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▼だいふくさん:
はじめまして。
多くの哺乳類では、顔や目を見続けるのは、敵意の表れです。人間でも「眼を付ける」というでしょう?
その一方、人間は顔の表情、特に目の周辺と目線方向で話者同士の感情や状態を感受(共感)しあうという特性があります。人間の眼球は、白目の部分があり目線や瞳孔の大きさ(関心がある場合は大きくなる)が見ている側から判りやすいですが、他の動物は同色で判りにくい。顔の表情筋も発達しています。
つまり、人間は他の哺乳類と同じ、見続ける=敵意という意味合いと、目を見ることで共感しあうという相反する二つの傾向があるようです。定型発達者同士の会話では、時々目を見ない、目線を切るようにしていると私は観察しています。
米国のファーストフードで、必ずお客の目を見て接客するよう指導・マニュアルを改訂したところ
女性店員と男性客では、男性客の多くが「女性店員が、自分に性的好意・関心を持っている」と解釈したそうです。逆のケース、男性店員と女性客の場合の約2倍、そのように解釈したそうです。その結果、女性店員が困る事態(ストカーなど)がおきたため、このファーストフードでは、”必ず”を外したそうです。
>目を見つめるのはよくないのですか?
良し悪しというよりも、目を見つめ”続ける”ことのコミュニケーションや相手との距離感をとる上での役割・意味合いを考えてはどうでしょうか?
私に場合は、一度、相手の顔から視線を外すと再び見る事が困難です。それで困っています。
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