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>管理人です。気になる表現がありましたので、今後ご注意いただけたらと思いま
>これは読み方によっては「親や家族との関係が良好でない障害者は社会に順応でき>ない」と解釈できます。それならば、親と様々な事情で一緒にいられなかったり、>親から虐待を受けて育った人はどうなるのでしょうか?そのような人は努力しても>幸せになれないというのでしたら、それは偏見だと私は思います。
>親から虐待を受けて育った人はどうなるのでしょうか?
そのようなケースでは、親を愛することはできないでしょうね
でもそれは、どの文化でも当然の話で、議論の揚げ足とりではないかと思います。
様々な事情で一緒にいられないとは、具体的なシチュエーションが
わからないので、なんとも言えません。
家族との関係が良好ではない = 努力しても幸せになれないと、
ひも付けるのが、私にはわかりません。
それから脱線しますが、
幸せとは努力してつかむものではないと、私は考えます。
いま、自分が持っている幸せに気付く、
それが幸せになれるということだと思います。
努力の上に幸せをつかむ論者は、
ゴールについた途端に、また上の目標をみつけて、
いつまでたっても幸せに達することが無いように
思います
高校に合格したら幸せ、大学に合格したら、、、
就職したら、結婚したら、マイホームを、、、
どこまでいっても本当の幸せを得られない、
そう思ってます。
私が見て聞いて感じたことに基づいて
偏見を書いてます。でもすべての意見は偏見だと思いますよ
なにがしかのバイアスがかかってます。
同じ見かたをする偏見があつまったときに、その文化での
常識といわれるものになるだけで、、
>>また、親というのは愛情を注ぐあまりに身勝手になることもあるのです。それで>>苦しんだ子どももいるというのは認識された方がいいでしょう。
認識していますが、そのように見えない文章を書いたことを反省します。 私自身も苦しんで家を出たのです。そして時間がたって、今でも家によりつきませんが、心に親を許して受け入れることができました。それは、私の見た、うまくいっている人たちが、親に感謝しているのを見たからです。はたからみれば身勝手な親でも、自分も同じ状況で親だったら、同じ事をしているかもしれない、親の行動には、なにかの理由があったのだ、という理由の元に許すのです。そして親を許すことで、異端者に冷たく偏見にみちた社会を受け入れてうまく生きていけだと、私は感じました。
>>佐野洋子さんの著書などにもお母様との関係に苦しまれたことが書かれていて、私はとても共感しました。「親に対して感謝しなければいけない」ということばから解放されることで救われる人もいます。
私は上記の方の著書は拝見していませんが、そうだと思います。
>>ご自分と違う意見に対して嫌悪感を覚えるのでしたら書き込みしないでください。よろしくお願いいたします。
了解しました。
今回、私の書き込みにより 傷つけた方にお詫びを申し上げると共に
以後、書き込みをやめ、見ているだけにします。
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