
じゅんこさん、横レスですみません。

> 人が怒っているのか ここは笑う場面なのか という事を感じることができます。でもそれをするのは義務感であって、例えばたくさんの人間がいる「輪」のようなところで、みんな笑っていますが、その内容がとても意味の無いような会話の内容で、そこでみんなで笑うという事をする事の為に、意味の無い内容で笑うような事をしていると思います。

多分、大抵の場合、笑っている人は面白いから笑っているのでは?と思います。
人に合わせるために笑ってるのではなく、笑いのツボがたまたま同じだから、みんなが笑うのだと思います。
人が面白くて笑ってるということに気がついていないようにも見えますが、いかがでしょうか?

> また、そういう風に周りが感じるのも、私としては「解る」のです。ですから何も言えません。

そうですね、この部分は、アスペっぽくないですね。

> 私がもし真摯に相手の言わんとしている事を理解しようと試みようとすると、顔には笑顔はなく、冷静に対話のような状態になり、その状況が相手は不快にというか、違和感を感じるようです。「そこまで深く考える事じゃない」といわれます。

場面にあった適切な対応ができてない、という見方もできますね…。

飲み会のことは、どうすれば適切な行動が取れるか、はわかるんですよね。
でも、無理して頑張ってたんですよね。

場を壊さないよう雰囲気を読むことまではできるけど、でも人と合わせるとストレスを感じる、というのも、コミュニケーション面の問題として挙げることができるのでは?と思います。

> 飲み会があって、その飲み会という状況では明るく全体の流れというものに乗るという事は、義務であり、そうしないという事は罪であるという状況ですが、

楽しんでいる人も結構います。
それを義務・罪と思ってしまうのだとしたら、「相手の人の気持ち(この場合飲み会を楽しいと思うこと)がわかっていない」状況のように感じます。

> 自分も自分が苦しんでいる理由がわかるという事に快感を覚える為に精神科医に掛かり、アスペルガーと診断されました。でも本当にそうなのか?とまだ自分を許していません。自分のここがこういう理由でアスペルガー症候群的であると理路整然とわからないと、どこまでがそうで、どこからが自分の怠慢であるかがわからないからです。

ssさんの書いたものを読んだ限りでは、無理して(がんばって)周りに合わせているように感じました。
でも、多数派の人たちは、多分無理してないしがんばってない(あるいは無理したりがんばったりしていても大したことはない)のだろう、と思います。

人と感性が違うからssさんはがんばらざるを得なかったのではないでしょうか?

まず、人と感性が違うことに、個人的にはアスペの可能性を感じます。
人と感性が違うのは多かれ少なかれいたしかたないことだと思うのですが、無理する・頑張るということで対応してきたことが、限界に達してしまったのではないか?と感じました。
もちろん、無理することや頑張ることも必要になることもありますが、対人関係においては、無理したり頑張ったりするよりも、相手の気持ちを理解し、自分が納得した上で対応するのがストレスのたまらないお付き合いのしかただと思います。

例えば、相手の人の、一つ一つの言動を気にして、不快になった場合などは我慢してますか?
それとも、一つ一つの言動にあまり心を動かされず、人間性などを総合的に見てますか?

後者なら、あまり対人関係にストレスを感じなくてすむと思いますが…。

[#22647] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する
 T.T  - 07/10/30(火) 18:09 -

引用なし
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   一概にどうという事は言えませんが、わたしの場合、身内から、ASの症状を指摘され、自閉症・発達障害支援センターと病院に行って、ASがわかったので、ASは、自分では、簡単にはわからないものなのかなと思いましたよ。私は、身内にASの事を聞き、パソコンで、ASの症状を詳しく調べ、殆どの症状を持っていたので、センターと病院に行きました。また、病院は科学的に、きちんと結果が出るので、ASと言われれば、私は、素直にそれを受け入れています。それは、きちんと受け入れ、これから先、自分なりに、ASを持っていても、対処して、過ごしやすくなれば、その方がいいと思うし、身内や周囲の人達に、理解・協力もしてもらって、、また、センターや病院でサポートしてもらいながら、いろいろ考え、対処しながら生きていく方が、私の精神的にも、家族達の精神的にも、いいと思うからです。また、ASを持つから、怠け者という事ではないと思います。私も、働いた経験がありますし、主婦業の経験もありますし、今も、家事もしますよ。
 また、私に、とっては、ASを受け入れ、これから先、対処しながら、生きていく事は、大切な事だし、周囲の人達にとっても、その方がいいと思っています。
 ASと診断されたら、まず、第一に受け入れる事だと思います。

[#22648] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する
 ss ホームページ  - 07/10/30(火) 18:14 -

引用なし
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    じゅんこさんご回答有難うございます。

> 「自分を許せない」気持ちから、「自分の存在を自分で認めてあげる」気持ちになれるといいのかも知れませんね。

 そうなれるか、そうでないかの違いは、自分の弱さを認められる強さがあるか無いかということになるのでしょうかね。


>怠慢であるかそうでないかは別にして、
>「なにもしたくない」
>「心が動かない」
>というSSさん自身の心の状態を改善するために、どう対処していけばいいか?
>を専門のお医者さんと探っていかれるといいのかもしれません・・。

 どうもありがとうございます。考えて見ます。

[#22651] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する
 ss ホームページ  - 07/10/30(火) 18:51 -

引用なし
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   ▼明子さん、ご回答有難うございます。


>多分、大抵の場合、笑っている人は面白いから笑っているのでは?と思います。
>人に合わせるために笑ってるのではなく、笑いのツボがたまたま同じだから、みんなが笑うのだと思います。
>人が面白くて笑ってるということに気がついていないようにも見えますが、いかがでしょうか?

 面白くて笑っている事は解っています。単に笑いのツボがあわないという事でしょうかね。


>> また、そういう風に周りが感じるのも、私としては「解る」のです。ですから何も言えません。
>
>そうですね、この部分は、アスペっぽくないですね。

 「解る」という事は、アスペルガーであり得ないという事でしょうか。


> 私がもし真摯に相手の言わんとしている事を理解しようと試みようとすると、顔には笑顔はなく、冷静に対話のような状態になり、その状況が相手は不快にというか、違和感を感じるようです。「そこまで深く考える事じゃない」といわれます。
>
>場面にあった適切な対応ができてない、という見方もできますね…。

 これも場面にあった適切な対応が不可能なわけではなく、飲み会の時と同様、笑顔を交えたり相手の求めるようなリアクションを取る自分を俯瞰的に観ているような窮屈な感じになり疲れます。


>場を壊さないよう雰囲気を読むことまではできるけど、でも人と合わせるとストレスを感じる、というのも、コミュニケーション面の問題として挙げることができるのでは?と思います。

 そうでしょうか。ただ単にわがままなだけなんじゃないかと自分の事ですが思います。
 
>> 飲み会があって、その飲み会という状況では明るく全体の流れというものに乗るという事は、義務であり、そうしないという事は罪であるという状況ですが、
>
>楽しんでいる人も結構います。
>それを義務・罪と思ってしまうのだとしたら、「相手の人の気持ち(この場合飲み会を楽しいと思うこと)がわかっていない」状況のように感じます。

 相手が楽しかったりするのが解るからって、同じように感じられるものなのでしょうか。


>ssさんの書いたものを読んだ限りでは、無理して(がんばって)周りに合わせているように感じました。
>でも、多数派の人たちは、多分無理してないしがんばってない(あるいは無理したりがんばったりしていても大したことはない)のだろう、と思います。
>
>人と感性が違うからssさんはがんばらざるを得なかったのではないでしょうか?
>
>まず、人と感性が違うことに、個人的にはアスペの可能性を感じます。
>人と感性が違うのは多かれ少なかれいたしかたないことだと思うのですが、無理する・頑張るということで対応してきたことが、限界に達してしまったのではないか?と感じました。
>もちろん、無理することや頑張ることも必要になることもありますが、対人関係においては、無理したり頑張ったりするよりも、相手の気持ちを理解し、自分が納得した上で対応するのがストレスのたまらないお付き合いのしかただと思います。

 やはり自分はあまり発達障害の部分は無いように思いました。あったとしても少しだと思いました。自分が感じている生きにくさは、それとは別のような気がしました。
 出来るけどやらないというのは、アスペルガー症候群と別のような気がしました。


>例えば、相手の人の、一つ一つの言動を気にして、不快になった場合などは我慢してますか?
>それとも、一つ一つの言動にあまり心を動かされず、人間性などを総合的に見てますか?
>
>後者なら、あまり対人関係にストレスを感じなくてすむと思いますが…。

 不快になった場合は我慢します。人間性を総合的に見る為に必要な自分のものさしがありません。


 この場では発達障害でいろいろな事が出来ず、その出来ない事で悩んでいるという人が、それを出来る方へ近づけていこうという為に話をする場で、またアスペルガー症候群の辛さとはそういう事だと思うので、出来るという自分は他に問題があるのかも知れないと思いました。
 
 しかし、自分は「出来て」いるんだろうか。見た目には自分と人の「出来る」は同じように見えても、その構造が全然違うのではないかという疑問もあります。
 自分もまわりのように楽しもうと自分を強制したこともありましたが、どうしても戻ってきてしまい、一人になります。

 でもそれは、重複しますがこことは違うテーマのような気がしました。

 どうもありがとうございました。

[#22653] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する
 ss ホームページ  - 07/10/30(火) 19:04 -

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   ▼まる こさん、ご回答有難うございます。

>タイトルにある、『自分の怠けを発達障害に責任転嫁する』
>怠け=発達障害の症状と同一 というのは無いと思っています。
>変な話で恐縮ですが、私は恐らくアスペですが、怠け者か働き者かと問われれば、働き者であると思っています。(あくまでも自己評価!?)
>掃除洗濯アイロンがけは毎日するし、ちょっとした大工仕事もこなします。庭の手入れも欠かしません。ただ、他人が怖くて働きに出られない。だから最近内職(部品付け)を始めましたけどね。そして私は食事のマナーにもうるさいほうです。
>
>だから
>某巨大掲示板で
>『アスペは食事の仕方が下品である』
>とか
>『怠け者で部屋がゴミ箱みたい』
>など 書かれていたりしていると
>複雑な気分になります。


 失礼しました。タイトルは自分の事で、発達障害で本当に苦しんでいる人の事を指していませんので、ご了承下さい。
 自分は(軽度であるが)アスペルガー症候群であると病院で精神科医に診断されましたが、自分が周りに感じている引け目とか、劣等感の様な物の理由が解るというのは、ある意味で安心するというか、心地良いものです。それが、周りに対して迷惑を掛けて良いという免罪符にはなりませんが、自分の中で折り合いをつけるにはとっても便利だと思います。

 自分は自分がアスペルガー症候群であると言うには引け目を感じるくらいに、発達障害の度合いは低いと思ってますが、生きにくさを感じており、それをアスペルガー症候群のせいにしがちです。アスペルガーの特徴はいくつかは誰にでも当てはまるようなものがあるから、解りやすい理由を求めて自分がそうなんじゃないかと思う人は多いと思います。

 自分はそうならないように自分を戒めなければならないと思います。

[#22654] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する
   - 07/10/30(火) 20:55 -

引用なし
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   はじめまして。

SSさんが困っていることの元は「自分がASかどうか確かにはわからないから、病名を免罪符にすることは腑に落ちない。」ということにありますよね?
では、それを確かめなくては話は進みません。(ということにここではしておいて、)

以下お医者さんのHP丸写しなのですが、
「自閉症の脳機能障害には、
1.マインド・ブラインドネス(人の気持ちを読み取ることの障害) 
2.実行機能の障害(計画、努力、我慢に関する障害) 
3.中枢統合機能の障害(要らない情報の切り捨てと、要る情報の選択の障害で、情報量が多すぎて適切に処理できない) 
4.感情認知の障害(人の感情を読み取れない、表情を推し量れない)
などの特徴があり」、

「自閉症の情報処理の特徴は、
1.刺激の過剰選択性 2.継次処理過程(並列処理ができない。一つずつしかできない)
3.視覚優位 4.一般化の困難性(応用が利かない)
5.因果関係の理解困難(目に見えることは理解可能だが、目に見えないことは理解困難)
6.時間、空間の理解困難 7.社会的認知困難 8.コミュニケーションの困難など」
だそうです。

コミュニケーション障害はASの特徴の一部にすぎないんです。

例えばそれは、ある感覚が鋭すぎるとか、逆に鈍すぎるとか、言葉は頭で一度絵か字にして理解しているとか、音読すると意味がわからないとか、人の顔を覚えられないとか、他にもたくさん、人によって千差万別な症状や特徴があります。

他の当事者の体験とかと照らし合わせてみて、1個もかすらなかった・・・ので、ASかどうかわからない、ということでもあるのですか?

ただ、SSさんの「多数派の人は非論理的で理解困難な振る舞いをする」という捉え方(違っていたらごめんなさい)は、私も同感な方です。
そして「対人用の仮面で対応もできるが、疲弊するし長くは困難」というところも、わかる気がします。
ペンギンクラブさんのHPではこう表現されています。「知識的に習得した行動や会話のモデルやパターンを憑依的に模倣」。

この二つは、私の先生に言わせるとやはりAS的なのだそうです。

一方、自閉症の特徴で、発信者が“隠しているつもり” の本当の気持ちや性格を敏感に知覚してしまうという人もいます。
中枢統合機能の障害(情報の取捨選択の障害)によって、脳にすべての情報が無差別に取り込まれていることで返って知りえてしまうのではと自分では考えています。
もしSSさんが「見抜け」てしまう人だったとして、目の前で楽しんでいる“振り”をしている人がいたら――

もしここまで読んでくださっていて、思い当たる節があって、でも診断名にどうしてもすがりたくない、ということでしたら、診断は置いといて事実から判断しても、これは自分の脳がどうであるか、人とどう違うのか、という問題にならないでしょうか。
(でも思い当たっていたらASかなぁという感じもしますが・・・)

つくづく思うのは、
「最初から持っていない物を、失われていると実感することはできない。」
自分の対処や思考方法が一般的かどうかは、他人の脳を借りて体験ができない以上、それは不可知であると。
それでも、外側の枠として認知していくことはできる。
(ドラマである人が泣いている理由が「わからな」くても、理由を「知る」ことはできる、みたいな意味です。)

なので、自分の脳の特性と、多数派のものの考え方、その違いを学んでみる、というのはどうでしょうか。
敵を知り、己を知らば、百戦危うからずとも云います。(私は万事危ういですが。)

長くなってごめんなさい。

[#22656] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する
 めえめえ  - 07/10/30(火) 23:37 -

引用なし
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   ▼ssさん:
▼明子さん
横から失礼します。
ごめんなさい、最初の発言特に2.の方で、何を求めてらっしゃるのか
わからなくてコメントを差し控えておりましたが、

> しかし、自分は「出来て」いるんだろうか。見た目には自分と人の「出来る」は同じように見えても、その構造が全然違うのではないかという疑問もあります。

『あなたがあなたであるために―自分らしく生きるための
 アスペルガー症候群ガイド』(吉田友子著、ローナ・ウイング監修)
という本に、人の顔や状況を認知する際に、アスペのひとと、
そうでないひとと、働く脳の部位が違う、という写真が載っていました。

この説明は私にとってすごくわかりやすいものでした。
私自身、ひとの顔色を読んだり、雰囲気に合わせることが一応できてる?
と自認はしていますが、理解のしかた、周囲に合わせて行動するための努力
のしかた、というのは、独特の回り道をしているので。
(たとえばいったん”知識”や”基準”を言語化して、そこを通って
 あるいは参照して理解しないと納得できない、など)

ssさんは客観的なデータや、厳密な定義あるいは分類にこだわりを
感じるタイプの方のようですが、
人間の行動も特性も、かなり基準があいまいなものだと理解した方が
けっこう当っているように思います。
あいまいということは、よく言えば許容範囲が広いということなので、
多少、変人でも受け容れてもらえる可能性も高いと思うと気が楽です。

[#22659] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する
 Ryu メールホームページ  - 07/10/31(水) 1:20 -

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   ▼ssさん
はじめまして。

他の方への返信も少し読ませてもらって、ssさんの特徴が僕と似ているなと思っています。ちなみに僕自身も昨年アスペルガー症候群の診断をもらっています。

他人の考えていることが分かるというか、分かりすぎてしまってそれが刺激になることも多いです。まあそのおかげでユングの分析心理学でいう夢分析のようなことを友人にしてあげることも出来るようになりました。

ユングの分析心理学というのは人間の無意識を扱っている学問で、僕はこれを使って自閉症の人の人格構造を説明しています。
これは仮説の域を出ていませんが(というか科学では意識というものさえ正確に定義されていないし、できない。何故なら言葉で言い表されることのない無意識を客観的に観測することは現段階で不可能だから。)、自閉症の人の傾向として意識よりも無意識に動かされる傾向があると思います。

これは自分自身の行動においてもそうですが、他人とのコミュニケーションにおいても相手の意識的な語りかけよりも無意識を読み取ることに長けている場合があります。無意識を読み取るというのはつまり、言語情報よりも非言語情報を相手の表情やしぐさ、言葉の表すコンセプトなどからパターン認識することです。

症例として観察されるものの多くに、「言外にほのめかすような感情が読み取れない」というようなことがありますが、これはちゃんとアイコンタクトをしながら話せなくなってしまったような場合のことでしょう。以前は僕も他人の顔を見ながら話すのが苦手だったのですが、それは相手の敵意やネガティブな感情、その他見たくないものを見てしまい、相手の発する言葉との矛盾を感じて余計混乱してしまうからでした。でもそれに気付いてからは場面ごとに言語情報と非言語情報の受け取りの選択が可能になり、上手くコントロール出来るようになりました。

僕はたまたま卒業した幼稚園、小学校、中学校が自閉症児(カナータイプ)との混合教育を行っている珍しい学校だったので、何人もの自閉症児をクラスメートに持って育ってきたのですが、彼らに対してもやはり僕は同じ自閉圏として共通性を感じています。

下手な文章で(英語しかないのですが)申し訳ないのですが、以下のリンクに少し説明書きがあります。

http://submariner-spirit.cocolog-nifty.com/blog/files/Bell_curve_rt.pdf

詳しい説明は省きますが、アナログ=無意識を感じ取る力で、デジタル=論理的思考を行う意識、です。

本来人間というのは自然界の生き物の一つなので、当然脳の特性にも上図のようにバラツキがあると考えられます。自閉症と定型者の関係について取られたデータはまだないですが、知能指数(IQ)も同じような分布特性を持ってばらつくので、それに準ずるとも考えられます。

もしこれに同意していただけるならssさんがアスペルガー症候群というのはいいかげんなもの、と表現されるのはご尤もで、診断基準の行っている役割というのはこの分布曲線状の任意の箇所に線を引くということだからです。DSMなどの診断基準が改定される度にこの線は移動しますし、医師の主観によっても左右されます。また時代や文化的背景の影響も受けるでしょう。つまりボーダーにいる人達が障害とされるかそうでないとされるかは脳の機能的、生理学的要因によるものではなく、人間がそう決めるか決めないかです。

では何故人間はそのように診断基準で分断されなければならなくなってしまったかというと、それは人間の作り出すシステム(教育、医療、経済、地域、社会、国家、科学、言語、文明など全てのもの)が全て均一化された対象を好んで扱うという傾向にあるからです。それらのシステムは例外的な少数派を排除する傾向があります。というのは人間の作り出す物は全て論理によって組み立てられた科学から生まれてくるので、自ずとデジタルなシステムになるのです。アナログ信号をデジタル信号に変換しなければ扱えないのです。

これをどう捉えるかはssさんの判断次第ですが、ssさんの感じている生きづらさのようなものは、まさにアスペルガーという診断基準が生まれるに至った経緯だと僕は思いますよ。

長くなりましたがご参考までにお考えください。

Ryu

[#22660] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する
 明子 メール  - 07/10/31(水) 7:42 -

引用なし
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   ▼ssさん、こんにちは。

> 面白くて笑っている事は解っています。単に笑いのツボがあわないという事でしょうかね。

感性の違いなんでしょうね。
一般の人が面白いと思うことを面白いと思わない場面が多ければ、無理して笑わなければなりません。
自然に笑える人よりは、ストレスが溜まりやすいですよね。

どちらの人が多数派かといえば、面白くて笑ってる人。
ストレスを感じないか、感じているとしても、ストレスは少な目と思われます。

どう振舞うべきか理解できることは大事なことですが、それができるからといってアスペルガーではないとはいえないと思います。
○○ができればアスペルガーではない、とは言えないと思います。

アスペルガーの特性を持っていたとしても、それは「怠け」ではないと私は思います。
ssさんは、今まで頑張って合わせることで適応されてきたのだ、と思います。

受診された理由として、辛かったからと書かれていましたよね?
受診するほど辛いというのは、今まで頑張り過ぎてたからだ、と思うのです。
不適応の症状が出始めているのでは?と感じられます。
ssさんはアスペと診断された原因を「自分の怠け」と感じているようなので、これ以上頑張りすぎたらもっと辛くなってしまうのでは?という危機感を、ssさんの中に感じました。

受診するほど辛いのに、さらに頑張ろうとしたら、もっと辛くなってしまう、と思います。
頑張るのではなく、少しでもラクになる方法を見つけたほうがいいと思います。
これ以上頑張ったら、さらに辛い状況に自分を追い込んでしまいませんか?
むしろ逆に、ご自身の辛さを軽減することが必要な状態のように思います。

私自身にも発達障害の傾向があり(「自称」なので診断は受けてません)、精神疲労で定期的に通院してます。
精神疲労の直接的な原因は育児です。
でも、受診するほど疲れる前に自分で自覚し何らかの対策を立てて問題を解決し、受診まで至らないほうが多数派だろう、と考えてます。
そこまで自分の状態を客観視できてなかった、それが真の原因だろうと考えてます。

自分の能力以上に頑張りすぎてしまってたので、今はもっと自分を客観的に見て少しでも自分が無理しすぎてないか、自分で自分をチェックしてます。
ssさんはまだ頑張りが足りない、と思われていないですか?

> 相手が楽しかったりするのが解るからって、同じように感じられるものなのでしょうか。

解る=同じように感じられるというのは、全然別のものだと思います。
解っても楽しくなるわけではないと思います。
ただ、同じ気持ちにならないから、ssさんは辛い思いをしてるのですよね。

こちらの掲示板でも、社会的に適応しているように見えても、内面的にはアスペルガー的な特性をお持ちのかたがいます。

後半でssさんはできる・できないのことについて書かれていますけれど、例えばこの部分に限って言えば「人が楽しいと思う」ことをssさんは「楽しいと感じることが『できない』」のですよね。

> しかし、自分は「出来て」いるんだろうか。見た目には自分と人の「出来る」は同じように見えても、その構造が全然違うのではないかという疑問もあります。
> 自分もまわりのように楽しもうと自分を強制したこともありましたが、どうしても戻ってきてしまい、一人になります。

読んだ限りは、「出来てない」面もあるように感じました。
表面は対応できていても、心の中で不適応を起こしているように感じました。
出来なくて辛い思いをしてるように私には感じられましたが…。

「出来ない」部分については、頑張ったり無理して周りに合わせるのではなく、別の方向からアプローチしたほうがいいと私は思います。
例えば、飲み会の件なら、飲み会への参加を減らす、その代わり一人になってしまうのはしかたないことだと割り切るようにすれば、少しでも気持ちがラクになりませんか?

> やはり自分はあまり発達障害の部分は無いように思いました。あったとしても少しだと思いました。

発達障害の傾向があったとしても、多分軽度なんでしょうね。
私も自称軽度の発達障害(ただし現実社会で発達障害と名乗ることはありません)ですが、発達障害だと考えて客観的に自分を見るようにして、対応を考えていくことで、自分がよりラクに生きられるのです。
即効性はないにしても、辛さが軽減していきます。

自分のことを発達障害、と考えるのは、甘えるためではありません。
特性を考慮して、自分がどうしたら社会で生きやすくなるか考えるための材料の一つと考えてます。

>>例えば、相手の人の、一つ一つの言動を気にして、不快になった場合などは我慢してますか?
>>それとも、一つ一つの言動にあまり心を動かされず、人間性などを総合的に見てますか?
>>
>>後者なら、あまり対人関係にストレスを感じなくてすむと思いますが…。
>
> 不快になった場合は我慢します。人間性を総合的に見る為に必要な自分のものさしがありません。

「人には誰にもよい面と悪い面があるもの、多少悪い面があってもしかたがない」と割り切り、相手の人の不快な言動・行動はある程度まではスルーして流せる(気にしないようにする・我慢しないように心がける)ことができると、人間関係はラクになってくると思います。
このような対処法ができれば、対人面のストレスはかなり軽減できると思います。
「ものさし」の問題ではないと思いますし、我慢だけを溜め込んでいるとストレスになりませんか?

> この場では発達障害でいろいろな事が出来ず、その出来ない事で悩んでいるという人が、それを出来る方へ近づけていこうという為に話をする場で、またアスペルガー症候群の辛さとはそういう事だと思うので、出来るという自分は他に問題があるのかも知れないと思いました。

先ほども書きましたが、人が楽しめることを楽しむことかできないとか、ssさんが「できてる」と思っていても、実は「できてない」こともあるのではないでしょうか?
また、この場が出来る方へ近づけていく為に話をする場だとは私は考えていません。

めえめえさんがお勧めの本を紹介してくださっていますが、私もお勧めします。
ssさんも読んでみて、もう少し自分を見つめなおしてみるといいかもしれません。

これ以上頑張りすぎないことをssさんにはお勧めしたい気持ちです。

[#22675] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する
 秋桜(管理人) メールホームページ  - 07/10/31(水) 13:55 -

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   ▼Ryuさん:
管理人の秋桜です。

これは心理学や言語聴覚療法の知識を臨床に生かしている先輩としての立場からの意見として聴いていただけたら、と思います。

Ryuさんが自分の状況をわかろうと努力されているのはいいことだと思いますし、それを他の人にもシェアしたいというお気持ちはわかります。

しかしRyuさんのやり方で無意識を扱うことはかなりリスクを伴うこともあります。人間を理解する上で心理学を学ぶのは大切ですが、それをメインの方法として人と接するのはどうかな、と色々な経験から感じています。

私はフロイトやユング心理学的な分析は自己分析の手段として用いますが、他人にはやらない方がいいと考えています。それは無意識が流れ出した時の対応がとても難しいからです。相手を支えられればいいのですが、専門家でさえ時には一緒に流されたりトラブルになってしまうこともあります。

私が知っている精神分析系(フロイトやユング系)の専門家の中でも訴訟を起こされたりした人もいました。そこまでは行かなくても結構大変なことになったという話は心理の世界にいた頃にはよく耳にしました。

なのでRyuさんがお友達に夢分析のようなことをしている、というのがちょっと気になりました。お節介かもしれませんが、あまりこのようなことはされない方がいいと思います。

コミュニケーション測定に関しては言語聴覚士はビデオ撮影したものを全部起こして非言語のものを含めてすべて記録し、自分がどのようなコミュニケーションを取っているのかを分析する、ということをトレーニングの一環として行います。

コーチングでもトレーニングの一環としてコーチ、クライエント、オブザーバーの役割を交代で行ってコミュニケーションの取り方について評価・フィードバックすることも行います。オブザーバーは記録を取りながら物事を客観視する時間なので他者のやり取りを見るいい機会になります。

[#22686] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する
   - 07/10/31(水) 23:18 -

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   あの、素朴な疑問なのですが、Ryuさんは「無意識を扱っている学問でを使って自閉症の人の人格構造を説明して」るだけですよね?
「夢分析のようなこと」、ではそれすら使ってなくて、たぶん生来の特質でなさってるのですよね。

それと、Ryuさんのここでいうコミュニケーションは、非言語の中でも微細で、伝達の意図なく表に現れてしまった部分に属するもので、
コスモスさんのいうコミュニケーションの非言語は、意図的に(あるいは意識に上っている)情報を表現している、どちらかというとボディランゲージに近いもの・・の違いがあるように感じたのですが、違うのですか・・?

もしそうなら、コスモスさんのいうものはいわゆる正当で、誰もがわかる共通言語としてのコミュニケーションですよね。
Ryuさんの言っているものは、人との接するメインの方法にしてると言うより、Ryuさんが自然に出来てしまうことを「自閉症ってそういう情報がわかり方をしてしまうこともあるよね」って言っている、それだけのことと受け取りました。

私もふっと、例えば相手の人のプライベートな情報とか、強い負の思いとか、わかってしまうことがあります。(どうやってわかるのか、自分ではわかりません。)今はある程度カットできますが、あまり楽しいものではないです。

カナータイプでは珍しくないのは知っていたけど、高機能でそういう人が他にもにいないかなと思っていました。それをとても平易な文章で考察と共に書かれていて、私には共感するところも多く、嬉しかったです。

そんなに、何かを危険な扱い方をしているわけではない(というか、生まれつきそうで、それについて思索しているだけのこと)と受け取れたのですが、こうした書き込みはだめなのでしょうか。

(・・何か視点が欠けてて、とんちんかんなことを言っていたら、お二人共に謝ります。)

[#22689] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する
 Ryu メールホームページ  - 07/11/1(木) 0:27 -

引用なし
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   ▼秋桜(管理人)さん:
たびたびお世話になっています。

>しかしRyuさんのやり方で無意識を扱うことはかなりリスクを伴うこともあります。人間を理解する上で心理学を学ぶのは大切ですが、それをメインの方法として人と接するのはどうかな、と色々な経験から感じています。
>
>私はフロイトやユング心理学的な分析は自己分析の手段として用いますが、他人にはやらない方がいいと考えています。それは無意識が流れ出した時の対応がとても難しいからです。相手を支えられればいいのですが、専門家でさえ時には一緒に流されたりトラブルになってしまうこともあります。
>
>私が知っている精神分析系(フロイトやユング系)の専門家の中でも訴訟を起こされたりした人もいました。そこまでは行かなくても結構大変なことになったという話は心理の世界にいた頃にはよく耳にしました。
>
>なのでRyuさんがお友達に夢分析のようなことをしている、というのがちょっと気になりました。お節介かもしれませんが、あまりこのようなことはされない方がいいと思います。

ご忠告ありがとうございます。
ただ僕のコメントの意図について誤解があるといけませんので、ご説明させていただきます。

僕はssさんに対して似ているところがあると感じたので、僕のことが参考になるかと思いお話ししました。分析心理学の話を出しましたが、それはssさんが自閉症の特徴ではないのではないか?とお考えになっている特徴も自閉症の特徴の一つである可能性がある、という説明がしたかったからです。

これは分かっていただけていると思いますが、ssさんに分析心理学をお勧めしているわけでも、ましてや対人関係においてそれを実践することを勧めているわけでもありません。

それから僕自身のことについてですが、ご心配いただきありがとうございます。分析心理学がリスクを伴う手法だということも、訴訟などに発展した事例も存じ上げています。

僕は分析心理学を学校や文献を通して習ったわけではなく、自分の経験から体得的に身につけた自分自身や他者に対する理解の方法がたまたまそれに似ていたというだけです。そしてそれ以上有効な対人理解の方法が思い当たらないので、それを続けています。用語は後から学習しました。

その関わり方が分析心理学と結びつくということを知る前は、確かに感じたとおりのことを相手に言ってしまって対人関係を悪化させたこともあります。しかし今は秋桜様の懸念されていることも分かっているので、他人と関わる際に自分の感じ取ったことを無理に伝えようとしたり、相手の心の中の開けたくない蓋を無理矢理開けるようなことはもちろんしていません。何かを感じ取ったとしても、それをその人に対する自分の理解として使うだけです。

夢分析については、僕のその特技を知っているごく親しい知人が、自分の見た夢の意味を知りたいというので相手の状態を考慮した上でそのお手伝いをしているだけです。その場合でも、僕が言葉で分析結果を伝えるのではなく、その人が自分自身で気づけるように質問を投げかけるだけです。つまり自分で夢のことについて話しに来た人が自分で喋って自分で気づく訳です。

>コミュニケーション測定に関しては言語聴覚士はビデオ撮影したものを全部起こして非言語のものを含めてすべて記録し、自分がどのようなコミュニケーションを取っているのかを分析する、ということをトレーニングの一環として行います。
>
>コーチングでもトレーニングの一環としてコーチ、クライエント、オブザーバーの役割を交代で行ってコミュニケーションの取り方について評価・フィードバックすることも行います。オブザーバーは記録を取りながら物事を客観視する時間なので他者のやり取りを見るいい機会になります。

これについてはあまり専門的な話になっても何なんですが、ビデオで撮ったり記録して確認したから客観的であるというのには疑問です。そのような方法で確認できる非言語情報の中でも比較的意図的なものは確かに確認できるでしょうけれど、無意識的な非言語情報の読み取りは観察者の資質が問われます。

観察者が他人の無意識を読み取る際に人間がコミュニケーションにおいて利用するパターン認識の手順として、まず自分のパーソナリティーの中にあるペルソナを相手に投影して重ね合わせるということをします。そして相手の表す言動や微妙な表情がその自分のパーソナリティーの中にあるペルソナと一致した場合に、初めて被観察者の無意識で動いているペルソナを観測可能になるのです。

このことは逆に言うと、観察者の自我に統合されていないペルソナに該当する対象は正確に観測できないということです。ですから例えビデオで録画して後から観察したとしても、その観察者のパーソナリティーの人格統合状態が進んでいなければ投影されるべきペルソナが見つからず十分な客観的観察が出来たとは言えないと思います。

これは自閉症者が定型発達者の心の理論を理解出来ないのと同じように定型発達者も自閉症者の心の理論を正確に理解出来ない場合が多いということからも言えると思います。観察者の多くが定型発達者である以上、秋桜様のような方でないと自閉症者の心理的観察を正確に行えるとは言い切れないと思います。

以下は観察に対する直接の説明ではありませんが、これに共通するところがあります。

http://www.hakomi.net/course.html

以下引用
「良いセラピストの最大の条件は、自己のパーソナリティーの統合が進んでいることです。技法よりもセラピストのパーソナリティーの方がはるかに重要だという研究を、ハコミ創始者のロン・クルツは紹介しました。この点については、アメリカ心理学会も同様の研究結果を発表しています。」

長くなって申し訳ありません。僕もここでこのような議論がしたいわけではないのですが、僕の本来の意図とは違った解釈で受け取られると書き込んだもの自体が無駄になってしまうので説明させていただきました。
秋桜様から頂いたご忠告に関してはこれ以上お答えすることもないと思いますし、ssさんから何かお返事を頂かない限りは返信をすることもないと思います。

Ryu

[#22690] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する
 Ryu メールホームページ  - 07/11/1(木) 0:38 -

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   ▼結さん:

はじめまして。
補足コメントありがとうございます。

言いたかったことは、まさに結さんが書いてくださった通りです。
説明がやたらと長くなったので書くのに時間がかかってしまい、結さんが簡潔にまとめてくださった書き込みに追い越されてしまいました。

>私もふっと、例えば相手の人のプライベートな情報とか、強い負の思いとか、わかってしまうことがあります。(どうやってわかるのか、自分ではわかりません。)今はある程度カットできますが、あまり楽しいものではないです。
>
>カナータイプでは珍しくないのは知っていたけど、高機能でそういう人が他にもにいないかなと思っていました。それをとても平易な文章で考察と共に書かれていて、私には共感するところも多く、嬉しかったです。

同じような感じ方をされる方に伝わって良かったです。書いたかいがありました。
ありがとうございます。

Ryu

[#22691] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する
 めえめえ  - 07/11/1(木) 8:37 -

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   ▼結さん:
横から失礼します。私は別に研究者でもなんでもないですが、
Ryuさんの説は、どうもすんなりとは納得できません。

>これは仮説の域を出ていませんが(というか科学では意識というものさえ正確に定義されていないし、できない。何故なら言葉で言い表されることのない無意識を客観的に観測することは現段階で不可能だから。)、自閉症の人の傾向として意識よりも無意識に動かされる傾向があると思います。

確かに、自閉症スペクトラムのひとの中には、抽出能力が処理能力より
相対的に高く、情報がオーバーフローしがちなひともいるとは思います。

しかし、前のレスでは敢えてコメントしませんでしたが、実は
・情報の抽出の段階でサインの読み違い、
・情報を処理する段階で異なったパターンへの結びつけ、
のどちらか、あるいは二重の誤認知の可能性は常にありますよね?

たとえば、二次会を断るときの例のように、
「こうなったらああなって、きっとこう思われるだろう」と
先読みできてしまう、といった現象も、
・実は過去似たような状況での誤認知があった、
・過去の体験に対する誤まった結びつけによる誤まった予測、
・または不安から状況を回避しようとする迂回思考パターン、
などの思い込みが先行してるだけで、
実は相手はそれほど他人=私のことなど気にしてなかった、
という可能性もありますよね?
世の中は、やはりかなり”いい加減”な部分があるのですから。

他に、観測や検証可能な方法があるのに、直感的で再現不可能な特質を、
”相手の””無意識”という二重のブラック・ボックスを持ち出してまで、
説明する必要があるのか?と、個人的にはかなり疑問です。
自閉症の人の傾向として、<定義も観測もできない>意識よりも
<定義も観測もできない>無意識に動かされる傾向がある、かどうかは
(Ryuさんご自身認められてるように)検証が不能ですから。

ssさんの場合「他人の気持ちがわかってしまう(ような気がする)」
というところ自体がASの基準を満たすかという問題では実はなくて、
ssさん独特な理路整然さ(でも世間はそんなに秩序立ってない)、
0か10かという極端な二者択一思考(妥協のできない堅苦しさ)、
といった点が、社会性を阻害している、即ちASっぽい生き難さと
なっているのではないか、と思います。

[#22696] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する
 ss ホームページ  - 07/11/1(木) 12:14 -

引用なし
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   ▼めえめえさん:
>▼ssさん:
>▼明子さん
>横から失礼します。
>ごめんなさい、最初の発言特に2.の方で、何を求めてらっしゃるのか
>わからなくてコメントを差し控えておりましたが、
>
>> しかし、自分は「出来て」いるんだろうか。見た目には自分と人の「出来る」は同じように見えても、その構造が全然違うのではないかという疑問もあります。
>
>『あなたがあなたであるために―自分らしく生きるための
> アスペルガー症候群ガイド』(吉田友子著、ローナ・ウイング監修)
>という本に、人の顔や状況を認知する際に、アスペのひとと、
>そうでないひとと、働く脳の部位が違う、という写真が載っていました。
>
>この説明は私にとってすごくわかりやすいものでした。
>私自身、ひとの顔色を読んだり、雰囲気に合わせることが一応できてる?
>と自認はしていますが、理解のしかた、周囲に合わせて行動するための努力
>のしかた、というのは、独特の回り道をしているので。
>(たとえばいったん”知識”や”基準”を言語化して、そこを通って
> あるいは参照して理解しないと納得できない、など)
>

めえめえさんご回答有難うございます。

 この本は前にインターネットで買って持っています。脳の使う場所がマイノリティだという事は、あまり自分では意識した事も無いし、読んでいてピンと来るとこではありませんでした。自分は確定診断は受けていないけど、確定診断はより科学的に脳の事なんかを調べてASかどうかを検証してくれるらしいですね。
 それを受ければ、はっきりしそうですが、多少高くてもすぐ受けられるなら受けたいですが、自分の県の発達障害支援センターは18歳未満の人のASの診断に限るらしく、また他県の専門の病院は年単位で診断待ちらしいという事で断念してます。

>ssさんは客観的なデータや、厳密な定義あるいは分類にこだわりを
>感じるタイプの方のようですが、
>人間の行動も特性も、かなり基準があいまいなものだと理解した方が
>けっこう当っているように思います。
>あいまいということは、よく言えば許容範囲が広いということなので、
>多少、変人でも受け容れてもらえる可能性も高いと思うと気が楽です。

 もっといい加減になるべきだと思います。なぜいい加減になれないのかと考えると、自分が無いからだと思います。いい加減になれるのは、自分が何なのか見えていて、確かな物が何かわかっているから、それに影響の無い事に関してはどうでも良いという風になれるんだろうと思います。その確かなものがないと、どこまで譲っていいかわからないと思います。ASが自分を知る手がかりになるかも知れないので、慎重にそれについて自分と照らし合わせているという感じです。

[#22698] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する
 ss ホームページ  - 07/11/1(木) 12:43 -

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   ▼明子さん、ご回答有難うございます。

 これ以上頑張らなくて良いという意見ありがとうございます。たいへん助かります。

 病院に行った時、頑張らなくて良いという風な話している時に先生が「無理をして出来ない事が出来るようになる人はいない」と言い、自分が「そうすると人生に努力はいらない事になるんじゃないか」と言いました。そこで話は変わりました。

 「辛いけど頑張るから成長する」という大前提から抜けるというのは、かなり慎重にならなければいけないと思います。どれくらい頑張ってるかは、本人にしかわからないので、自分が審査するしかないと思います。

 何が苦しいのか、ASの事と照らし合わせてもっと考えてみたいと思います。

 どうもありがとうございました。

[#22699] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する
 ss ホームページ  - 07/11/1(木) 12:56 -

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   ▼T.Tさん:
>一概にどうという事は言えませんが、わたしの場合、身内から、ASの症状を指摘され、自閉症・発達障害支援センターと病院に行って、ASがわかったので、ASは、自分では、簡単にはわからないものなのかなと思いましたよ。私は、身内にASの事を聞き、パソコンで、ASの症状を詳しく調べ、殆どの症状を持っていたので、センターと病院に行きました。また、病院は科学的に、きちんと結果が出るので、ASと言われれば、私は、素直にそれを受け入れています。それは、きちんと受け入れ、これから先、自分なりに、ASを持っていても、対処して、過ごしやすくなれば、その方がいいと思うし、身内や周囲の人達に、理解・協力もしてもらって、、また、センターや病院でサポートしてもらいながら、いろいろ考え、対処しながら生きていく方が、私の精神的にも、家族達の精神的にも、いいと思うからです。また、ASを持つから、怠け者という事ではないと思います。私も、働いた経験がありますし、主婦業の経験もありますし、今も、家事もしますよ。
> また、私に、とっては、ASを受け入れ、これから先、対処しながら、生きていく事は、大切な事だし、周囲の人達にとっても、その方がいいと思っています。
> ASと診断されたら、まず、第一に受け入れる事だと思います。


 T.Tさん ご回答どうもありがとうございます。

 自分が病院に行った時は、初診の時に二時間くらいか話をして、アスペルガー症候群の傾向がありそうだと言われて、またその時に自分はアスペルガー症候群の事を知っていて、内心そうなんじゃないかと思いながら行ったので、ずいぶん簡単だなと思いました。その後知能検査を受けてその結果を踏まえて、やはり軽度のアスペルガー症候群だという流れでした。
 科学的な事は何もなかったので、受け入れにくいかもしれないと思います。ネットで見たら確定診断というものがあって、それはかなり詳しくやってくれるみたいなので、それだったら自分も受け入れやすいのかもしれません。もう少し確定診断について調べてみたいと思います。

 ありがとうございました。
 

[#22700] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する
 ss ホームページ  - 07/11/1(木) 13:29 -

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   ▼結さん ご回答ありがとうございます。

>ただ、SSさんの「多数派の人は非論理的で理解困難な振る舞いをする」という捉え方(違っていたらごめんなさい)は、私も同感な方です。
>そして「対人用の仮面で対応もできるが、疲弊するし長くは困難」というところも、わかる気がします。
>ペンギンクラブさんのHPではこう表現されています。「知識的に習得した行動や会話のモデルやパターンを憑依的に模倣」。
>
>この二つは、私の先生に言わせるとやはりAS的なのだそうです。

 「知識的に習得した行動や会話のモデルやパターンを憑依的に模倣」と言う言葉は少しピンと来ました。とても親近感が沸きました。これがAS的なら自分もAS的だなと思いました。パッとその特徴を掴んで真似するという事が得意な気がします。

>一方、自閉症の特徴で、発信者が“隠しているつもり” の本当の気持ちや性格を敏感に知覚してしまうという人もいます。
>中枢統合機能の障害(情報の取捨選択の障害)によって、脳にすべての情報が無差別に取り込まれていることで返って知りえてしまうのではと自分では考えています。
>もしSSさんが「見抜け」てしまう人だったとして、目の前で楽しんでいる“振り”をしている人がいたら――

 「相手が隠している気持ちや性格を知覚してしまう」という事に関しては、
よくわかりません。敏感なのか臆病なのか、気を遣って疲れるという事はあると思います。一人相撲している事はあります。人より敏感に感じ取っているかもしれません。
 

>つくづく思うのは、
>「最初から持っていない物を、失われていると実感することはできない。」
>自分の対処や思考方法が一般的かどうかは、他人の脳を借りて体験ができない以上、それは不可知であると。
>それでも、外側の枠として認知していくことはできる。
>(ドラマである人が泣いている理由が「わからな」くても、理由を「知る」ことはできる、みたいな意味です。)
>
>なので、自分の脳の特性と、多数派のものの考え方、その違いを学んでみる、というのはどうでしょうか。
>敵を知り、己を知らば、百戦危うからずとも云います。(私は万事危ういですが。)

 自分が何が苦しいのかと、ASの特徴と照らし合わせて考えたいと思います。
 
 ありがとうございました。

 

[#22701] 科学とはなにか?
 Ryu メールホームページ  - 07/11/1(木) 13:37 -

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   ▼めえめえさん:

初めまして。
あまりこちらでは議論する気はないのですが、質問にお答えしないと誤解されたままになってしまいますのでお答えします。

>・情報の抽出の段階でサインの読み違い、
>・情報を処理する段階で異なったパターンへの結びつけ、
>のどちらか、あるいは二重の誤認知の可能性は常にありますよね?

人間の認知処理方法として大きく分けてアナログ(類推処理)とデジタル(符号処理)の二通りがありますが、デジタルの符号化よりも先にアナログによる分類が行われるのです。例えば目の前に紙コップと陶器の茶碗、ガラスの花瓶があるとします。それらは全く別のものですが、人間はそれを全体的に捉え、何かを容れられる可能性のある容器であると分類することができます。しかしデジタルのコンピュータにとってはそのような分析的に捉えられない抽象的な括りで分類することは難しいので、それぞれに名称を付けて(符号化して)記憶するのです。ここでもし例えば鉄の急須が目の前に現れたとき、人間はそれが容れ物であることを類推できますが、コンピュータは名前と分類を教えてもらわなければ認識できないのです。

人間はこのようなアナログ処理とデジタル処理を組み合わせながら日常生活を送っていますが、もちろんコミュニケーションにおいてもそれが行われています。

ここで僕が言っている無意識情報の伝達とは、コミュニケーションにおいて相手の表情やしぐさなどの微妙な相違を個別の部分として分析的(アナリスティック)に捉えるのではなく、全体的(ホリスティック)に類推的(アナロジカル)に読み取るというレベルの意味で使っています。分析的にというのは、例えば口角が少しあがったから笑っていると判断するといったもので、全体的にというのは、言葉では言い尽くせないほどの多様な特徴の変化、またそれらの変化の推移というダイナミックな特徴をパターンとして捉えるということです。

分析的に捉える場合は自ずと情報数が限られてしまいますが、全体的に捉える場合には無限に近い情報数の中で一致性を判断するわけですから、認知の妥当性も格段に上がってきます。これは何も自閉症の人達だけが行っているというわけではなく、普通の人ももちろん行っていることです。問題はその情報をどこまで重視するかという違いにあるのです。その重視する度合いが定型発達者と自閉症者の間で違いがあるので、認識の違いが生まれてしまうのです。

定型発達者の場合にはある程度相手の下心や思惑が見え隠れするのを感じても、それを無視して言葉を取り上げ、相手の意志として受け取ることができます。もし言葉で表明した意志と違う結果がもたらされたならば、「言ったことと違うじゃないか!」と言って非難することもできるからです。
しかし自閉症者の場合はその些細な下心や思惑を、定型発達者が認識する以上に重要なものとして捉えてしまう傾向があると思います。しかしそれでは日常生活に支障をきたすことが多いので、最初は意識的に、また次第に慣習的にその無意識情報を無視しようとしてしまう人が多いのです。これは僕の場合がそうでした。

そして意識的に無視するようになってしまうと、その程度を調節するということが難しいのです。もともと自分の感覚として持っていない文化に合わせようとする場合、例えば「普通の人はそんな些細なことは気にしないから」と言われれば全く気にしないか気にするかのどちらか一方の極端な理解になってしまいがちなのです。
そして全く気にしないようにするのが慣習化されてしまうというのが、過適応の状態になるのです。

>0か10かという極端な二者択一思考(妥協のできない堅苦しさ)、
>といった点が、社会性を阻害している、即ちASっぽい生き難さと
>なっているのではないか、と思います。

この過適応状態のことをめえめえさんは上記のように表現されているのだと思いますが、これはASの本来の特性とは言えず、むしろ二次障害だと考えています。

>たとえば、二次会を断るときの例のように、
>「こうなったらああなって、きっとこう思われるだろう」と
>先読みできてしまう、といった現象も、
>・実は過去似たような状況での誤認知があった、
>・過去の体験に対する誤まった結びつけによる誤まった予測、
>・または不安から状況を回避しようとする迂回思考パターン、
>などの思い込みが先行してるだけで、
>実は相手はそれほど他人=私のことなど気にしてなかった、
>という可能性もありますよね?
>世の中は、やはりかなり”いい加減”な部分があるのですから。

ですから上記の例でめえめえさんが仰られている読み取りという言葉は、違うレベルのお話だと推察します。
”時系列的に並べられた一連の体験の帰結”として既にその記憶についてネガティブな価値判断が行われ定着してしまっている、いわばトラウマのようなものに判断が影響されてしまっている状態だと思います。その場合はめえめえさんの仰るとおり確かにその記憶に纏わる判断を誤ってしまうことがあると思いますが、それはアスペルガーや自閉症の本質的特徴により起因するものではないと思います。

一つ極端な例を挙げると、例えば普通の人でも振り込み詐欺の被害に遭われることがあると思います。これは自分の血縁者が実際には言われているような行為をしていないにもかかわらず、強迫的に植え付けられた認識によってもしかしたらその血縁者がしたのではないか、という誤った判断をしてしまうからです。
極端な例とは言いましたが、実際にめえめえさんの仰るような偏った判断を自閉症者がしてしまう場合は、この振り込め詐欺の被害者の心境と同じような強迫的記憶に囚われている場合が多いのではないかと思います。

>他に、観測や検証可能な方法があるのに、直感的で再現不可能な特質を、
>”相手の””無意識”という二重のブラック・ボックスを持ち出してまで、
>説明する必要があるのか?と、個人的にはかなり疑問です。

前述した中で僕の言ったレベルでの観測については、今後ミラーニューロンの機能に関する研究が示唆することはあるかもしれませんが、残念ながら他に検証可能な方法が現在のところないと思います。しかしもしこれらの影響について検証できないからという理由で考慮しないとしたら、それはあまりにも前時代的な行動主義的で、人間の心を無いものとして扱うといった態度に値します。アカデミックな場所ではそういうことに無頓着な学者達が好き勝手なことを言う場合があるかもしれませんが、実際に臨床に携わっている方達の中にはそのように割り切れない人達も多いと思います。

僕が言いたいのは、「あなたが恋人に恋をしたのは、遺伝的要因と環境によって決定されたからだ」と言われてそれこそすんなり納得できるでしょうか? そうだとしたらどんな遺伝的要因とどんな環境が組み合わさって恋に落ちたのか科学的に検証可能なのでしょうか? ということです。

そしてもう一つの問題は、一方で定型発達者の社会が科学という名の下で自閉症者(特にボーダーにいるアスペルガー)に対し理路整然と厳格な診断基準を押しつけて分断しようとするのに、他方で自閉症者にとっては極めて重要な無意識の働きを無いものとして扱い、それらを社会のいい加減さや曖昧さとして片付けられてしまうのはフェアではないと思います。

これは文明の利器を駆使して新大陸を発見した開拓者が自然と調和しながら暮らしている原住民を見て「あいつらは自分たちの言葉(科学)が話せないので野蛮な人種だ」として片付けようとしてしまうのと同じではないかと思うのです。

科学は文字通り”分科の学問”なので、分析的な捉え方は得意ですが全体的な捉え方が出来ないことに問題があります。人間はアナログとデジタル、両方の目を開けて真実を見分けなければならないのに、お互いに片目をつぶったまま議論することに何の意味があるのでしょうか?

重要なことだと思ったのでつい長くなってしまいました。
お気を悪くされたら申し訳ないですが、僕の意見としてお受け取りください。

Ryu

[#22704] Re:興味の方向
 めえめえ  - 07/11/1(木) 21:56 -

引用なし
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   ▼Ryuさん:

>お気を悪くされたら申し訳ないですが、僕の意見としてお受け取りください。

わかりました。別に気を悪くなんかしてません。
一方的なコミュニケーションはASの特性ですし(w

>ですから上記の例でめえめえさんが仰られている読み取りという言葉は、違うレベルのお話だと推察します。
>”時系列的に並べられた一連の体験の帰結”として既にその記憶についてネガティブな価値判断が行われ定着してしまっている、いわばトラウマのようなものに判断が影響されてしまっている状態だと思います。その場合はめえめえさんの仰るとおり確かにその記憶に纏わる判断を誤ってしまうことがあると思いますが、それはアスペルガーや自閉症の本質的特徴により起因するものではないと思います。

そう仰られてもなァ…違うんだよなァ…深読みし過ぎです。
私は単純に、自分の中で勝手に「相手はこういう存在だ」から、
「きっとこうしてほしいのだ」とか、”俺ルール”を作ってしまって、
後々になって、そもそもその前提が違ってた!とか、他のひとに
サッパリ理解されない等、自分の一方的なカン違いや無駄な深読みから
人間関係の原点でつまづいたことがけっこうあったのです。
Ryuさんは多分、そういう誤認知がなかったのでしょうね。

>(前略)他方で自閉症者にとっては極めて重要な無意識の働きを無いものとして扱い、それらを社会のいい加減さや曖昧さとして片付けられてしまうのはフェアではないと思います。

「無意識の働き」を「極めて重要」と捉えてらっしゃるのは、
Ryuさんで、自閉症者の「一部」でしかないですよね。
あまり勝手に一般化しないでほしいです。

Ryuさんと私とでは、恐らく興味の方向が違うのだと思います。
私は「なぜ?」「どのように?」自分の脳ミソが他のひとと違うのか
ということには、実は興味ありません。
私が興味あるのは、「どうしたら違うタイプの脳のひとに伝わるか?」
即ち”発信”のコントロールを、どう自分が行うかということです。
なぜなら、家族や周囲のひととコミュニケーションがとれないと
生活していけないからです。
ではでは

[#22709] Re:興味の方向
 POLINECIA  - 07/11/2(金) 8:22 -

引用なし
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   一介の当事者であるPOLINECIAと申します。
非常に面白い話を拝聴させていただきました

一点だけ。。。

▼めえめえさん:

>「無意識の働き」を「極めて重要」と捉えてらっしゃるのは、
>Ryuさんで、自閉症者の「一部」でしかないですよね。
>あまり勝手に一般化しないでほしいです。

自閉人の心や認識もまた多様である、
心や認識の記述には正しさを決める決定的尺度が存在しない
という意味でならばそれは正しいかと存じます。

ところで、以下のような記述は一般化とは言えないのでしょうか?

>一方的なコミュニケーションはASの特性ですし(w

[#22710] Re:興味の方向
 めえめえ  - 07/11/2(金) 8:33 -

引用なし
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   ▼POLINECIAさん:
>ところで、以下のような記述は一般化とは言えないのでしょうか?

そうですね。矛盾していましたね。
失礼しました>Ryuさん、POLINECIAさん

[#22711] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する
 めえめえ  - 07/11/2(金) 9:55 -

引用なし
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   ▼ssさん:
> もっといい加減になるべきだと思います。なぜいい加減になれないのかと考えると、自分が無いからだと思います。いい加減になれるのは、自分が何なのか見えていて、確かな物が何かわかっているから、それに影響の無い事に関してはどうでも良いという風になれるんだろうと思います。その確かなものがないと、どこまで譲っていいかわからないと思います。ASが自分を知る手がかりになるかも知れないので、慎重にそれについて自分と照らし合わせているという感じです。

ssさんはご自分についてかなり分析ができてらっしゃるように思います。
言い換えれば、ssさんはかなりご自分を客観視できる特長がある
とポジティブに捉えられます。
また、理路整然とした論理を好む、という特長は、仕事でトラブったとき
に出すと確かに言い訳と捉えられますが、言い換えれば理性的で、
生真面目で、信頼できるともいえますね。
ご自分生来の持ち味というものも、TPOによっては欠点にもなるし、
長所にもなり得るのです。

怠けか、発達障害の特性か、というようなことについては、
100%どっちがどっちということはないと思います。
確定診断を受けてもそれが言い訳になるわけでもないし。
でも、ご自分の特徴を知ることは、今後おおいに役立つことと思います。
結さんのおっしゃるとおり、
「敵を知り、己を知らば、百戦危うからず」
ですから。

もう一点だけ。
私にとって「敵を知る」ための手掛かりは、定型と言われる人びとを
よく観察することでした。

たとえば、働いてたとき、職場の女性が集まって一緒に昼ご飯を食べて
いて、最初誘っていただいたので一緒にランチを食べてました。
そういう暗黙のルールだと思ったからです。
でも、それこそssさんのおっしゃるように、みんなが世間話で笑ってる
とき、一緒に顔は笑ってても、内心、なんか意味ない、と思ってました。
だんだんとランチで仮面をつけてるのが苦痛になってきたのですが、
そう思って改めてよく周囲を観察してみますと、他にも
「持参した音楽テープを聴きたい」とか「早く食べてスポーツしたい」
など、理由はあるけどひとりでランチを食べてる人もいることに気付き、
別に暗黙のルールじゃなかったんだと判明しました。
それから、理由をつけてはちょくちょく抜け、徐々にひとりで食事を
するようにしたら、意外にも(笑)それで通ってしまったのです。

世の中、あるいは人間ってもんがどの程度いい加減なのか、
定型といわれる人々をよく観察してみるのもひとつの手ですね。
意外に、ssさんみたいに真面目に「みんなが笑うときは笑う」とか
義務感を持ってたり、確固とした自己像を探り持ってるひとは少数派で、
「自分がしたいことをする」だけのひとも多いように思いますよ。
ご自分の義務感やこだわりから、徐々にご自分を解放する目安に
なるかもしれません。

[#22717] Re:興味の方向
 Ryu メールホームページ  - 07/11/2(金) 18:52 -

引用なし
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   ▼めえめえさん:

返信ありがとうございます。

>そう仰られてもなァ…違うんだよなァ…深読みし過ぎです。
>私は単純に、自分の中で勝手に「相手はこういう存在だ」から、
>「きっとこうしてほしいのだ」とか、”俺ルール”を作ってしまって、
>後々になって、そもそもその前提が違ってた!とか、他のひとに
>サッパリ理解されない等、自分の一方的なカン違いや無駄な深読みから
>人間関係の原点でつまづいたことがけっこうあったのです。
>Ryuさんは多分、そういう誤認知がなかったのでしょうね。

ああ、確かにそうですね。二次会の例はssさんが他の方にされた返信を全部読んでなかったので、めえめえさんが引用した部分のみで判断してしまいました。

>>>▼ssさん:
>>>「俺が本当の俺を気を抜いて出してしまったら、全体の流れというものを壊す俺に対し、迷惑を感じ、直さない俺に対し最後には態度には出さずともうっとうしいと感じるのはあなたではないか」

これに似たような深読みと思いこみによるシミュレーションをぐるぐると繰り返してしまう傾向は僕にもあります。今ここでも僕にそういう思いこみによる誤認知があるということを体現してしまいましたね。申し訳ないです。でも掲示板は言葉だけだから難しいですけど、普段はこれでもだいぶ良くなったんです。大目に見ていただけるとありがたいです。

これはやっぱり白昼夢のように色々なことをシミュレーションして考えてしまう自閉症の特性なのかもしれませんね。たしかテンプル・グランディンさんもそのようなことを言っていたと思います。これを上手く使えば彼女のように設計に生かしたりして才能になるのですが、対人関係で使ってしまうと深読みに繋がってしまうのでしょうね。

以下は、めえめえさんには興味の無いことかもしれませんが、書いてしまった手前説明しておきます。ご興味がなければ読み流してくださって構いません。

>>(前略)他方で自閉症者にとっては極めて重要な無意識の働きを無いものとして扱い、それらを社会のいい加減さや曖昧さとして片付けられてしまうのはフェアではないと思います。
>
>「無意識の働き」を「極めて重要」と捉えてらっしゃるのは、
>Ryuさんで、自閉症者の「一部」でしかないですよね。
>あまり勝手に一般化しないでほしいです。

僕が自閉症者にとって無意識の働きが重要であると一般化して言ったのは、それは自閉症の定義を語る上で「心の理論」という概念が一般的になっているという暗黙の了解があると思ったからです。もしその了解が得られていなかったのなら失礼しました。お断りするべきだったかもしれません。しかし実際に自閉症が他の精神遅延や疾患と明確に区別される根拠としてはかなり一般的だと思います。

そしてこの”自閉症”の”心の理論”という二重のブラックボックスを最初に説明に持ち出したのも、僕ではなく定型発達者である学者達です。そして”心の理論”と銘打ってそのブラックボックスに学者自ら踏み込んだからには、意識はもちろんのこと特に規定しない限り無意識だって扱われて当然です。どちらにしろ心や意識の定義が明確に規定され検証されていない限り、本来ならそれは何ら科学的根拠も無いはずなのですが。

更に学者達がその二重のブラックボックスをもってして、自閉症者には心の理論が欠落していると言い出したから、僕はそれに対する体系的な反論を論文という形式に則って論理的に行っているに過ぎません。そして定型発達者と同じような心の理論は持っていないかもしれないけど、また別の心の理論が存在する可能性をどうして考えないのか? という問題提起を同時に行っているのです。

学者達が心の理論を使って自閉症の心に焦点を当てている以上、自閉症者にとっても心の問題が重要であることは言うまでもありません。何故なら多くの自閉症者は(僕も含めて)言語による心の表現、意思の伝達が苦手であるので、正確に意志の表明ができないからと言って心が無い(考えが欠落している)ものとして扱うのは自閉症者に一方的な不利益を与える可能性があるからです。

これは自閉症者本人がそのように意志を表明しているかどうかには関係がありません。刑事事件の被告人が法的知識の欠落から裁判において不利にならないようにという配慮から、国選弁護人の制度が設けられているのと同じ理由です。言語的、人数的に優位に立つ者が、そうでない者に対して一方的な論理で断じることはフェアな態度とは言えません。

別に僕は自閉症者全てに選ばれた代表でも弁護人でもありませんが、自分の意志を明確に表現できない可能性のある者が多くを占める集団に対しては、そもそも心の理論が欠落しているという嫌疑がかけられること自体が不公平です。だから開拓者と原住民の例を出したのですが、これは科学というよりもむしろ医学倫理の話だと思います。臨死体験から復帰した人の存在が限られた少数であれ確認されているのに、それを無いものとして脳死を人間の死と判断していいのかどうか、という問題と似ています。

投稿の趣旨とは離れてしまいスレ主さんにも申し訳ないですが、お付き合いいただきありがとうございました。

Ryu

[#22718] Re:興味の方向
 めえめえ  - 07/11/2(金) 22:36 -

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   ▼Ryuさん:

なるほど、Ryuさんのおっしゃることが少し理解できました。
丁寧に教えていただき、ありがとうございます。

> そして定型発達者と同じような心の理論は持っていないかもしれないけど、また別の心の理論が存在する可能性をどうして考えないのか? 


こういう取り組みは面白そうですね。
ぜひ色々な当事者にやっていただきたいです^^

もっとも、「心の理論」そのものについて個人的には、非自閉者が
自閉者の認知が「異なっている」ということを説明するのに便利なので
使ってるだけだろう、と思っています。
問題の解決に役立つとも思えないし、まさにブラック・ボックスですもの。
(善悪という価値判断の色が濃い「心の闇」よりはニュートラルかな?と)

[#22730] めえめえさんへ
   - 07/11/4(日) 0:12 -

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   はじめまして。
普通私はお返事したらおかしいのだろうかとずっと考えていたのですが、失礼だといけないのでやっぱり書きます。・・でもほとんど繰り返しなので、お読みにならないでも全然大丈夫です。

戻ってしまいますが、、最初のお話では
(めえめえさんのいう状況(将来予測時)と方法では、選択的に意識が働くので、誤った出力が生じやすい、ということで、
Ryuさんのいう状況(相手側の隠された心理の感知)と方法では、情報処理に意識や意図が介在せず、入力されたデータが非選択的にフル稼働されるので、精度が上がります、ということで、)
対象としている状況から違っていて、どちらのお話ももっともなことなのでしたね。

そうですね、きっとどちらも大事です。
そしてひとりひとりにとっての大事なことは、それぞれ違うのだから、有意義なことは多く共有できた方がいいし、小さな誤解でそれがなくなってしまうのは私は悲しかったのでした。

既成の理論なら他の所にも山ほどあって、定型のお医者さんのお話はどうしても外から見た類推になってしまうけれど、ここは当事者のダイレクトな内面世界がぎゅうぎゅうです。すごいことです。貴重です。

それに今ある理論は、今の時点での理論に過ぎないし、何事も「絶対」なんてないから。

そんな風に思っていました。

ゆうべから急に寒くなりました。あたたかくして過ごしましょう。
お返事ありがとうでした。
おやすみなさい。

[#22732] Re:結さんへ
 めえめえ  - 07/11/4(日) 9:25 -

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   ▼結さん:
お返事ありがとうございます。

>既成の理論なら他の所にも山ほどあって、定型のお医者さんのお話はどうしても外から見た類推になってしまうけれど、ここは当事者のダイレクトな内面世界がぎゅうぎゅうです。すごいことです。貴重です。

そうですね。私もそう思います。

結さんが知識的に習得したパターンで、という話を引用されてますが、
私は幼少期からこのやり方で適応してきたと思います。
しかし残念ながら、パターンの習得段階で「読み違い」からの誤認知、
さらに応用力が効かないことから、自分にとって不可解な事項を
無理矢理習得したいずれかのパターンに当てはめようとして誤認知、
という失敗を繰り返し、周囲を誤解したりずいぶん傷つけてしまいました。

その反省から、自分の認知能力をあまり信用しないよう、気をつけて
いるので、結さんのように自分の体感を素直に認められないのでしょう。
でも、確かにどちらも大切なことなんですよね。

>それに今ある理論は、今の時点での理論に過ぎないし、何事も「絶対」なんてないから。

そうですね。私も、今ある理論が「絶対」とは思っていません。
自閉者と非自閉者は、別の認知方法、内面世界(文化?)があると思う点
ではおそらく結さんとご同様だと思います。
お返事ありがとうございました。

[#22738] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する
 コロ メール  - 07/11/4(日) 16:27 -

引用なし
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   ▼ssさん:
こんにちは、ASの疑いを持っている者です。

僕はssさんと同じような思いで4年くらい前に前職を辞めて、今はタクシーの
運転手をしています。
タクシーの運転手というのは一人の時間が多く、ここ何年かずっと前職で仲良く
していた同僚との当時の会話(4年間分くらい)を繰り返し繰り返し、頭のなか
で再現していました。中学、高校の時に指摘されたことと照らし合わせながら、
じっくり考えました。
前職のときはその同僚と仲良くすることで頭がいっぱいで、その人の言うことに
対して、なんでもウンウンと同意していました。なんてことはないただの雑談ば
かりしていました。
しかし、今思うといろいろと忠告してくれていたように思えます。

ここで会話の流れについてどこまでが男女共通なのかはっきり分からないので、
男限定で話します。。
まず大前提なことは、学校のクラスを例にして話しますが、クラス全体はみんな
仲間であり、みんな情報交換をしているということです。
なぜか?それはクラスみんなが楽しく、円滑に事が進んでいくようにするためで
す。
まず、クラスが変わって最初に仲良くなった友達がいたとします。その人と
趣味や将来の夢についてなどの話をします。おそらくその人は同じ趣味を持った人
を探してくれるでしょう。そして将来の夢のことを、自分のほしい情報と交換に
他の人(Aとします)に教えるでしょう。そしてそのAは夢に関する情報をこちらに
教えてくれるでしょう。それと引き換えに何かもとめてくるはずです。それは
また別な人を通じてもとめてくるかもしれません。
こうやってみんなで助け合っていると思います。
ここで問題なのが、情報交換です。こっちが何かしてもらったら、相手の求めて
いることもしてあげなくてはなりません。
ここからが難しいのですが、男の会話は情報交換と気づかいで成り立っていて、
意味のない無駄な会話はありません。
相手が話しかけてくる場合、相手は他の人から聞いたこちらの情報をもとに、
こちらを肯定させる質問(こちらが喜ぶ質問)をしてくるはずです。
そしてその後で、「こうしたほうがいいよ」とか忠告をしてくれるはずです。
いきなり「こうしたほうがいいよ」では偉そうなやつになってしまって、こちら
に対して失礼だからです。だから最初に相手が喜ぶような質問をするのです。
それで±0になって貸し借りがなくなります。
そして相手がこちらに何か質問をしたいときは、まずこちらに否定させる質問を
してきます。こちらが否定すると、その後で「ではなぜ〜?」と質問をしてき
ます。こちらが否定するということは相手に対して失礼であり、相手が質問して
くるということはこちらに対してしつれいなことなので、±0になります。
これは最低限の礼儀です。
そして男は誰に聞かれてもいい話しか口にだしません!他の人の悪口をいうことは
絶対にありえません!
「A氏って嫌なやつだよね?」と質問されたら、必ず明確な理由がないのなら「い
いえ」と答えましょう。その後で「嫌いじゃないなら、なんで話さないの?」と
いう質問になります。A氏と話さなければならないので面倒だと思いますが、
「はい」と答えたらもっと面倒なことになります。
悪口はありえないと話しましたが、実際はありえます。仲間同士で他人の悪口を
言うときは、周りに人がいても、分からないように例え話で他の会話に置き換えて
かいわをします。悪口に限らず、第三者のことについて話すときは、すべて例え話
で会話をしています。
たとえばこちらにかわいい恋人がいるとします。友人は表向きはかわいくないと
言います。女性をかわいいというと「好きだ」ということになるからです。
そこで友人はこちらに好きな女性タレントを聞いてきます。
そして友人は恋人を女性タレントに置き換えて可愛いだの可愛くないだの言って
きます。それがその友人の本音です。でもASの人はそれが例え話だとは気づかずに
そのまんま女性タレントのことを言っていると思ってしますから、人の気持ちが
分からないということになってしまいます。

解りづらい文章ですいません。SSさんに限らず異論、反論がありましたら、
言ってください。

[#22746] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する
 ss ホームページ  - 07/11/5(月) 11:24 -

引用なし
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   コロさん、ご回答ありがとうございます。


>ここで問題なのが、情報交換です。こっちが何かしてもらったら、相手の求めて
>いることもしてあげなくてはなりません。
>ここからが難しいのですが、男の会話は情報交換と気づかいで成り立っていて、
>意味のない無駄な会話はありません。
>相手が話しかけてくる場合、相手は他の人から聞いたこちらの情報をもとに、
>こちらを肯定させる質問(こちらが喜ぶ質問)をしてくるはずです。
>そしてその後で、「こうしたほうがいいよ」とか忠告をしてくれるはずです。
>いきなり「こうしたほうがいいよ」では偉そうなやつになってしまって、こちら
>に対して失礼だからです。だから最初に相手が喜ぶような質問をするのです。
>それで±0になって貸し借りがなくなります。
>そして相手がこちらに何か質問をしたいときは、まずこちらに否定させる質問を
>してきます。こちらが否定すると、その後で「ではなぜ〜?」と質問をしてき
>ます。こちらが否定するということは相手に対して失礼であり、相手が質問して
>くるということはこちらに対してしつれいなことなので、±0になります。
>これは最低限の礼儀です。

 人と会話する時のルールを自分で見つけているんですね。たぶんみんなは意識しないでやっているのに、そういうルールに従う自分が窮屈だなと感じたりしませんか?自分はそう感じて、その場から離れようとしてしまいます。
 
 「ルールはわかっているけども、それはちょっとの間、頭から外しておいて、ちょっと騙されると思ってこちらのペースに合わせて話をしてもらえるか」と、ことわって、本当に思っている事を出した時に、切り捨てずに、ルールに縛られない答えが返って来る人がいるので、(そういう人はあまりいません)たまにそういう人に時間限定で思っている事を出したりします。そういう人はありがたいなと思います。
 
 病院の精神科医の先生は、こちらのペースに合わせて話をしてもらえるので快感です。一度診察を受けに行かれたらいいと思います。


>「A氏って嫌なやつだよね?」と質問されたら、必ず明確な理由がないのなら「い
>いえ」と答えましょう。その後で「嫌いじゃないなら、なんで話さないの?」と
>いう質問になります。A氏と話さなければならないので面倒だと思いますが、
>「はい」と答えたらもっと面倒なことになります。
>悪口はありえないと話しましたが、実際はありえます。仲間同士で他人の悪口を
>言うときは、周りに人がいても、分からないように例え話で他の会話に置き換えて
>かいわをします。悪口に限らず、第三者のことについて話すときは、すべて例え話
>で会話をしています。
>たとえばこちらにかわいい恋人がいるとします。友人は表向きはかわいくないと
>言います。女性をかわいいというと「好きだ」ということになるからです。
>そこで友人はこちらに好きな女性タレントを聞いてきます。
>そして友人は恋人を女性タレントに置き換えて可愛いだの可愛くないだの言って
>きます。それがその友人の本音です。でもASの人はそれが例え話だとは気づかずに
>そのまんま女性タレントのことを言っていると思ってしますから、人の気持ちが
>分からないということになってしまいます。


 色々とめんどくさいですね。自分はこれからはあまり無理をせずに合わせようと思っています。


 ご回答有難うございました。

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