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発達障害という名前を耳にするずっとまえから考えていました。
障がいを持って生まれてきたことで得られたもの、失われたもの。
障がいと診断されることによって得られたもの、失われたもの。
障がいを告知することによって得られるもの、失われるもの。
障がいを認め社会に順応を示すことによって得られるもの、失われるもの。
私は個人的見解から精神疾患を患ってきた9年間、精神障害者福祉手帳の交付を拒んできました。
最近しきりと手帳を申請するようにとアドバイスを下さります。
学校で社会で様々な不適応を示しながらも、ここ数年を除けばぎりぎり折り合いをつけてきました。
手帳を交付されることで選択肢が広がるのは周知の事実だと思ってきましたが、
社会情勢を鑑みるに、精神障がい者にとって現行の制度は必ずしもメリットがあるとは言い難い。
社会保障という観点ではなく経営側の利益に即した制度であり、且つ自分自身が経営側に立った際には間違いなく業務上の配慮を殆どしないと思います。
社会資源に接する機会がある度に「手帳は取得しないのですか?」と問われます。
そこには暗に「あなたは不適応を示しているのだから障がい者枠で勝負すべきだ」と門戸を狭められているような気がします。
社会に適応する努力をするということは、ノーマルになる努力を惜しまないということ。裏を返すと没個性化を薦めると言うこと。
多様性の容認。個性の時代と言われながらも学校制度・社会制度が示し続けているのは私の年代が子供の頃から培われてきたみんな一緒。普通への追求。
それによって失われるものは計り知れないと思います。
私は恥ずかしながらいい年して現在無職です。
何を言っても説得力もへったくれもありません。
ただ発達障害というマイノリティの立場で、且つ精神障害というマイノリティを持っている人間が多様性の容認も出来ず、具体的概念の存在しない『普通』という枠に固執してしまうのはとても勿体ないような気がしました。
もともと人間は違った個体であり、認めあえればそれでいい。
自分を認め、他人を認め。
ASだろうがADDだろうがLDだろうがそれ以前に人。
○○という障がいはこんな感じです。とは私の口からは安易に言えません。
ご自身の信念の元、啓蒙活動をなさっていらっしゃる方は尊敬します。
私はとある教育大付属の学校を普通科で卒業しました。
現在そこでは最先端の発達教育支援が実施されているそうです。
私は私の過去を振り返って、支援を受けられることが絶対的に良いことだとはやっぱり思えません。
今現在ですら、これから支援をして頂くことに関しても疑問に感じてしまっています。
まずは私自身がしっかりと社会生活を営んで行くことが当面の課題ですが、
当事者として、発達障害児の親の世代の立場として、どの様な行動を取り、
社会にどの様なことを投げかけていけばいいのか悩んでいます。
前置きが長くなりましたが、現在発達障害のお子さんがいらっしゃるご父兄の方は今後の支援のあり方、現状の問題点・不満点、改善して欲しい箇所等どの様に思っていらっしゃるのかお聞かせ頂ければと思いました。
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