アスペルガーの館の掲示板

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[#36081] ぱったり途絶えた興味。 ウォルフル 11/1/10(月) 3:06 [未読]
[#36082] Re:ぱったり途絶えた興味。 納豆 11/1/10(月) 9:03 [未読]
[#36096] Re:ぱったり途絶えた興味。 ウォルフル 11/1/11(火) 14:53 [未読]
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[#36085] Re:ぱったり途絶えた興味。 kororo 11/1/10(月) 15:45 [未読]
[#36097] Re:ぱったり途絶えた興味。 ウォルフル 11/1/11(火) 15:04 [未読]
[#36102] Re:ぱったり途絶えた興味。 kororo 11/1/12(水) 14:47 [未読]
[#36091] Re:ぱったり途絶えた興味。 タビー 11/1/10(月) 21:56 [未読]
[#36098] Re:ぱったり途絶えた興味。 ウォルフル 11/1/11(火) 15:22 [未読]
[#36101] Re:ぱったり途絶えた興味。 タビー 11/1/11(火) 17:53 [未読]
[#36110] [投稿者削除] [未読]
[#36119] Re:ぱったり途絶えた興味。 ウォルフル 11/1/14(金) 17:33 [未読]
[#36092] Re:ぱったり途絶えた興味。 乃絵 11/1/10(月) 22:36 [未読]
[#36099] Re:ぱったり途絶えた興味。 ウォルフル 11/1/11(火) 15:29 [未読]
[#36153] Re:ぱったり途絶えた興味。 乃絵 11/1/18(火) 23:53 [未読]
[#36106] Re:ぱったり途絶えた興味。 Olivia 11/1/12(水) 21:12 [未読]
[#36113] Re:ぱったり途絶えた興味。 sutera 11/1/14(金) 12:38 [未読]
[#36118] Re:ぱったり途絶えた興味。 ウォルフル 11/1/14(金) 17:25 [未読]
[#36120] Re:ぱったり途絶えた興味。 ウォルフル 11/1/14(金) 18:12 [未読]
[#36149] Re:ぱったり途絶えた興味。 Olivia 11/1/18(火) 11:53 [未読]
[#36167] Re:ぱったり途絶えた興味。 ウォルフル 11/1/21(金) 15:40 [未読]
[#36124] Re:ぱったり途絶えた興味。 かめらっぱ 11/1/15(土) 22:45 [未読]
[#36134] Re:ぱったり途絶えた興味。 ウォルフル 11/1/17(月) 0:47 [未読]
[#36164] Re:ぱったり途絶えた興味。 かめらっぱ 11/1/20(木) 22:03 [未読]

[#36081] ぱったり途絶えた興味。
 ウォルフル  - 11/1/10(月) 3:06 -

引用なし
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   みなさんの中で、ぱったり途絶えた興味(興味というか趣味というか)ってありませんか?実は私、二十歳くらいまで絵を描くことにあれほど熱中していたのですが、ここ数年まったくといっていいほど絵とは疎遠な関係になっています。理由を思い起こしても、そもそも疎遠になった切欠というものがまったく思い当たらずそのままこんにちまで至っています。 とはいうものの、院内のデイケアに通っていた頃、それまで描いた絵を音楽療法師さんとデイケアの先生に観てみたいと言われて見せたんです(欲しい!っていうんで二人にあげちゃいましたけど)。やはり私もそれまで絵の表現技術を磨くことに永い時間をかけて来ただけあって、褒められればやっぱり嬉しかったですし、その時は自分が誇らしかったです。しかし、こうした喜びもその場限りの一瞬の儚いものであって、この喜びも私が再び絵に対する衝動を持つまでは高まり得ませんでした。 主治医いわく、「あなたの才能をこのまま枯らしておくなんてもったいない、あなたが精神的な自立を果たす自信を取り戻すためにも、ここはひとつ、県展にでも出してみては?」とアドバイスされたのですが、描きたいとも思わないものを、また描きたいとも思いません。アスペがある日突然それまで興味をもっていたものに無関心になるってことあるのでしょうか?ちなみに、鬱はほぼ完治しているので、鬱が原因ではないですし、これは私が前述した通り、私が絵に興味を失った理由というものが私にはまったく分からないのです。

[#36082] Re:ぱったり途絶えた興味。
 納豆  - 11/1/10(月) 9:03 -

引用なし
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   ▼ウォルフルさん:
>みなさんの中で、ぱったり途絶えた興味(興味というか趣味というか)ってありませんか?実は私、二十歳くらいまで絵を描くことにあれほど熱中していたのですが、ここ数年まったくといっていいほど絵とは疎遠な関係になっています。理由を思い起こしても、そもそも疎遠になった切欠というものがまったく思い当たらずそのままこんにちまで至っています。 とはいうものの、院内のデイケアに通っていた頃、それまで描いた絵を音楽療法師さんとデイケアの先生に観てみたいと言われて見せたんです(欲しい!っていうんで二人にあげちゃいましたけど)。やはり私もそれまで絵の表現技術を磨くことに永い時間をかけて来ただけあって、褒められればやっぱり嬉しかったですし、その時は自分が誇らしかったです。しかし、こうした喜びもその場限りの一瞬の儚いものであって、この喜びも私が再び絵に対する衝動を持つまでは高まり得ませんでした。 主治医いわく、「あなたの才能をこのまま枯らしておくなんてもったいない、あなたが精神的な自立を果たす自信を取り戻すためにも、ここはひとつ、県展にでも出してみては?」とアドバイスされたのですが、描きたいとも思わないものを、また描きたいとも思いません。アスペがある日突然それまで興味をもっていたものに無関心になるってことあるのでしょうか?ちなみに、鬱はほぼ完治しているので、鬱が原因ではないですし、これは私が前述した通り、私が絵に興味を失った理由というものが私にはまったく分からないのです。
わたしの場合逆で
いままで音楽とかそういうの
は聞くことだと
思っていましたが。
逆にアスペルガーと知ってから
ピアノの練習に身が入り
どんどn上達して。
皮肉なことにいろんなコツをつかんだのも
これを知ってからでした
だから唯一よかったのは
アスペルガーだから
器用になんでもこなせる
ことです♪
ここは得した
ただソンしたことは「人とうまくやれなくて
」ってこと。

趣味は前よりも充実してます。

[#36085] Re:ぱったり途絶えた興味。
 kororo  - 11/1/10(月) 15:45 -

引用なし
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   私も興味がぱったり途絶えることがよくあります。
熱中すると年単位で続き、凝り症なので、人並み以上にはなるのですが、興味がなくなると全然やる気になりません。それまでにかけた時間とお金はどうなるの!?と自分でも思うのですが…
でも趣味は欠かしたことがなく、次から次に興味が生まれます。
そんな訳でそこそこできることはあるのですが、突出したものがないのが悩みです。

私はADHD要素も持っているのでそのせいかと思います。
ASとADHDは連続体なのでもしかしてウォルフルさんもそういう要素があるのかもしれませんね。

私の場合は部屋は片付かない、時間は遅れる、行きあたりばったり、気の向くままと生活の中でもADHD要素が強いです。

[#36091] Re:ぱったり途絶えた興味。
 タビー  - 11/1/10(月) 21:56 -

引用なし
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   あるある!ありますよ!
しかも私もウォルフルさんと同じく絵を描くことです。
ぱったり描かなくなるまでは、「私は絵を描くことが好きだし、このままずっと描いていくんだろうなぁ」と思っていたし、画材屋さんなんかにも足しげく通っていたんですけどねぇ…。今はもうぜんぜんです。
あの頃の情熱はいったいどこへ?みたいな。
で、代わりに縫い物とか突発的にやっているんですけど、絵を描いていた頃のような「継続してやっていくぞー!」的な気持ちにはならないですねぇ。
今はただ純粋に気分的なもので描きたくないだけで、そのうちまた描きたくなるのかは、自分でもまったくわかりません。

[#36092] Re:ぱったり途絶えた興味。
 乃絵  - 11/1/10(月) 22:36 -

引用なし
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   ▼ウォルフルさん:
>アスペがある日突然それまで興味をもっていたものに無関心になるってことあるのでしょうか?ちなみに、鬱はほぼ完治しているので、鬱が原因ではないですし、これは私が前述した通り、私が絵に興味を失った理由というものが私にはまったく分からないのです。

多分、ASの興味の持ち方というのは定型のそれよりも振幅が激しいのだろうと思います。
ある対象に興味を持っている間は寝ても覚めてもそのことばかり考えて他のことが全く手に付かない状態が続きますが、興味が薄れている時は「何でわたしあんなに夢中だったんだろ?」と思ってしまうほど醒めてしまっているというパターンがASの場合は多いのではないでしょうか。

わたしも一時期小説を書くのに2、3年ぐらい夢中になって会社の休み時間や通勤時間でも携帯を使ってチマチマと(しかも複数の話を同時進行で)書いていた時期があったのですが、今は全くそんな気力がありません(それどころか日本語の小説自体全く読まなくなってしまいました)。

ただ、一時期全く興味を失っていたものがある日突然やる気を取り戻すことはあります。そしてまた寝ても覚めてもそのことばかり考えてしまうのです。
定型の人だとバランス良く、コツコツと少しずつ続けることができるのでしょうがわたしにはどうも難しく、やる気がある間に全力投球するほうがうまくいくみたいです。

わたしは20年ぐらい英語を独学しているのですが、その間何年も勉強を休んでいた時期が何度かありましたので、正味の学習期間はその半分ぐらいかもしれません。全くやる気のない時期は英語ニュースをBGM的に聞き流して音の感覚を維持するだけにとどめています。

[#36096] Re:ぱったり途絶えた興味。
 ウォルフル  - 11/1/11(火) 14:53 -

引用なし
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   納豆さんこんにちは。
>わたしの場合逆で
>いままで音楽とかそういうの
>は聞くことだと
>思っていましたが。
>逆にアスペルガーと知ってから
>ピアノの練習に身が入り
>どんどん上達して。

納豆さんの仰るように、興味を持つ事は興味を失う事とは逆ですが、ASにとっては意外と1つの事柄を別々の視点から見た現象なのかもしれませんね。どっちにしたって少しだけ興味を持つとか、少しだけ興味を失うとかいった中間帯がなく、私が対象について完全に凝視(集中)しているか、さもなくば完全に対象を無視(忘却)しているかのいずれなのですから。まあ、凝視と無視のスイッチがいつどこでどういった原因がもとで切り替わるかは私にも不明ですが、ともかく私には対象について凄く関心があるかまったく関心がないかのいずれかである事には変わりないわけです。

納豆さんはピアノをおやりになられるんですね、私は、母が音楽教師をしていたためか、ピアノに親しみを感じる環境で成長しました。ですのでピアノに関しては腕に自信があります。ピアノというと、私はクラシックしか思い浮かびませんが、ピアニストにとって、そのピアニスト固有の個性を遺憾なく発揮できる自由度の高さ、という点では、どちらかというとショパンやリストなど、余り形式として厳格でない中期、後期のロマン派のピアノ曲が好まれます。納豆さんはどんな曲目を弾かれるのですか?アスペには独自の世界観を持った個性的な人が多いので、クラシックなら、曲想を自由に解釈して演奏出来るショパンやリストが合っているかもしれません。まあ、形式を重んじるウィーン古典派、わけてもその大成者であるベートーベェンの中期頃までの作品群といった、形式が理路整然としていて厳格であるがゆえに自分の個性を制御する術を身につけないととても弾きこなせない曲といったものも沢山ありますが、私はやっぱりベートーベェンなんかよりショパン等が好きです。

>皮肉なことにいろんなコツをつかんだのも
>これを知ってからでした
>だから唯一よかったのは
>アスペルガーだから
>器用になんでもこなせる
>ことです♪
>ここは得した
>ただソンしたことは「人とうまくやれなくて」ってこと。

>趣味は前よりも充実してます。

そうですね、私を絶望に陥れたのが自分の中のアスペルガー的要素だといえるならば、これまた不思議なことにそんな私を救ってくれたのも、私の中のアスペルガー的要素。私も趣味に没頭することで随分周囲の厭なことから開放される時間の恩恵を得てきましたし、いつもそこでまた頑張るぞ!って自分を奮い立たせて来ました。

[#36097] Re:ぱったり途絶えた興味。
 ウォルフル  - 11/1/11(火) 15:04 -

引用なし
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   kororoさんこんにちわ。
>私も興味がぱったり途絶えることがよくあります。
>熱中すると年単位で続き、凝り症なので、人並み以上にはなるのですが、興味がなくなると全然やる気になりません。それまでにかけた時間とお金はどうなるの!?と自分でも思うのですが…
>でも趣味は欠かしたことがなく、次から次に興味が生まれます。
>そんな訳でそこそこできることはあるのですが、突出したものがないのが悩みです。

興味がぱったり途絶えることって私だけじゃなかったのですね、私も数年単位で熱中&興醒めを繰り返しますが、絵だけは生まれてから20年近くも長続きしただけに、自分の中ではどうしてだろう、と訝って悩んでました。

>私はADHD要素も持っているのでそのせいかと思います。
>ASとADHDは連続体なのでもしかしてウォルフルさんもそういう要素があるのかもしれませんね。
>私の場合は部屋は片付かない、時間は遅れる、行きあたりばったり、気の向くままと生活の中でもADHD要素が強いです。

確かにありますね〜 私もkororoさんと同じく受診の動機がもともとADHDであることを疑ってのことだったのです。で、診断結果は見事ASでした。もちろん今でも私の中にはADHDの要素と定型の要素(私は不特定のASなので、非AS的な要素も部分的に持っています)も混じっているASの雑種?である事は少しも疑ってはいません。ですが、私の中のASとADHDの違い説明をするのって、発達障害の事を知れば知るほど難しい、ってのが今の現時点での率直な感想です。たとえば単なる風邪とインフルエンザって、現れる症状こそはとてもよく似ているのに、病理的な原因はまったく別物でしょう、それと同じ様に、「なぜぱったり興味が途絶えたのか」という問題提起に関しても、その原因がASによるものか、ADHDの原因によるものな、はてまたまったく別の原因によるものなのかがまるで判然としないところが沢山あります。

[#36098] Re:ぱったり途絶えた興味。
 ウォルフル  - 11/1/11(火) 15:22 -

引用なし
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   ダビーさんこんにちは。
>あるある!ありますよ!
>しかも私もウォルフルさんと同じく絵を描くことです。
>ぱったり描かなくなるまでは、「私は絵を描くことが好きだし、このままずっと描いていくんだろうなぁ」と思っていたし、画材屋さんなんかにも足しげく通っていたんですけどねぇ…。今はもうぜんぜんです。
>あの頃の情熱はいったいどこへ?みたいな。
>で、代わりに縫い物とか突発的にやっているんですけど、絵を描いていた頃のような「継続してやっていくぞー!」的な気持ちにはならないですねぇ。
>今はただ純粋に気分的なもので描きたくないだけで、そのうちまた描きたくなるのかは、自分でもまったくわかりません。

タビーさんも絵を描かれるんですね、どんな絵です?私は雲だとか夕日だとか空だとか、夕日に染め上げられたススキの野ッ原だとか、とにかく四角だとか三角だとか直線だとかいった形や輪郭線が現れてこない題材を好んで描いていました。あまり形としてはっきり表れる物理的な質感は好きじゃなくて、変化する色だとか色彩のグラデーションだとかいった、絵筆の筆触感や色彩の濃淡でもって空間の広がりだとか、空気の重みだとか軽さだとか、そういった移り行く自然現象そのものを紙の上に塗り重ねていくのが好きだったのです。ただ、私は非常に完成度の高い絵しか描けませんでしたね。予め主題や構成も練らずに即興的に行動に移すという作業が出来ないので、先に大量のスケッチや創作などの足がかりを切欠に、そこから完全なイメージを脳裏に膨らませ、そこからやっと製作にとりかかるのです。このため、作品の完成まで物凄く時間がかかります。学生時代なんかも、作品の提出の期限になってもまだ下書きの段階だったり、創作やアイディアを纏めた草案からなる紙の大量の束だったりするため、仮にそれらを提出しても通知簿の評価欄は3がやっとでした。それでも私は中途半端に作品を仕上げる事が堪えられないため、返却されても大抵持って帰って家で仕上げてました。そして仕上げたからには先生にみせるというのが教わる側の生徒たる私の務めなので、二三学期後だったり、学年が繰り上がったりしてから改めて先生に個人的に見せにいったのです。御蔭で先生が芸大で学んだことや芸術論、芸術に関する世界的動向なども含めて色々と絵について話し合う機会が持てて、普通に学校のカリキュラムを規則正しく辿った人よりも私は絵について早くから何倍も深く知る経験が出来ました。やっぱり、芸術にしても学問にしても独学だけでは得られないものが、しっかりと学を積んで来た人間から手ほどきを受ける事で得られるという事が往々にしてあるものです。まあ、このスレッドはそんな私がなぜ今は絵に無関心になってしまったのかって話ですが、タビーさんにもきっと私と同じ様に、絵に対する拘りだとか特殊な経験とかいったものがあると思います。こういした拘りだとか経験っていうのもやっぱり、ASの興味の特異な抱き方のなせる業だとしたら、自分がASである事への感じ方や理解の仕方もまた違ってくるのかもしれません。

[#36099] Re:ぱったり途絶えた興味。
 ウォルフル  - 11/1/11(火) 15:29 -

引用なし
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   乃絵さんこんにちは。下記の文章に合点がいきます。
>多分、ASの興味の持ち方というのは定型のそれよりも振幅が激しいのだろうと思います。

私は中学時代、主要なテストでクラスのトップになる事に熱中していた時期がありましたが、高校生時代の半ばに差し掛かって突然興味を失い、以後赤点スレスレの脱落生になってました。多分これも乃絵さんのいう振幅が一番極端な表れ方をしてしまったひとつの事例だと思います。

>ある対象に興味を持っている間は寝ても覚めてもそのことばかり考えて他のことが全く手に付かない状態が続きますが、興味が薄れている時は「何でわたしあんなに夢中だったんだろ?」と思ってしまうほど醒めてしまっているというパターンがASの場合は多いのではないでしょうか。

ほんとにそうですね。よく分かります。私も乃絵さんと似た様な感じです。

>わたしも一時期小説を書くのに2、3年ぐらい夢中になって会社の休み時間や通勤時間でも携帯を使ってチマチマと(しかも複数の話を同時進行で)書いていた時期があったのですが、今は全くそんな気力がありません(それどころか日本語の小説自体全く読まなくなってしまいました)。

あ、それ私にもあります、といより今はまってます。ただ私の場合何か自分の中に表現したいイデー(着想)があるわけではなく、むしろ言葉そのものに興味を覚えてしまったのです。私の机の下にはこれまでの5年間に渡って書きに書きまくったルーズリーフの束が5K近くありますが、なにぶん何かイデーをもとに書いたものではないので、内容的に散漫なもので、読み返してもほとんど情報的な価値がなく、いずれ私に飽きられて私に捨てられる運命にある紙達なのだと思います。まあ書き物の趣味ってほとんどお金がかからない上に時間的にも金銭的にも優しく、それでいて語学力が随分アップするので今は気に入ってます。

>ただ、一時期全く興味を失っていたものがある日突然やる気を取り戻すことはあります。そしてまた寝ても覚めてもそのことばかり考えてしまうのです。

私もある日突然やる気を取り戻すといった意味で、一定の反復期間があります。ただ、自分の興味の対象をコントロールする事が難しいしいので、お酒とかギャンブルに関心を持って仕舞った場合はASにとって地獄でしょう。ですからそんなものに興味を抱かないためにも、反復を繰り替えしていたほうが、別のものに鞍替えして困って仕舞うリスクを考え合わせれば、いいのかもしれません。

>定型の人だとバランス良く、コツコツと少しずつ続けることができるのでしょうがわたしにはどうも難しく、やる気がある間に全力投球するほうがうまくいくみたいです。
>わたしは20年ぐらい英語を独学しているのですが、その間何年も勉強を休んでいた時期が何度かありましたので、正味の学習期間はその半分ぐらいかもしれません。全くやる気のない時期は英語ニュースをBGM的に聞き流して音の感覚を維持するだけにとどめています。

兎と亀でいうならばきっとASは兎でしょうね、普通の人がやれば何年もかけてゆっくり行う処を物凄い集中力でもってあっという間にかけ抜け、そしてある日突然クルリと向きを変えて別のことをやり出す、思いつく。せっかくいい線いっていたのに、なぜ突然やめちゃうの?っていつも突っ込みを入れたくなりますが。

[#36101] Re:ぱったり途絶えた興味。
 タビー  - 11/1/11(火) 17:53 -

引用なし
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   >タビーさんも絵を描かれるんですね、どんな絵です?

植物や動物を描くことが好きでした。
葉の葉脈一本一本や、毛の一本一本を、ちまちま ちまちまめんそう筆で描いていくのが好きでしたねぇ。
逆にウォフルさんの描かれるようなふんわり感のある絵が描けなくて…私は今描いていないし、描かなくなってしまっているので、永遠の憧れというか。
アスペゆえなのか?想像力に乏しいってわけじゃないんでしょうが、絵を描く者にとってのたぶん大切な部分である『なにか』が大きく欠けてしまっているので、描く絵、描く絵がちんまりした、変にまとまってしまっているような、写真まではいかないにしても図鑑に出てくるような、精密画になってしまって。
「こんなに細かく描けるなんてすごいー」て誉められることはあるけれど、なんか違うぞ って自分では思っていて。なんかつまらない絵になっちゃうんですよねぇ。

ウォフルさんの仰ることすっごくわかります。読みながら「うんうん!そうそう!」て、頷きながら読んでいます。
私は『絵描きの神降臨』じゃないけど、想像力乏しいくせにパーッ!と上から何かが降りてきたときに、ガガーッ!と過集中して短時間に一気に描いてしまうタチなので、時間をたっぷりかけて描かれるウォフルさんとは、そういった部分での違いはあれど、それでもウォフルさんの仰ることわかります。
絵に対するこだわりだとかも「あぁ、そうよねぇ」って。妥協は大嫌いです(見るからに妥協しているのがわかる作品を提出している他人に怒りさえ感じていました(^^;)。

*なんか少々ズレたレスになってしまいました。すみません。

[#36102] Re:ぱったり途絶えた興味。
 kororo  - 11/1/12(水) 14:47 -

引用なし
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   >私の中のASとADHDの違い説明をするのって、発達障害の事を知れば知るほど難しい、ってのが今の現時点での率直な感想です。

確かに〜
ADHD関連の本を読み直してみたのですが、目の前の物しか見えないとか全部揃えないと気が済まないと書いてありましたが、年単位で集中して突然途切れるとはちょっと違うかも…
ASの本では好きなことへのこだわりは一生続くように書かれているし、コンピューターや科学等一つの事を追求した偉人が紹介されるので、それとも違うかと思っていたのですが、別のものに飛んでも集中力が続くという意味なんでしょうか?それとも個人差?

よく考えてみると私の場合は目標(結構高い)達成すると突然冷めたり、達成するまでにお金と時間がかかり過ぎてとてもできそうにないとなると冷めてしまいます。達成できずに止めるときはとても悔しいんですが、現実優先なので生活を犠牲にしても…とまではいきません。思い切り趣味に没頭することに憧れてはいるんですが。

定型とAS、ASとADHD、LDがそれぞれ境界のはっきりしない連続体でつながっているので判別つきにくいですね。診断の時もASがあるとAS優先で一括りにされるようなのでAS内の個性と考えるべきでしょうか?
なんだかより複雑にしてしまいましたが、この点もうちょっと研究が進んでほしいですね。

[#36106] Re:ぱったり途絶えた興味。
 Olivia  - 11/1/12(水) 21:12 -

引用なし
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   ウォルフルさん

私も産まれた時から絵を描くのが好きです。(どんな絵でも描きます。中学の時は部活で油絵を描いていましたし、似顔絵や四コマ、写生、イラスト(矢沢あいの絵に少し似てると言われたことがあります)、筆を使った絵、PCのフォトショップで、等)
時期に寄って絵を描く頻度は変わりますが(勉強が忙しかったりして)、ぱったり途切れたということはありません。
未だ20年と少ししか生きていないので、これからどうなるかはわかりませんが。

後は、小説も趣味で書きます。気が向いたらつらつら書く感じです。
詩はよく書く時期と全く書かない時期がランダムに来ます。

全然参考にならないですが・・・

[#36110] [投稿者削除]
   - -

引用なし
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   この書き込みは投稿者によって削除されました。(11/9/16(金) 13:28)

[#36113] Re:ぱったり途絶えた興味。
 sutera  - 11/1/14(金) 12:38 -

引用なし
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   >ウォルフルさん
>
私も絵が好きで、学校で一人しかとれない特賞などもとってました。
美術が全般的に得意だったので、ジュエリーデザインの学校に会社員時代、夜間通っていました。
ジュエリーはデザインじゃなく、石が重要とデザイナーから一度聞いただけで興味を失って、退学しました。

子供が小さい時は、キャラクターの絵を頼まれるままに描いていて、○○君のママは絵が上手いと評判になりました。

でも、プロになれる程でもなく、何か課題を与えられないと描けないので役にたってません。

私も同じく、絵に興味なくなりました。最近は花など描いてみたら非常に疲れました。

ASだからか、わかりませんが興味がなくなるという点では共感します。

[#36114] Re:ぱったり途絶えた興味。
 納豆  - 11/1/14(金) 17:02 -

引用なし
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   ▼ウォルフルさん:
>納豆さんこんにちは。
>>わたしの場合逆で
>>いままで音楽とかそういうの
>>は聞くことだと
>>思っていましたが。
>>逆にアスペルガーと知ってから
>>ピアノの練習に身が入り
>>どんどん上達して。
>
>納豆さんの仰るように、興味を持つ事は興味を失う事とは逆ですが、ASにとっては意外と1つの事柄を別々の視点から見た現象なのかもしれませんね。どっちにしたって少しだけ興味を持つとか、少しだけ興味を失うとかいった中間帯がなく、私が対象について完全に凝視(集中)しているか、さもなくば完全に対象を無視(忘却)しているかのいずれなのですから。まあ、凝視と無視のスイッチがいつどこでどういった原因がもとで切り替わるかは私にも不明ですが、ともかく私には対象について凄く関心があるかまったく関心がないかのいずれかである事には変わりないわけです。
>
>納豆さんはピアノをおやりになられるんですね、私は、母が音楽教師をしていたためか、ピアノに親しみを感じる環境で成長しました。ですのでピアノに関しては腕に自信があります。ピアノというと、私はクラシックしか思い浮かびませんが、ピアニストにとって、そのピアニスト固有の個性を遺憾なく発揮できる自由度の高さ、という点では、どちらかというとショパンやリストなど、余り形式として厳格でない中期、後期のロマン派のピアノ曲が好まれます。納豆さんはどんな曲目を弾かれるのですか?アスペには独自の世界観を持った個性的な人が多いので、クラシックなら、曲想を自由に解釈して演奏出来るショパンやリストが合っているかもしれません。まあ、形式を重んじるウィーン古典派、わけてもその大成者であるベートーベェンの中期頃までの作品群といった、形式が理路整然としていて厳格であるがゆえに自分の個性を制御する術を身につけないととても弾きこなせない曲といったものも沢山ありますが、私はやっぱりベートーベェンなんかよりショパン等が好きです。
>
>>皮肉なことにいろんなコツをつかんだのも
>>これを知ってからでした
>>だから唯一よかったのは
>>アスペルガーだから
>>器用になんでもこなせる
>>ことです♪
>>ここは得した
>>ただソンしたことは「人とうまくやれなくて」ってこと。
>
>>趣味は前よりも充実してます。
>
>そうですね、私を絶望に陥れたのが自分の中のアスペルガー的要素だといえるならば、これまた不思議なことにそんな私を救ってくれたのも、私の中のアスペルガー的要素。私も趣味に没頭することで随分周囲の厭なことから開放される時間の恩恵を得てきましたし、いつもそこでまた頑張るぞ!って自分を奮い立たせて来ました。
鍵盤は叩くと必ず
その音がでるのですね。
だから人はドをおしてもソがでたり
急に♭したりする
だけど楽器は裏切らないから。
絵はへたくそなのですよね。
難しいクラシックの定義はわからないけど
ショパンは大好きです

[#36118] Re:ぱったり途絶えた興味。
 ウォルフル  - 11/1/14(金) 17:25 -

引用なし
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   suteraさんこんにちわ。

>私も絵が好きで、学校で一人しかとれない特賞などもとってました。
>美術が全般的に得意だったので、ジュエリーデザインの学校に会社員時代、夜間通っていました。
>ジュエリーはデザインじゃなく、石が重要とデザイナーから一度聞いただけで興味を失って、退学しました。

私の中は美術といえば絵と彫刻で、他のものを美術として数え上げたくはないです。高校時代の美術教師はいつも「お手軽」な課題を出しました。それはいつもお土産屋で見かける様な工芸品や雑貨品的な製作ばかりだったのです。ですので私は高校の美術と呼ばれている授業にはすっかり興味を失い、美術はひとり勝手に自分の部屋で熱中してやってましたね。

>子供が小さい時は、キャラクターの絵を頼まれるままに描いていて、○○君のママは絵が上手いと評判になりました。
>でも、プロになれる程でもなく、何か課題を与えられないと描けないので役にたってません。

子供ってアンパンマン等のキャラクターものが人気だったりするので、子供にキャラクターものを描いてやれば大喜びしますよ、ほんとに。 子供の世界では需要と供給の関係が大人のそれよりずっと直接的で分かり易く簡単なもので、私も絵を描いてやった子供の喜ぶ姿の方が理解し易いですし、描いた当人の私も喜ぶ事が出来ます。しかし、これが大人となるとほんとに分かりませんよね、単なる御世辞だったりするので。

>私も同じく、絵に興味なくなりました。最近は花など描いてみたら非常に疲れました。
>ASだからか、わかりませんが興味がなくなるという点では共感します。

私とsuteraさんとの間にも色々な一致点や相違点が確認出来、ますます自分の事を知る参考材料となりました。有難う御座いました。 

[#36119] Re:ぱったり途絶えた興味。
 ウォルフル  - 11/1/14(金) 17:33 -

引用なし
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   kororoさんこんにちわ。

>横で失礼します。

>実は私も一時絵やってたんです。
>私は対象物を観察して描く時は何も見ないで描くんです。
>そうすると印象深いところがデフォルメされてそれっぽく見えるので気に入ってやってました。
>一気に描くので速いです。
>その頃は絵は言語の一部って感じでした。

私は人と言葉を取り交わす事にあまり関心がない代わりに、ずっと小さい頃から絵ばかり描いていました。ですので私の第一母国語は色や形であって、言語概念が母国語として私の思考の要素になったのはずっと後になってからなのです。今でも私の描いた作品達は私のその時々の「言葉」であって、その言葉は私が今扱っている言語よりもずっと深く私そのものを表しています。

>グループで絵を描く授業があったんですが、そっちは最悪で、私はもう頭の中に絵ができてるのに、他の子のビジョンのない意見(と私には思えた)を取り入れなくてはならなくて、最後はもう怒ってました。

私もデイケアに通っていた頃、他者との協調性を育もう!というスタッフの企画立案の許に、さっそく白紙の上に目鼻口、胴に手足に尻尾に黒斑と、デイケアのメンバーが順々にパンダの体のパーツを1人1つづつ描きこんでパンダの絵を完成させていく課題をやったのですが、最終番手である私に絵が回って来た時には、どうみてもパンダの絵には見えない代物でした。しかし、どうにかシルエットとしては痩せたパンダに見えたので、そこで私はパンダに少しふっくら肉付けして、後から鉛筆で他の余計な線描を上から真っ黒に塗りつぶし、パンダの完全なる影絵を完成させたのです。すると、一斉に周囲から非難の声が上がりました。今思えば私はその場で自分のやった事を冷静に説明し、その上で他人の意見を仰ぐべきだったのでしょうけど、私はその場で癇癪を起こして仕舞い、そのまま家に帰って仕舞いました。まったく絵なんてものは一人芸であって、多数でやるものじゃないと思います。

[#36120] Re:ぱったり途絶えた興味。
 ウォルフル  - 11/1/14(金) 18:12 -

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   Oliviaさんこんにちは。
>時期に寄って絵を描く頻度は変わりますが(勉強が忙しかったりして)、
>ぱったり途切れたということはありません。
>未だ20年と少ししか生きていないので、これからどうなるかはわかりませんが。
>全然参考にならないですが・・・

ASの症状は年齢と共に収まっていく様なので、「興味がぱったり途切れる現象」の有無確認も、むしろ子供の頃や20歳以前の方が情報的には信憑性が高いと思われます。私も小中学以前には興味が途切れるなんて事はまったくなかったのですが。(興味がぱったり途切れる現象は自閉症とは直接的な因果関係は存在しない?)

>私も産まれた時から絵を描くのが好きです。(どんな絵でも描きます。中学の時は部活で油絵を描いていましたし、似顔絵や四コマ、写生、イラスト(矢沢あいの絵に少し似てると言われたことがあります)、筆を使った絵、PCのフォトショップで、等)

OliviaさんのHPで絵見ました。Oliviaさんは似顔絵や四コマやイラストを描かれるだけあって、あの女性の半身像も左右に斜め下から上へと、色々なアングルから描く事が出来るのでしょうね、きっと。特に四コマなんて物語の起承転結の進行順に従って登場人物の色々なアングルから見た画が要求されてくるので。私も四コマは17の時に挑戦してみましたが、まるでそんな才覚はなかったです。特に人物に関しては日頃からみていないためか、正面図だとか真横図だとかいった決まりきった角度しか描けず、他の様々なアングルからの画を描こうと思えば、思わずモデルの必要性を実感せずにはいられませんでした。

私もPCのフォトショップやった事あります。操作法や応用編なんかも少し触ってみたら直ぐにマスターできました。しかし、こうした既成のツールって案外製作者自身の絵に対する考え方や嗜好といったものが反映されているため、使えこめば使い込むほど、細かいところの描写力の点で自分の思い通りに描けない不便さが段々気に食わなくなってきました。そこで私はドット絵に切り替え、アナルグ的にひとつひとつ色を操作していくやり方を好んで採用する様になりました。ドット絵なら絵筆の筆触感だとか絵の具の艶肌、絵の具が乾いた時のザラザラ感といった質感までもが寸分違わぬ精度で再現出来、私が頭に思い描いている通りの絵を描く事の出来る満足感が得られました。

>後は、小説も趣味で書きます。気が向いたらつらつら書く感じです。
>詩はよく書く時期と全く書かない時期がランダムに来ます。

小説を書くのって物凄い教養が試されません?たとえば人物や建物の投げかける影の長さや向きは季節や時刻に応じて変化するので、いつもこの影描き方はこれで正しいのだろうか?影の他にも描写の仕方に矛盾点はないだろうか?ストーリーに矛盾点はないだろうか?って気になって、考え込んで仕舞って、学歴もなく、幅広い意味での教養のまったく私は以降まったく筆が進まなくなりました。書店なんかでは何百冊ものの小説の本が山積みの様に並んでいますが、この人達って物凄い教養があって、物凄い賢いんだな〜っていつも関心します。

でも上述した様に、小説を書くのってすぐに自分の教養の程度が分かって仕舞うので、自分にはどういった教養が欠けていて、今後どういった事を学ぶべきかが直ぐに分かる定石となりえます。Oliviaさんの様に、人生を豊かなものにするために勉学を志す者にとって、きっとこの定石は是非とも必要なものなのでしょう。絵も小説の方も頑張って下さい。

[#36124] Re:ぱったり途絶えた興味。
 かめらっぱ  - 11/1/15(土) 22:45 -

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   割り込みますが、こんにちは。
参考になればありがたいです。
僕は興味が半年くらいごとに循環します。
順番はありませんが
ガンダム→昆虫→石→哲学→世界史→爬虫類などなどです。
絶対に飽きるわけでもなく、かといって一度にやるとお金がかかるし・・・
まったく興味を失った趣味は天文とか薬学です。

[#36134] Re:ぱったり途絶えた興味。
 ウォルフル  - 11/1/17(月) 0:47 -

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   かめらっぱさんこんばんは。

私も哲学→ピアノ→書き物→書道とランダムに循環します。(絵と彫刻は今はこの循環から完全に抜け落ちています)たとえばHな気持ちになると、性的な対象以外何も思考したり感じたりする事が出来なくなる様に、私もピアノに関心を持つと数年単位の間はずっとピアノの事で頭が一杯になり、没頭している限りは他の趣味にまったく手をつけないといった事がよくあります。しかし、最近では例えば性的な対象を見たりするだけで意図的にHな気持ちを作り出す事が出来る様に、書道をして意図的に書道に関心を向けるといった技が使える様になりました。このため、哲学→ピアノ→書き物→書道の循環はかつては数年単位であったものが今では数ヶ月単位であったり、数週間単位であったりする事がよく起こります。

[#36149] Re:ぱったり途絶えた興味。
 Olivia  - 11/1/18(火) 11:53 -

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   ウォルフルさん

>OliviaさんのHPで絵見ました。Oliviaさんは似顔絵や四コマやイラストを描かれるだけあって、あの女性の半身像も左右に斜め下から上へと、色々なアングルから描く事が出来るのでしょうね、きっと。特に四コマなんて物語の起承転結の進行順に従って登場人物の色々なアングルから見た画が要求されてくるので。私も四コマは17の時に挑戦してみましたが、まるでそんな才覚はなかったです。特に人物に関しては日頃からみていないためか、正面図だとか真横図だとかいった決まりきった角度しか描けず、他の様々なアングルからの画を描こうと思えば、思わずモデルの必要性を実感せずにはいられませんでした。
HP見て下さったんですね。有難う御座います。
でも、なんだか急に怖くなってしまって(何が怖いのか、具体的には分からないのですが)閉めてしまいました。それなのに、少し後悔していたりして、又新しく開こうかどうか検討中です。
絵は習ったことないので、プロの方が見たらかなり拙いと思います。
(椎名林檎のデッサンもどき以外は)モデルも使わないので想像の範囲でしか描いていないです。

ところで、来週から二学期が始まるのですが、二学期には様々な選択授業があって、その一つにデッサンの授業を取ったのです。登録はしてしまったのですが、未だに迷ってるのです。
デッサンの授業を取ってしまったら好きなように絵を描けないのではないか、と。
例えば、『来週までに果物をデッサンしてきましょう』と言われても途方も無く嫌気が差してしまいます。私は素直にデッサンできないのだと思います。たまにHPに載せた様な椎名林檎のデッサンにしてもやはり手を加えてしまいます。
元々想像で描くの方法を好んでいたので、“授業”として“写生”をしたくなくなったらどうしよう、と思うのです。
より実物に近く描くのがデッサンなら、写真に写してしまえばいいではないか、とつい思ってしまいます。なので、私は作品としては写生の作品より写真の方が好きです。“ただ写真機に収めるだけ”というシンプルな作業を芸術的に表現する、というところが気にっています。
なので、当初から、“ある程度自由に絵を作り出せる服飾デザイン”か、“写真”か、“無難なデッサン”かで凄く凄く迷っていたのです。
未だ登録変更間に合うかなー、と思いながら未だにうろうろしています。
>私もPCのフォトショップやった事あります。操作法や応用編なんかも少し触ってみたら直ぐにマスターできました。しかし、こうした既成のツールって案外製作者自身の絵に対する考え方や嗜好といったものが反映されているため、使えこめば使い込むほど、細かいところの描写力の点で自分の思い通りに描けない不便さが段々気に食わなくなってきました。そこで私はドット絵に切り替え、アナルグ的にひとつひとつ色を操作していくやり方を好んで採用する様になりました。ドット絵なら絵筆の筆触感だとか絵の具の艶肌、絵の具が乾いた時のザラザラ感といった質感までもが寸分違わぬ精度で再現出来、私が頭に思い描いている通りの絵を描く事の出来る満足感が得られました。
凄いですね。私は未だ初心者です。どうもアナログな人間のようで、手描きの方が好きですね。

>小説を書くのって物凄い教養が試されません?たとえば人物や建物の投げかける影の長さや向きは季節や時刻に応じて変化するので、いつもこの影描き方はこれで正しいのだろうか?影の他にも描写の仕方に矛盾点はないだろうか?ストーリーに矛盾点はないだろうか?って気になって、考え込んで仕舞って、学歴もなく、幅広い意味での教養のまったく私は以降まったく筆が進まなくなりました。書店なんかでは何百冊ものの小説の本が山積みの様に並んでいますが、この人達って物凄い教養があって、物凄い賢いんだな〜っていつも関心します。
でも、出版されている本でも素人が書いた方がましなくらいの本だってあります。日本はとくにそういう傾向が強いと思います。アイドルなんかが日記みたいな本を出したらすぐ売れるじゃないですか。

影の長さまで考えて書くウォルフルさんはきっと素敵な文章を書かれるに違いありません。
私だって二十歳を幾つか過ぎただけで、経験も少ないし、単語力だって多くはないと思います。
でも本は大量に読むので、やはり自分自身も書いてみたいと思ってつらつら書いてしまいます。
例えば私が住んでいる街を詳しく描写することが出来るのは利点ですね。後、私は理系の学部なので、ここで色んな知識を身につけて理系分野のネタを出せるお話を書けたら良いなあ、と思います。
この間まで書いていた小説は、微分トポロジーを専攻する女の子が主人公の話です。
でも途中で気に入らなくなってやめました。なんだかバナール過ぎる気がしたので・・・

>でも上述した様に、小説を書くのってすぐに自分の教養の程度が分かって仕舞うので、自分にはどういった教養が欠けていて、今後どういった事を学ぶべきかが直ぐに分かる定石となりえます。Oliviaさんの様に、人生を豊かなものにするために勉学を志す者にとって、きっとこの定石は是非とも必要なものなのでしょう。絵も小説の方も頑張って下さい。
はい有難う御座います。
ウォルフルさんにも新しい人生の転機が訪れたら良いですね。

[#36153] Re:ぱったり途絶えた興味。
 乃絵  - 11/1/18(火) 23:53 -

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   ▼ウォルフルさん:
>私は中学時代、主要なテストでクラスのトップになる事に熱中していた時期がありましたが、高校生時代の半ばに差し掛かって突然興味を失い、以後赤点スレスレの脱落生になってました。多分これも乃絵さんのいう振幅が一番極端な表れ方をしてしまったひとつの事例だと思います。

わたしも中学の時は勉強にはまっていてそのおかげで地元のトップ高に進学したのですがその後に勉強に対する興味を全く失ってしまい2年近く落第の危機にさらされました(汗)3年になってようやくやる気を取り戻しましたが受験シーズンにうまく照準を合わせることはできず第一志望の大学は落ちました(笑)

>私もある日突然やる気を取り戻すといった意味で、一定の反復期間があります。ただ、自分の興味の対象をコントロールする事が難しいしいので、お酒とかギャンブルに関心を持って仕舞った場合はASにとって地獄でしょう。ですからそんなものに興味を抱かないためにも、反復を繰り替えしていたほうが、別のものに鞍替えして困って仕舞うリスクを考え合わせれば、いいのかもしれません。

わたしは一時期株投資にはまってました(汗)一時期リーマンショック直後に700万円ぐらいの含み損を出したときは青くなりました。今は大分マシになりましたがまだ含み損が残っています。

>兎と亀でいうならばきっとASは兎でしょうね、普通の人がやれば何年もかけてゆっくり行う処を物凄い集中力でもってあっという間にかけ抜け、そしてある日突然クルリと向きを変えて別のことをやり出す、思いつく。せっかくいい線いっていたのに、なぜ突然やめちゃうの?っていつも突っ込みを入れたくなりますが。

そうですね、挫折したというわけでなく単に興味を失っただけなんですがはたから見るとあんなに夢中になっていたのに何で?とびっくりするようですね。どうやら「憑き物が落ちる」という表現がぴったりのようです。

[#36164] Re:ぱったり途絶えた興味。
 かめらっぱ  - 11/1/20(木) 22:03 -

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   やはり同じような人もいるんですね。
最近は成長したせいかより興味が広がって財布が大変です。(笑)

[#36167] Re:ぱったり途絶えた興味。
 ウォルフル  - 11/1/21(金) 15:40 -

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   Oliviaさんこんにちは。
>HP見て下さったんですね。有難う御座います。
>でも、なんだか急に怖くなってしまって(何が怖いのか、具体的には分からないのですが)閉めてしまいました。それなのに、少し後悔していたりして、又新しく開こうかどうか検討中です。

私も、これまでネットに残した自分の痕跡を洗いざらい消去して、総てを一回なかった事にしたくなる衝動にこれまで2回駆られた事があります。たとえばここの掲示板でも自分のコメントを全部消去して落ち着きを取り戻そうとしたり。でも一月も経てばまた書き込みしたくなってこうして書き込んでいます。

>より実物に近く描くのがデッサンなら、写真に写してしまえばいいではないか、とつい思ってしまいます。

「デッサン」と「写真」では、対象を描写するという点においては同じですが、実はそれぞれモノを捉える際の視点がかなり違っています。物凄い端的な言い方をすると、デッサンは人間の目のレンズを通してモノを捉えるのに対し、写真はカメラのレンズを通してモノを捉えるのです。

例えば、雄大な山々を写真に収めようとして、現像された写真にがっかりした事ってOliviaさんはないですか?実物を自分の目で見ていた時は山があれほど圧倒的な迫力で目の前にそびえたっていたのに、いざ山の風景が写真化されると、その時の感動や印象を少しも映し出してはおらず、この対照にすっかりガッカリさせられたという経験は? 実はこうした事が起こるのも、人間の目のレンズは主役たる認識対象の印象深いところをより印象深く魅せて、後の部分はどちらかというと主役を引き立てる脇役の要素として背景へと後退していく様なのです。逆に、カメラのレンズはそういった主役も脇役も存在せず、カメラ内に収まるすべてのものが等しく、しかもそれらすべてを細部にまで渡って忠実に映し出して仕舞うため、今私が言った様な対照が起こるのだと思います。

上記の対照化は、デッサンと写真の違いを説明する上でとても大雑把であり、この対照によってデッサンの総てを説明出来るわけではないのですが、それでもあえていうならば、デッサンは「対象の本質や特徴だけを掴む」事によって絵としてのリアリティーを表現する事に主眼が置かれていて(ある種の虚構化でありデフォルメ化)、写真は「対象のありのままの姿をありのままに収める」事によって真実としてのリアリティーを表現する事に主眼が置かれています。こうした違いが根本にあるため、デッサンは写真技術の発明以後もその存在意義を失う事なくこんにちまで至っております。

>元々想像で描くの方法を好んでいたので、“授業”として“写生”をしたくなくなったらどうしよう、と思うのです。より実物に近く描くのがデッサンなら、写真に写してしまえばいいではないか、とつい思ってしまいます。

デッサンのためにOliviaさんの想像力とかインスピレーションといったものを出し惜しみする必要はありませんよ、デッサンの授業ではそれらを思いっきりデッサンにぶつければいいです。(デッサンの際の想像力の活かし方のコツみたいなものも、デッサンを学んでいくうちに段々掴めてきます)なぜなら対象の特質をしっかり掴むのって物凄い想像力が求められますから。それに想像力のない人のデッサンは、モノを忠実に再現する事によって自分の想像力の弱さをカバーしようとするため、自ずとその絵はどこか対象を写真機で写し取った様に、なんの印象も伝わってこず、結果絵として失敗して仕舞うのだと思います。

>ところで、来週から二学期が始まるのですが、二学期には様々な選択授業があって、その一つにデッサンの授業を取ったのです。登録はしてしまったのですが、未だに迷ってるのです。デッサンの授業を取ってしまったら好きなように絵を描けないのではないか、と。例えば、『来週までに果物をデッサンしてきましょう』と言われても途方も無く嫌気が差してしまいます。私は素直にデッサンできないのだと思います。

とてもAS的ですね。「果物をデッサンしてきましょう」と指示されると、果物しか描けなくなるという。でも絵画の世界では表現方法がその人の個性と見るや「何でも許される何でもアリ」の世界なので、指示された果物さえ主題としてちゃんと描いてさえいれば、後は何を描き込もうと指示には反しないと思いますよ。たとえば自分が普段から気に入って使っている食器の上に果物を乗せたり。あるいは動物の毛皮をあしらった素材のもの、あるいは絹糸の美しい布が波打っていたり、折り重なっていたりして、その上に無造作に果物を置いてモチーフとしてみたり。あるいはまた、半分砕けて種や果汁の滴るものや、半分腐敗のはじまったもの等々をモチーフとしてみたり。ジュゼッペ・アンチンボルトの様に果物をパズルの様に組み合わせてまったく違った画を表現してみてもいいし。まあ自分が気に入る事だけをして、気に入らない事は絶対にしない、という態度を徹底的に貫き通してみる事です。人は自分が心惹かれているもの、好奇心を抱いているもの、愛しているものしか本当の表現行為はできないものですから。私は空や夕日が大好きでそれしか描きませんでしたけど、私なら、空を背景にして果物を描いたり、暗い部屋の窓辺から太陽と大気の明るさが果物の上に光を投げかけている様を描いて、自分の描きたい欲求を掻き立て様としたと思います。ですが、デッサン力の未熟なうちは、色んな事をやろうとしても、結局自分の絵の技術や表現力が追いついてこないもので、それならば、はじめのうちは潔く指示道りに従ってデッサン力を磨く事だけに専念していた方が無難でしょう。でもデッサン力が実力としてついてくると、そこれこそ、Oliviaさんが描きたいと思った事がなんでも描ける様になるので、その暁にはOliviaさんの個性を全面に押し出して、作品の自由度や可能性の幅を増し加えていきましょう。芸術の世界において自分の個性を押し殺す必要性はまったくないのですから。しばしば芸術の世界においてはもっとも個性的なものがもっとも普遍的であったりします。

>当初から、“ある程度自由に絵を作り出せる服飾デザイン”か、“写真”か、“無難なデッサン”かで凄く凄く迷っていたのです。未だ登録変更間に合うかなー、と思いながら未だにうろうろしています。

私なら間違いなくデッサンを選びますね。一番極め甲斐があるし、ここから、絵画、彫刻、イラスト、アニメーション、デザイン、商品開発段階における商品イメージ像化と、視覚的表現に関するあらゆる方面へと道が通じているからです。たとえば宮崎駿のアニメにしても、俗な言い方をすればアニメーションに命(躍動感だとか感情だとか)を吹き込むためには、デッサンでいう「対象の特徴をしっかりとらえ表現する」技術はとても重要となって来ます。

>でも、出版されている本でも素人が書いた方がましなくらいの本だってあります。日本はとくにそういう傾向が強いと思います。アイドルなんかが日記みたいな本を出したらすぐ売れるじゃないですか。

確かに〜 日本では絵でも「下手ウマ」といって、表現技術は未熟でも「ウマイ」部類として数え上げられる場合がよくありますね。絵がそうなのですから、小説の場合でもアイドル日記的なものが他の優れた名著よりも広く読まれ、日本語の御手本となる優れた名文、古典といったものまでもがそういった無教養主義的な風潮によって下火になるのだと思います。日本よりもフランスの方がよっぽど教養といったものを大切にする民族ですし、民族全体としても日本よりも大学や研究機関や図書館といった知的財産に敬意を払っていると思います。それにフランスでは日本の大学や企業の様に、本来勉学に勤しむべき学徒を、途中から就職活動に向かわせるなんて無意味な事はしません。そればかりではなく、最近の日本企業は雇った人材の育成にも手抜きをしています。そのくせ、能力がないだとかいって戦力外通告してリストラに追い込むのです。(それも汚い手口を使って)OliviaさんのHPの記事にもあった様な日本人におけるハーバード留学生の減少傾向も、こうした教養に対しての憧れのなさや無関心がひとつの原因ともなっているのだと思います。

>影の長さまで考えて書くウォルフルさんはきっと素敵な文章を書かれるに違いありません。

有難う御座います。しかし、私の文章は素敵などころか、自分の考えを表すために、どこまでも理詰めで長々と書くのがいけません。たとえば林檎についてどんなに細部に渡って詳細に記しても、絵の場合ならば一枚のキャンバスの中にすべての情報を詰め込む事が可能ですが、これが文章だとそうはいきません。言葉でもって林檎について細部に渡って詳細に記そうならば、一枚の用紙には収まりきらず、情報が増えれば増えるほど沢山の用紙が後から後から必要になってきます。ですから、小説を書くにしても文章を書くにしても幅広い意味での「詩の才能」がないとだめですね、詩の才能とは、言葉少なに膨大な情報量を表現する(しかもその表現が相手にちゃんと伝わる)才能です。(古今のゲーテ等の偉大な文筆家や優れた小説家は同時に詩人であったりします)詩の才能ってどうすれば身につくのでしょうか?Oliviaさんは詩もやるそうなのですが、やっぱり、小説を描く時には詩は重要だと考えた上での事なのですか?

>例えば私が住んでいる街を詳しく描写することが出来るのは利点ですね。

やっぱりフランスなんかは歴史もある国だし、国全体も闊達だし、なんといってもそこは異国別世界、これまで世界的な小説家が何人も描いて来ただけあって、町並みなんて特に素敵でしょうね。

>ウォルフルさんにも新しい人生の転機が訪れたら良いですね。

有難う御座います。私の人生はもう落ち込むところまでとことん落ち込んでしまったので、これ以上落ち込む事はないと思います。

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